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弟〖第20話〗
しおりを挟む空は、誰にも見られたくないこの蒼く黒い狗の身体を『宵闇』のようだと『光る蝶々』の羽とも言ってくれた。
一族の恥、果ては呪いとまで呼ばれた自分は、いつも純血種のような真っ白な弟の翠と比べられた。次の当主も、弟の翠を押す声がまだある。
そのために自分を律した。冷たく神経質そうだと言われているのは知っている。空との半年を消され、輪をかけたように意地も性格も悪く、誰をも疑うようになったのは事実だ。
「そうにいちゃん?」
「狛井家へ、そうにいちゃんの家へ行こう」
背に乗れ、そう空に言う。大きくなった空。あれから五年経ったのか。それでも、充分軽い。耳と尾を出して全速力で走る。昔は「風になったみたい」とはしゃいでいた。今は蒼の身体に振り落とされないようぎゅっとしがみついているだけだ。少しだけ、寂しい気持ちになった。
一度空の家に、最低限の荷物を持ちに寄り、狛井家の近くで空を背から降ろした。変わらないものもあれば、変わってしまうものもある。
五年、自分はあの頃の空を今でもそうあるべきだと押しつけていることに気づく。自分は傲慢なのだと、改めて気づいた。自分ももう、あの頃の純粋さはない。空も、変わる。
「やっぱり、そうにいちゃんの背中はあったかい。いつもポカポカ」
心なしか空の声が寂しそうに聞こえたので、空が尻尾を触るのが好きだったことを思いだし蒼は尾を出したまま石に二人で腰かける。蒼の尻尾を撫でながら、呟くように言った。
「そうにいちゃんは、今の空は嫌い?」
下を向いて空が行った言葉に、少し動揺した。取りつくろうように出た言葉は、
「どうしてそう思うんだ?」
という、卑怯な返しの言葉だった。
「そうにいちゃん、笑わない。全然楽しそうじゃない。昔は目が合うと笑ってくれたのに。空のこと、好きじゃなくなっちゃったの?義務だから?約束したから優しくするの?く、口づけしたの?」
蒼は微笑む。自分は何を不安がっていたのだろう。空のままだ。じっと見つめる瞳を、穏やかな視線で見つめ返す。羽化した蝶が羽根を伸ばす。風を受けて宙を舞う。空は綺麗なまま。知性は感じても、あの感性は、昔のまま。
そして、空には稀有なことに、ひとを執拗に羨んだり、貶めたり、恨んだりする、大きな『負』の感情がない。山神さまの子、ならではなのか。
「義務なら狗の姿は見せない。そうにいちゃんはあの姿をひとに見られるのは好きじゃないんだ。空だから見せた。空に『宵闇』と『蝶々』と言ってもらって嬉しかったよ。それに今日は迎えに来た。そうにいちゃんも緊張してるんだ。傷も、心配だったし。ごめんな」
「う、ううん。ごめんなさい。僕、もう十五歳なのに、恥ずかしいね。いじけてた」
「今も……尻尾は好きみたいで嬉しい」
「うん、ふわふわ。安心する」
優しく頬擦りされると、どきどきしてしまう。でも、空が安心するならいい。
「行こうか。ここからすぐだ」
着物の乱れを直し、歩いて狛井家へ。相変わらず無駄に大きな家だ。
*******
あなたに会えたことが、私の人生の中で一番幸せなこと。僕を見つけてくれて、ありがとう。あなたに心も身体も愛されて、僕の中に花が咲いた。
*******
「帰ったぞ、爺」
「こんな朝早く。家の者の出迎えもできず」
「だからだ。爺は事情を知っておるが、いきなり許婿を俺が連れてきたと知れたら、空への他の者の風当たりは厳しいだろう。空の力になってやってくれ。爺、こちらが、空だ」
空は控えめに微笑み会釈をし
「御厄介になります。空です」
空は爺に丁寧に会釈した。爺は、
『なんとまあ可憐で清々しく、可愛らしく美しい!』
と、一目で空を気に入ったようだった。
「空。解らないことがあれば、何でも爺に訊いてくれ」
「僕に訊いてもいいよ。兄さんの趣味はこんな感じかぁ。三人目か五人目の許嫁候補の方が良かったんじゃない?こんな、やせっぽちな女子。こんな女子を義姉さんって呼ばなくちゃならないのか。うんざりするね」
『偶然』通りすがった翠が嫌味たっぷりに空を見て、鼻で[[rb:嘲笑 > わら]]った。
「どなた、ですか?名前を訊いてもいい?」
あからさまな弟扱いに、翠は苛々した。空を見下し鼻で空を嘲笑う。
「何にも知らないんだな。それでこの家に居座る気?」
「ごめんね」
蒼が言葉を挟もうとした瞬間、ヒソッと爺に止められた。『空様には考えがあるはずですよ』と。
「ああ、名前だったっけ……翠だよ」
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