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蒼の尻尾と耳〖第9話〗
しおりを挟む確かなことは、今日のこと。空を傷つける数々の言葉を確かに自分があの時、悪意をもって言った。『穢い』『忌み子』……なのに、今、空に言われるとあまりにつらい。因果応報だ。事実は消えない。空の澄んだ瞳で真っ直ぐ見つめられると、罪悪感で、胸が抉られるくらいに痛い。それでも、また要らない言葉で、また空を傷つけそうで怖い。昔から、暁に良く言われている言葉を思い出した。
『自分にもっと正直になれよ。大切なもの、無くすぞ?』
ここまで感情を揺り動かされる相手に出会ったのは空が初めてだ。冷たいと自分でも思うが、これが空以外なら、ここまで胸をかきむしられるような苦しさはなかった。
行き場のない切なさだけが胸を満たす。蒼は、包帯の巻かれた右手を、そっと握りの甲に頬を寄せ、
「空は『穢く』もないし『忌み子』でもない。ごめんな……酷い事言って、酷いことして。悪いそうにいちゃんなんか、嫌だよな。どうして、忘れちゃったんだろうな。待っていてくれ。必ず思い出すから」
ごめんな……何回も繰り返す。言葉を繰り返すごとに切なさは溢れる。
「悲しい顔しないで。大丈夫、解ってる。それに、待ってるから。いつまでも、答えを待ってるよ。あれ?そうにいちゃん、尻尾?」
空は尻尾に驚かない。寧ろ嬉しそうだ。──空の話は本当だと蒼は思う。問題なのは自分の記憶だ。
「ああ。耳もあるぞ。面白いだろ。触るか?」
涙をそのままに、蒼が笑うと、空は手を伸ばし、「こっちへ来て」と言った。耳に触れたいのかと顔を近づけると、空は蒼の右頬を片手でくるみ、指で蒼の涙を拭いた。
「泣かないで。それと、無理して笑わないで、そうにいちゃん」
そう言う空を抱きしめ、殺しきれない無様な声を洩らして、子供のように蒼は泣いた。
「大丈夫だよ。怪我ならすぐ治るから」
こんな時でも、空は優しい。こんな自分にも、空は優しい。
「ほら、尻尾だ。触ってみるといい。触らせるのは空だけだ」
嬉しそうに空は頷く。ふわふわだね。あったかくて柔らかい。昔と変わらないねと言い、空はそっと尾を掴む。あまりに優しく触られて少し、くすぐったい。
「どうして、そうにいちゃんには尻尾があるの?」
「そうにいちゃんは狛犬なんだよ」
普段、尾や耳を見せることまずない。養育係の爺の前くらいだ。この忌まわしい黒色。まして尾を触れられることは正直慣れてないし、苦手だが、毛並みにそって撫でる空の手は温かで心地よかった。空は熱特有の苦し気な呼吸で、
「そっかぁ。そうにいちゃんは狛犬さんだったんだ。尻尾と耳、きれい。つやつやしてる」
と柔らかに蒼を見て微笑んだ。
「空は……俺が怖くないか? 尻尾も耳も……爪も。痛くて、怖かったはずだ。……酷いことも、言った。本当はもっと、きちんと早く謝るべきだった。すまない。本当に、すまなかった。違うことを言うはずだった。暁みたいに『空が呼んだら飛んで行くよ』って、言いたかった。言いたかったんだ……。もう、言い訳だな」
「怖くなんかないよ。そうにいちゃんだもん。そうにいちゃんはこんなに夜も遅いのに、僕の手を握ってくれてる。充分だよ。ありがとう」
空が力なく笑う度に苦しくなる。どうして空は自分をこんな簡単に許してしまうんだろう。自分は空を、あんなにも、傷つけたのに。
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