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〖最終話〗ずっとあなたを──完結
しおりを挟む私は大学の植物園によく行った。薫くんは博識だった。たくさんの花の名前を教えてもらった。背中で聴いた、気の抜けた、聞きなれた声。
「トモ?お~やっぱトモだよな。お前は医学部だもんな。元気か?」
「元気だよ。ただ、忙しいかな」
一樹だった。隣には、綺麗な人がいた。
「この人な、俺の彼女。バイト先で知り合って。一目惚れされたんだ。仕事に対して真面目で気を抜かない真摯なところがいいって。美人だろ~」
大声でのろける一樹は幸せそうだった。年上の綺麗な人。私はデートの邪魔をしては悪いと、その場を後にしようとした。
「こんにちは、トモさん。薬学部3年の大和田玲子です」
この香水はデューン。砂丘という意味だ。この理知的な綺麗な人にある砂丘のオアシスは一樹だったんだと思った。一樹が、幸せそうにしていて、よかった。上品だけど、芯の強そうな瞳。
「一緒に回るか?」
「ううん、これから先約があるの。医学部1年、結城智美です。植物園素敵ですよね。倉橋くんと、楽しんでください」
先約なんかない。あるのは血液内科だ。自分の貧血のポンコツな体は、もう諦めている。いくら本で調べても、パソコンで調べて作っても、あの味にはならない。薫くんの手作りのプルーンの砂糖煮。本当に嬉しかった。
────────────
会いたい。薫くん。忙しい毎日、けれどご飯を作って、薫くんのお弁当を思い出す。コロッケの玉子焼、ピーマンのおかか炒め。後から分量を調べるために探したご飯、さくらご飯って言うんだね。
通学に使う鞄、蝶々がいる。花を待ってる。薫くん、待っているよ。早く、バラのサファイアのところに行きたいって。
あっという間にくちなしの花は咲き、金木犀は橙色の星形の花びらを散らし、街角にはイルミネーション。来年は、2人で手を繋いで歩きたい。
寂しくなったら、柚子茶を飲む。私にとって薫くんと過ごした日々は、時間は短いかもしれないけど、濃度も、密度も、詰まった、幸せな日々だった。
《ずっとあなたを》
入学式だった。在校生は出席しない。私は将棋サークルに入っていたので(ほぼ幽霊)だったのだけれど、サークルの新入生の勧誘に駆り出されそうになった。先輩には、
「今日だけはダメなんです。本当にごめんなさい」
そう言い残し、走った。覗き見した、入学式。新入生代表は薫くんだった。でも、喜んだのも束の間だった。
「あの男子格好いいね。医学部だって」
「あ、でも彼女っぽいのいたよ。結城とか言う先輩」
「そうそう、家の学校、何か変な女、結城?名前忘れたけど、不幸のヒロインがいて、そのせいで廃部になったんだよ、陸上部。瀬良さんが顧問の先生と校長先生に頼んで、陸上部を立て直したの。インターハイ高跳びで、男子があのイケメン、女子が瀬良さんが優勝したって」
「迷惑な女だよね。部まで巻き込むなよ」
「あっち系の女は被害妄想でできてるから」
「まあ、瀬良さんと付き合ってるの、周知の事実じゃん?結城?だっけ?大学入って待ってるなんて、無理無理。てかさ、瀬良さんとあの男の子に分けいる隙間ないって」
ああ、追いかけたのは私だったんだ。置いていかれたのも私だったんだ。長かったな、終わったんだな。桜が咲いている。花びらを散らしながら、しがみついてる花もある。綺麗だな。儚いな。諦めなきゃいけないのに。薫くんは、待っていてくれなかった。
『花さそふ 嵐の庭の 雪ならで
降りゆくものは 我が身なりけり』
要は花は降る、嵐の中の雪のように。けれど本当に降って、年を取ったのは自分だった、という和歌。
手を差し出すと、花が手に落ちた。
トボトボと、丁度春休みだし、いい機会だと帰省した。無駄に1年を過ごした。思い続けても、待っても、無駄だった。
私は神社には行かなかった。これ以上惨めになりたくなかった。
「ただいま。お父さんは?」
「あら、遅かったわね。宗谷さんの家で飲み会。宗谷さんは、いつ患者さんがきてもいいようにノンアルだけど。迎えにいける?」
あれから2人の確執が、溶けた。良かった。お父さん、変わった。
「夜道は少し怖いな。暗いし」
丁度その時、大きな犬の鳴き声がした。
走って私に突進してきた大きな犬は、私に身を寄せて、クゥンと甘える。マメだった。
「マメ、マメ……覚えていてくれんだ。また一回り大きくなったかな。……マメだけだよ。ご主人は、私のことが要らなくなっちゃったの……瀬良さんが……好きみたい。私、知らずに待ってた。私、馬鹿みたい。ただ、ずっと待ってたのに」
噂も、ひどいよ。もう、大学なんて真っ平よ。もう、行きたくないよ。変わったのに、頑張ったのに。あそこでも私は、あの扱いを受けるの?マメ、マメ……。
泣きながら座り込んだ私を慰めるように
マメはクゥンクゥンと、鼻を鳴らす。
泣かないで下さい。あの声と重なる。長いリードの先には、黒いTシャツとデニム。
「噂を流したのは、瀬良でした。すみません。強く言うべきでした」
「瀬良さんに?」
本気で怒ることができるのは、そんなことで関係性が終わる仲ではないと言ってることと同じなんだよ、薫くん。
「トモ先輩にです。どうして、俺を信じてくれないんですか?俺は追いかけました。追いつきました。それではダメですか?俺は待ってた!あの木槿の木の下で、今まで待ってました。なのに、トモ先輩は来ない。捨てられた犬みたいに膝を抱えて泣きました」
「ごめん。信じ……きれなかった……」
「どうして?ですか」
「私、綺麗じゃないもの。瀬良さんみたいに……む、胸ないし、明るくないし。特別魅力的な長所なんてない。暗記するのが他のひとより早いくらいだもの。メイクとお洒落は、頑張った……変わりたかったから」
薫くんは私を見詰めて言った。
「先輩は可愛くて、綺麗です。忘れないで。俺の言うことよく聴いて下さい。俺の言うことだけ信じてください」
私は、うん、と頷いた。
「噂なんて信じないで下さい。俺はトモ先輩だけを見てきました。女性として見ることができるのは先輩だけです。瀬良と付き合ってキスすると言うのは、俺に力士と付き合ってキスするのと同じことです。つまりはそういうことです」
先輩だけが特別なんです。
「先輩が笑うときは控えめだけど、目尻が下がって可愛い。覗く歯は、白くてきれいです。先輩の笑顔が好きです。俺が一番好きなもの。守りたいもの──その隣が、俺じゃなくても。ただ、俺をカケラでもいい、忘れないでいてもらえれば、それでいい。そう考えていました」
でも今は、欲張りになりました。俺だけを見て欲しいし、触れたいし、抱きしめたいし、キスしたい……。
「ダメですね俺。変です」
「変じゃないよ、私もそう……思ってた」
見つめ合う。抱きしめられると安心する。久し振りに香る、薫くんの香水。甘いのに、すっきりして爽やかで、薫くんにイメージが似てる。唇を重ねて、2年間の空白を埋める。閉じた目蓋から涙が溢れた。幸せだと、改めて思った。誤解はパラパラとほどけていった。残ったのは、まだ未来を知らない、信じたいと思った私と薫くんだ。
「先輩、たくさん思い出を作りましょう」
「うん」
「海、今度は春か、夏、時間を調整して、海の音が聴こえる貝をたくさん拾いましょう」
先輩のおかげですよ。俺も未来を夢見ることが、当たり前になれたのは。今は先輩となら、お伽噺みたいな夢も描ける。
「どうしたの?」
「あとから、いいますよ」
薫くんは、小さな呟きを笑顔で隠した。
────────────────
「おかーさん。おとーさん!うみの貝みつけたー!」
「遼、海好きか」
「好きー!」
「丁度3個になったから、おじいちゃんたちにお土産にあげてもいい?」
「うん。じいじたちにあげる。うみをおみやげにもってかえる!」
医師になり、キャリアを積んだ。薫くんと結婚して5年。私は子供を諦められなかった。
男の子を生んだ。薫くんに似た、理知的な顔をしている。薫くんは、可愛らしい発想力は私似だと言う。可愛い、可愛い遼。
あなたもいつか恋をする。その恋が幸せであるといい。千切れるような、切ない恋はあまりにもつらいから。
「この子も出会うのかな。俺が智美さんに恋に落ちたみたいに」
「いつか知るわ。私も知らなかったもの。こんなに幸せなものだったなんて」
男の子も変化をするわ。蛹からカブトムシになるのよ。
貴方の未来が幸せでありますように。あの日のように凪いだ海、陽の光が雲の切れ間から差した。
────────────【完】
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