1 / 37
いつもの君に恋してる《白亜編》
どうしようもない君が好き《1》
しおりを挟む レオナードは一直線に馬車へと向かう。
対してルシータは、えっぐ、えっぐとべそをかきながらも、火傷に効くアロエを探す。
涙でぼやけた視界の端に、イガイガした長細い葉っぱを見つけて足を止めようとした。
けれどルシータは今、レオナードに抱えあげられていて、つま先すらまともに地面についていない状態。それでは、叶うはずもない。
しかも、ちょっと待ってと声を掛けたくても、今のルシータは、アスティリアの嘘泣きとは違う。本気の涙を流している。
つまり声を出すために息を整えようとすれば、余計なものが鼻から出てしまう可能性が極めて高い。
どんなにキャパオーバーになっても、ルシータだって女の子だ。
しかも好きな人の腕の中にいる状態で、そんなもの誰が好き好んで見せたいと思うだろうか。
だから結局、ルシータはアロエを採取できぬまま、有無を言わさず馬車に乗せられてしまった。と、同時にレオナード自身もしなやかに馬車に乗り込んだ。
「───……ルシータ、頼む。お願いだから泣き止んでくれ。何でもするから」
乱暴ではないけれど、強引に馬車の座席に着席させられた途端、ほとほと困り果てたレオナードの声を聞いて、ルシータはなぜかここでプツンとキレた。
「何でもするって言うなら、熱湯なんか浴びないでよっ」
いやもう、そんなことを言ったところで遅い。
でもルシータは、あまりに動揺していて、もっとも望むことしか口に出来なかった。
「えー……それは、また難題だなぁ」
過去を変えろと無茶ぶりされたレオナードは、眉を下げて苦笑する。
でもそう言いながらも、手を伸ばしてルシータの涙を拭きとった。少し硬い親指の腹がルシータの目元をそっと撫でる。手の甲で、頬も撫でられた。
涙で濡れた皮膚が、レオナードの指を的確に感じ取って、ルシータはぞくりと背中が震える。感情を高ぶらせているせいで熱い頬に、ほんのり冷えた彼の手はとても心地よかった。
とはいえ、こんな時にあからさまに喜ぶことはできない。
ルシータは馬車の座席にきちんと着席しているけれど、レオナードは向かいの席に座っていない。床に膝をついて、ルシータを覗き込んでいる。
だから、その痛々しい顔が良く見える。
額から頬にかけて赤くなっている。なのに、相も変わらず眩しい程に美しく整っている。
彼をこんなふうにさせてしまったのは、自分のせいだ。
ルシータは心の底から自分を責めた。今、世界中の人間から「人でなし」と罵られても甘んじて受け入れたいと思う程に。
なのに、そのご尊顔の持ち主は、ルシータが憂えた顔をしているというのに、こんなことを言った。
「いやぁ、水も滴るイイ男だろ?惚れ直してくれたかい?」
「馬鹿っ」
ルシータは食い気味に、レオナードを怒鳴りつけた。
レオナードがイイ男なんて、そんなものわかりきったことだ。太陽が西に沈むのと同じくらい、当たり前のことだ。今更、水……いや、熱湯を被る必要なんてない。
それにあまりに、その発言は場違いだ。その表情も。
なんで、嬉しそうに笑っているのだろう。痛い思いをしたはずなのに。どうしてこの人は、なんでもなかったかのように振る舞えるのだろう。
熱湯を浴びていない自分が、こんなにも辛くて悲しいと言うのに。これじゃあ、まるで逆ではないか。
「......レオナード」
「ん?なんだい、ルシータ」
「痛い?」
「ぜんぜん」
「そこ......ヒリヒリしてるでしょ?」
「ちっとも」
「......嘘つき」
「嘘じゃないさ。それより、君が無事で良かった」
───……ああ、そっか。彼は超が付く格上のお貴族様だった。だからもしかして、痛いとか辛いとか、声に出すことができないだけなのかもしれない。
ルシータはそんなふうに間違った解釈をしてしまった。
そして、そんな彼に自分ができることは一つしかないと、これまた、やや斜め上の結論に達した。
「私、アロエを取ってくるっ」
「は?ちょっ、だ、大丈夫だから、ルシータっ」
馬車を飛び出そうと、ルシータが転がるように扉に手を掛けた途端、レオナードに強く腕を捕まれた。
そしてそのまま、再び着席させられる。でも、今度はレオナードは床に膝をつくことはしなかった。覆い被さるように、ここにいる。
レオナードは両の手を馬車の壁について、その腕の間にルシータを閉じ込めて、じっと見つめた。
「ここにいて。ルシータ」
至近距離なんてもんじゃない。
息がふれあうほどレオナードの顔が間近に迫れば、尊すぎるものを見た人間の心情として、目を逸らしてしまう。
だからルシータは、レオナードが次に取る行動を予測することができなかった。
「───......なっ」
ルシータは小さく声をあげた。
なんということだろうか。信じられないことに、レオナードは、今、たった今、ルシータの唇をペロリと舐めたのだ。
なかなかのことをしてくれたのに、ルシータが甘受してしまったのは、彼の行動があまりにも早かったため、反応ができなかったから。
「ああ、やっぱり傷になってるね。痛い?」
労りに満ちた眼差しをルシータに向けながら、レオナードはもう一度、そのサクラ色の唇をペロリと舐めた。
「なっ!!!!」
今度は短い言葉にありったけの感情を凝縮して、ルシータが叫んだけれど、レオナードはどこ吹く風。
むしろなんだか不機嫌と言うか、はっきり言って拗ねた表情に変わっていた。
「ねえ、ルシータ。僕、ちょっと怒っているんだけど」
「は......い?」
レオナードの表情は矛盾していた。
不機嫌そうに顔をしかめているくせに、真っ直ぐにルシータを見つめる瞳は潤み、欲情を孕んでいるかのように熱を帯びている。
ルシータは、ものの見事に固まった。
不幸中の幸いで、唇ペロリ事件は頭の隅に追いやることができた。けれど、今まさに別の危機的状況に陥っているような気がしてならなかった。
対してルシータは、えっぐ、えっぐとべそをかきながらも、火傷に効くアロエを探す。
涙でぼやけた視界の端に、イガイガした長細い葉っぱを見つけて足を止めようとした。
けれどルシータは今、レオナードに抱えあげられていて、つま先すらまともに地面についていない状態。それでは、叶うはずもない。
しかも、ちょっと待ってと声を掛けたくても、今のルシータは、アスティリアの嘘泣きとは違う。本気の涙を流している。
つまり声を出すために息を整えようとすれば、余計なものが鼻から出てしまう可能性が極めて高い。
どんなにキャパオーバーになっても、ルシータだって女の子だ。
しかも好きな人の腕の中にいる状態で、そんなもの誰が好き好んで見せたいと思うだろうか。
だから結局、ルシータはアロエを採取できぬまま、有無を言わさず馬車に乗せられてしまった。と、同時にレオナード自身もしなやかに馬車に乗り込んだ。
「───……ルシータ、頼む。お願いだから泣き止んでくれ。何でもするから」
乱暴ではないけれど、強引に馬車の座席に着席させられた途端、ほとほと困り果てたレオナードの声を聞いて、ルシータはなぜかここでプツンとキレた。
「何でもするって言うなら、熱湯なんか浴びないでよっ」
いやもう、そんなことを言ったところで遅い。
でもルシータは、あまりに動揺していて、もっとも望むことしか口に出来なかった。
「えー……それは、また難題だなぁ」
過去を変えろと無茶ぶりされたレオナードは、眉を下げて苦笑する。
でもそう言いながらも、手を伸ばしてルシータの涙を拭きとった。少し硬い親指の腹がルシータの目元をそっと撫でる。手の甲で、頬も撫でられた。
涙で濡れた皮膚が、レオナードの指を的確に感じ取って、ルシータはぞくりと背中が震える。感情を高ぶらせているせいで熱い頬に、ほんのり冷えた彼の手はとても心地よかった。
とはいえ、こんな時にあからさまに喜ぶことはできない。
ルシータは馬車の座席にきちんと着席しているけれど、レオナードは向かいの席に座っていない。床に膝をついて、ルシータを覗き込んでいる。
だから、その痛々しい顔が良く見える。
額から頬にかけて赤くなっている。なのに、相も変わらず眩しい程に美しく整っている。
彼をこんなふうにさせてしまったのは、自分のせいだ。
ルシータは心の底から自分を責めた。今、世界中の人間から「人でなし」と罵られても甘んじて受け入れたいと思う程に。
なのに、そのご尊顔の持ち主は、ルシータが憂えた顔をしているというのに、こんなことを言った。
「いやぁ、水も滴るイイ男だろ?惚れ直してくれたかい?」
「馬鹿っ」
ルシータは食い気味に、レオナードを怒鳴りつけた。
レオナードがイイ男なんて、そんなものわかりきったことだ。太陽が西に沈むのと同じくらい、当たり前のことだ。今更、水……いや、熱湯を被る必要なんてない。
それにあまりに、その発言は場違いだ。その表情も。
なんで、嬉しそうに笑っているのだろう。痛い思いをしたはずなのに。どうしてこの人は、なんでもなかったかのように振る舞えるのだろう。
熱湯を浴びていない自分が、こんなにも辛くて悲しいと言うのに。これじゃあ、まるで逆ではないか。
「......レオナード」
「ん?なんだい、ルシータ」
「痛い?」
「ぜんぜん」
「そこ......ヒリヒリしてるでしょ?」
「ちっとも」
「......嘘つき」
「嘘じゃないさ。それより、君が無事で良かった」
───……ああ、そっか。彼は超が付く格上のお貴族様だった。だからもしかして、痛いとか辛いとか、声に出すことができないだけなのかもしれない。
ルシータはそんなふうに間違った解釈をしてしまった。
そして、そんな彼に自分ができることは一つしかないと、これまた、やや斜め上の結論に達した。
「私、アロエを取ってくるっ」
「は?ちょっ、だ、大丈夫だから、ルシータっ」
馬車を飛び出そうと、ルシータが転がるように扉に手を掛けた途端、レオナードに強く腕を捕まれた。
そしてそのまま、再び着席させられる。でも、今度はレオナードは床に膝をつくことはしなかった。覆い被さるように、ここにいる。
レオナードは両の手を馬車の壁について、その腕の間にルシータを閉じ込めて、じっと見つめた。
「ここにいて。ルシータ」
至近距離なんてもんじゃない。
息がふれあうほどレオナードの顔が間近に迫れば、尊すぎるものを見た人間の心情として、目を逸らしてしまう。
だからルシータは、レオナードが次に取る行動を予測することができなかった。
「───......なっ」
ルシータは小さく声をあげた。
なんということだろうか。信じられないことに、レオナードは、今、たった今、ルシータの唇をペロリと舐めたのだ。
なかなかのことをしてくれたのに、ルシータが甘受してしまったのは、彼の行動があまりにも早かったため、反応ができなかったから。
「ああ、やっぱり傷になってるね。痛い?」
労りに満ちた眼差しをルシータに向けながら、レオナードはもう一度、そのサクラ色の唇をペロリと舐めた。
「なっ!!!!」
今度は短い言葉にありったけの感情を凝縮して、ルシータが叫んだけれど、レオナードはどこ吹く風。
むしろなんだか不機嫌と言うか、はっきり言って拗ねた表情に変わっていた。
「ねえ、ルシータ。僕、ちょっと怒っているんだけど」
「は......い?」
レオナードの表情は矛盾していた。
不機嫌そうに顔をしかめているくせに、真っ直ぐにルシータを見つめる瞳は潤み、欲情を孕んでいるかのように熱を帯びている。
ルシータは、ものの見事に固まった。
不幸中の幸いで、唇ペロリ事件は頭の隅に追いやることができた。けれど、今まさに別の危機的状況に陥っているような気がしてならなかった。
20
お気に入りに追加
10
あなたにおすすめの小説
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

婚約解消は君の方から
みなせ
恋愛
私、リオンは“真実の愛”を見つけてしまった。
しかし、私には産まれた時からの婚約者・ミアがいる。
私が愛するカレンに嫌がらせをするミアに、
嫌がらせをやめるよう呼び出したのに……
どうしてこうなったんだろう?
2020.2.17より、カレンの話を始めました。
小説家になろうさんにも掲載しています。



悪役令嬢でも素材はいいんだから楽しく生きなきゃ損だよね!
ペトラ
恋愛
ぼんやりとした意識を覚醒させながら、自分の置かれた状況を考えます。ここは、この世界は、途中まで攻略した乙女ゲームの世界だと思います。たぶん。
戦乙女≪ヴァルキュリア≫を育成する学園での、勉強あり、恋あり、戦いありの恋愛シミュレーションゲーム「ヴァルキュリア デスティニー~恋の最前線~」通称バル恋。戦乙女を育成しているのに、なぜか共学で、男子生徒が目指すのは・・・なんでしたっけ。忘れてしまいました。とにかく、前世の自分が死ぬ直前まではまっていたゲームの世界のようです。
前世は彼氏いない歴イコール年齢の、ややぽっちゃり(自己診断)享年28歳歯科衛生士でした。
悪役令嬢でもナイスバディの美少女に生まれ変わったのだから、人生楽しもう!というお話。
他サイトに連載中の話の改訂版になります。

出て行けと言って、本当に私が出ていくなんて思ってもいなかった??
新野乃花(大舟)
恋愛
ガランとセシリアは婚約関係にあったものの、ガランはセシリアに対して最初から冷遇的な態度をとり続けていた。ある日の事、ガランは自身の機嫌を損ねたからか、セシリアに対していなくなっても困らないといった言葉を発する。…それをきっかけにしてセシリアはガランの前から失踪してしまうこととなるのだが、ガランはその事をあまり気にしてはいなかった。しかし後に貴族会はセシリアの味方をすると表明、じわじわとガランの立場は苦しいものとなっていくこととなり…。

【完結】婚約者に忘れられていた私
稲垣桜
恋愛
「やっぱり帰ってきてた」
「そのようだね。あれが問題の彼女?アシュリーの方が綺麗なのにな」
私は夜会の会場で、間違うことなく自身の婚約者が、栗毛の令嬢を愛しそうな瞳で見つめながら腰を抱き寄せて、それはそれは親しそうに見つめ合ってダンスをする姿を視線の先にとらえていた。
エスコートを申し出てくれた令息は私の横に立って、そんな冗談を口にしながら二人に視線を向けていた。
ここはベイモント侯爵家の夜会の会場。
私はとある方から国境の騎士団に所属している婚約者が『もう二か月前に帰ってきてる』という話を聞いて、ちょっとは驚いたけど「やっぱりか」と思った。
あれだけ出し続けた手紙の返事がないんだもん。そう思っても仕方ないよでしょ?
まあ、帰ってきているのはいいけど、女も一緒?
誰?
あれ?
せめて婚約者の私に『もうすぐ戻れる』とか、『もう帰ってきた』の一言ぐらいあってもいいんじゃない?
もうあなたなんてポイよポイッ。
※ゆる~い設定です。
※ご都合主義です。そんなものかと思ってください。
※視点が一話一話変わる場面もあります。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる