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〖第82話〗瀬川side⑤
しおりを挟む先生は朗らかに紅茶を口に運びながら言う。
「──その傷を朱鷺くんで癒そうとしていなかったかい?
彼は人の傷に敏感に反応する。かつての私の孤独に強く呼応したように、君の孤独にも傷にも無意識に反応したんじゃないかい?
手放せなくなったろう。君のことだから、かなり駄々をこねたんじゃないかな?鳥籠にいれるように彼を束縛したんじゃないかね?
でも、それすらも彼は受け入れたんじゃないかな?それが朱鷺くんだ。
彼はすべてを許容しようとする。
その優しさを利用していないかい?
それは、恋と呼べるかな?愛と呼べるかな?
君はあの時のままだ。自殺未遂のあと、私の家に来る前。
レッスン中に遠くにお母さんの声を聞くだけで、私にしがみつき、ただ
『ごめんなさい』
を繰り返し、震えて泣いていた君と変わらない」
「違う、俺はもうあの時の俺じゃない!
確かに俺がしてきた恋愛は奪うだけのものでした。
自分の寂しさを埋めるためだけでした。
少し前までの俺は、芦崎くんを手放したくなくて、色んな酷いこともしてきました。
傷を癒すために彼を利用した時もあったかもしれない。
今は違う。今は、芦崎くんが幸せそうに笑っていたら、それでいいんです。そう思えるようになったんです。
もう、やめてください。お願いです。もう──思い出したくもないことは思い出させないでください」
声に涙が混じる。消えいるような声で俺は言った。
それには答えず、先生は、
「朱鷺くん、出ておいで。君の恋人が迎えにきたよ」
と言った。怯えた顔をした朱鷺が隣の部屋から姿を表した。
やられた、と思った。
先生は本気で朱鷺を返す気がないのかもしれないと思った。
俺が手を差し伸べても、朱鷺は首を振るばかりで手を取らなかった。
「どうしたの?帰ろう?俺と、帰ろう?ここにいてはだめだ。俺は長居するつもりはない。一緒に帰ろう?」
涙が残る声で、俺は朱鷺に話しかける。朱鷺は無言で首を振った。
「ごめんなさい、ごめんなさい先輩。僕は先輩と居る資格なんてないんです」
「どうして?」
「先輩を傷つけました。あの時、酷いことを言いました。ごめんなさい。でも何にも知らなかったんです。本当です。ごめんなさい」
下を向き、か細い声を出す朱鷺の腕を引き、自分の後ろに隠すようにして俺は言った。
「先生、しばらく芦崎くんと二人きりにして下さい。前に使っていた母屋、空いてますか?」
「ああ。あそこには今、朱鷺くんが住んでるよ」
先生は感慨深げに言った。
片付いた部屋。
俺が居た時と変わっていない。生活感がない最低限の荷物。お互いに床に座り、泣きながら「ごめんなさい」を繰り返す朱鷺の手を取る。
「何を謝るの?何で泣くの?話してごらん」
俺は努めて優しく穏やかに話しかける。
ぽろぽろと、泣く朱鷺の薄茶の虹彩を月が照らす。
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