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〖第55話〗朱鷺side①
しおりを挟む「まだ雪にはならないんだ。こんなに寒いのに」
独り言をぽつりと呟く。細かい霧雨にも似た雨が、黒の僕のモッズコートを濡らす。
黒だからどこが濡れているか解らない。僕はみっともない泣き顔だ。行き先も考えずただ歩いた。
早く忘れなければいけないと思う。じゃないと先に進めない。
思い出すのは眼鏡の奥の寂しげな瞳。
水のような手。
『朱鷺くん』と僕を呼ぶ声。乾いた砂に水を与えるように僕に浸透する声。
手に口づけされて、『君が好きだよ』と、その声で言われた時、まるで声に抱かれているみたいだと思った。
合鍵は置いてきたけれど僕の心も置いてきたままだ。
忘れるなんて、無理だ。
好きだった。本当に好きだった。
先輩は僕を好きでいてくれたのだろうか?僕の不在を不安がっていたけど、今日の態度を見る限り今の彼にそれはなさそうだった。
ただ、繋ぎ止めておきたいだけだったのかもしれない。
冴えない僕を、まるで珍しい鳥を飼うみたいに、籠に入れておきたかっただけなのかもしれない。
最近やっと足枷を外してくれたけど、その鳥が繋ぎ止められている間、何を苦しんでいるのか、何を欲して要るのか、先輩は理解してくれようとはしなかった。
さっきの言葉は、何よりも僕を切り刻んだ。
──それでも、あの人を思い出してしまうのは誰よりも、何よりも、あの人のことが好きだったからだ。
***
公園が目に入る。そう言えば二人で暮らしている時、先輩の調子が良い日に、よく散歩をしたことを思い出す。
公園にベンチがなくてブランコに座ると、先輩があまりにもブランコが似合わなくて、僕はつい笑ってしまった。
つられて先輩も笑った。
お互いの笑顔を見るだけで完結する関係なんて夢物語かもしれないけれど、僕はそんな夢を見たかった。先輩が嬉しそうに笑ってくれる。それだけで良かった。
「朱鷺、見つけた」
振り返る。真っ白い息を吐き、息苦しそうに鷹さんは言う。
「た、鷹さん。どうして?」
「お前が泣いてるんじゃないかって心配で堪らなかった。大丈夫か?」
まだ鷹さんの呼吸は整わない。本当に苦しそうだ。取り敢えず横に座るよう促す。
「大丈夫、なのか?」
「──あまり大丈夫ではないけれど、頑張ります。時間がかかるかもしれないけれど、綺麗な思い出にします」
言った瞬間また、こらえていた涙が出た。
自制心のない涙腺に僕は従う。泣きながら鷹さんにしがみついた。
「先輩に褒めてもらいたかっただけなのに、やっと自信がついたのに!こんなモジャモジャした頭は嫌だったんです。病院でも先輩は僕のこと
『モジャモジャ頭の冴えない子供』
って言ってた。香織先生や、鷹さんみたいに隣に居て恥ずかしくないようになりたかった。それすら解ってて無視してた。ひどいよ。ずっと悩んでいた僕は何だったの?僕だって変わりたかったのに!」
鷹さんにしがみつく。
こんな時でもあの人の影がよぎる。
『君は泣き虫だね』
そう言い水のような手で頬をくるみ困ったように微笑んだあの人。
忘れなければいけないと思えば思うほど、感覚は鮮明になって僕を苦しめる。
しがみついているのは鷹さんなのに、思い出しているのは
いつもどこか寂しい目をしていたあの人だった。
鷹さんに悪いことをしているとは解っている。けれど、浮かんでくる先輩の面影が消えない。
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