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〖第9話〗瀬川side③

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「朱鷺くん、朱鷺くん!返事しろ、返事をしてくれ!鷹、鷹、どうすればいい?俺のせいだ、俺の……また、俺のせいで……」

 鷹が俺の肩を揺すった。

「瀬川!落ち着け!熱中症だ。救急車呼べ!守衛さんに、連絡しろ!この子の名前は?……おい、瀬川!お前がしっかりしなくてどうすんだ!」

 手が震えてスマートフォンが持てない。あの時と同じだ。赤い絨毯が、赤が、あの時と重なる。

「守衛さんに救急車呼んでもらった。その子の名前は?」

「朱鷺、深谷朱鷺」

「年は?」

「十八、くらい」

 自分が朱鷺についてあまりに何も知らないことに驚いていた。音楽の事以外、住所も、誕生日、年齢さえも。
 
 必要ではない事かもしれない。でも、これだけ会って話して、笑顔を交わして、家に初めて泊めた朱鷺をここまで知らない事実に、今、愕然とする。
 
 病院について朱鷺がERに運ばれた時、生きた心地がしなかった。遠くから見える朱鷺には点滴をうたれ、鼻にチューブが入っていた。処置の後、もう少し遅かったら危なかった。と説明を受けた。
 
 鷹のお陰だ。俺は何も出来なかった。暫くし、朱鷺は救急の部屋から一般の個室へ移動になった。
 
 鷹が全部手続きしてくれた。俺は何も役に立たないという大きな無力感が襲う。
 
 病院特有の消毒薬の臭い。病んだ臭い。点滴をうたれている左手。小さい手。俺は胸に脱力して乗せられた右手を握る。

「ごめんね。朱鷺くん──ごめん」

 熱いけれど乾いた頬。くしゃくしゃの髪に触れる。びっしり瞼に縁取られた睫毛が綺麗だ。
 
 口に目がいく。綺麗な声で歌うか、俺の好みの声で話す。形のよい口。右手の中指で、やけに赤い唇をなぞる。
 
 椅子に腰かけ、暫く動きも喋りもしない朱鷺をじっと見ていた。ドアが開く。鷹だった。

 俺を見てため息をつき、ペットボトルの烏龍茶を差し出した。

「ほら、お茶でも飲め。恋人が自分のせいで倒れてショック受けてるのは解るけど、お前が落ち着かなくてどうすんだ」

「充分落ち着いてる。それに言うの遅れたけど、この子は恋人なんかじゃないんだ」

「どういうことだよ」

 訝しげに鷹が俺を見る。

「ちょっとした遊び。お前に『男の恋人ができた』って言ったらどんな反応するかなって思って。まさか、こんな暑い中を一時間待ってるなんてねびっくりだよ」

 何で俺はこんなことを言っているんだろう。口がすらすら勝手に動く。言いたいことはこんなことではないはずだ。

「お前、本気で言ってんのか」

「まあね。嘘を言って、なんか俺は特をするか?たまたま教会で会って、面白そうな子だなって思って簡単なレッスンしてあげてる子なんだ。声が綺麗な子でね。でも、それだけ。恋愛対象でもないし、遊び相手でもない。ただの暇つぶしだよ。こんな冴えないモジャモジャ頭の子供、誰が本気で面倒なんて──」

 言い終わらないうちに、思いっきり鷹に頬を張られた。

「いい加減にしろよ。この子は死にかけたんだぞ!帰れ。俺が面倒見る」

「面倒見るって、お前にとって何にも知らない他人だろ?いいよ、俺、暇だし」

「──この病院に少し用事もある。それに何なんだ『暇だし』っつうのは。頭冷やしてこい!早く、早く出てけ!」

「はいはい。解ったよ」

 パタンとドアが閉まる。俺が病室の外に出ると同時に部屋から聴こえたのは朱鷺の嗚咽だった。苦しそうに咽び、ずっと朱鷺は泣いていた。

──全部、聴いてた。

 でも、俺のいる前では泣きたくなかったんだろうと思う。鷹は解っていた。面と向かって罵倒された方が良かった。あんなこと言うつもりじゃなかった。
 
 君はモジャモジャ頭の冴えない子供なんかじゃない。教会の傾いた日差しを受けて歌う姿は髪の色が金色に反射してとても綺麗だった。

 まるで天使の巻き毛。あの稀有な声はギフト。

「ごめんね──」

 ただの後悔じゃ濃度が足りない。どうして口にしたい言葉が、必要な言葉が出てこないのか。口にすべきでない言葉は澱みなく出てくるのに。

 朱鷺の顔を思い出そうとする。笑顔も確かにあったはずなのに、どうしても、悲しそうに微笑む顔しか思い出せない。
    
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