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第3章

兎の悲しい別れの挨拶

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俯く祥介が繰り返す。

『切ない』『悲しい』と呼んでいる。



雛が親鳥を呼ぶように。
ただ、今回は祥介の彼女が首謀者だった。

強気な口調と柔らかな口調を使い分けるのが上手な綺麗な子。

 『根暗が身の程を知れよ。キッモ!』

椅子を蹴られ、転がる椅子と共に床に落ちた。身体中を色んなひとに踏まれた。

『助けて、助けて、祥介』

心の中で祥介を呼んだ。
祥介はいない。助けに来ない。
あるのは笑い声。

怖くて、
怖くて、
半泣きで逃げた。
後ろからへばりつく嘲笑。
そんなことが、日常茶飯事になっていた。 


「祥介」

 秋彦は優しく祥介に語りかける。

「僕は加野さんを許せない。取り敢えず職員会議にかけてもらう。
いいね?満足な結果がでなかったら、
警察にいく。メディアも使う。
社会的制裁を受けてもらう。
もちろん法にも訴える」

「秋彦…」

 俯き、視線を床に落とす祥介を見て、秋彦は語気を強めた。

 「庇うんだ。やっぱり庇うんだ。やりすぎじゃないかって!
僕はこのポンコツの脚と一生一緒に生きなきゃならない。
リハビリもしてるけど難しいって。
今、杖をつかなきゃ満足に歩けない僕の気持ちが祥介に解る?
それに、一階以上、
上に満足に行けない学校生活を残り、あと一年と半年、どう過ごせば良いんだよ!」 


涙をためて秋彦は目の前のローテーブルを両手で音をたてて叩いた。


 「髪を切るだけで、コンタクトにするだけで人間の扱いを受けられるんだね。
今日まだ一回も、廊下を歩って『キモい』って言われてないよ。
でも、皆チラチラこっちを見るんだ。
足を見てね。
怖いよ。解る?怖さの理由が解る?
支える足を蹴られたら?
倒れたあと無事な足まで痛め付けられたら?ずっと普通に憧れてた。
やっと僕は変われた。
なのに!なのに!祥介を見てるとイライラするよ。順風満帆の人生だね。あとは可哀想な従兄弟のお世話しに来たんだ。
慈善事業も結構なことだね!」


涙ぐみ吐き捨てるように言葉を繋げる秋彦を祥介は、無言で抱き寄せた。

もちろん秋彦は暴れた。
『離して』と暴れる力は祥介には非力で、いたいけだった。

力を込めて祥介は、秋彦を抱きしめ続けた。


 「悔しかったな。つらかったな。俺も、加野も許せないよな」

小さく秋彦は祥介の胸の中で頷いた。

「痛かったな。プライドも心も身体も痛め付けられて」

小さく秋彦は頷く。

「俺もグルだと、思ってたんだな。いつも、俺がいないとこで痛め付けられていたから」 

もう一度、秋彦は頷いた。 

「何の役にもたたなかった。いつも『守るから』なんて言っといて、お前の頬を打った」

 微かな声で「痛かったよ」と秋彦は言った。 

「ごめんな。秋彦は俺に会いたくないよな。でも俺は会いたい。声が聞きたい…。放課後、谷崎との約束がない日でいい。ここに来て良いか?」

秋彦は黙って首を横に振った。小さく、 

「もう、来ないで」

秋彦は言った。祥介は此処にいてはいけない。廃墟のような自分の薄暗い心に囚われてはいけない。

祥介は昔のまま、全てが明るく輝いて見えた、あのカルガモの親子を眺めていたときのような、そんな未来だけを見ていて欲しい。 
そのために、自分はいない方がいい。そう、秋彦は思った。



─────────────続
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