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第3章
兎が選んだのは、誰?
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「雨やまないね、谷崎くん」
「雨もよく飽きませんね。でも土曜から週間天気晴れなんです。先輩、梅雨明けますね。今日関東甲信越、梅雨明けって。
長かった梅雨もおしまい。
今度の日曜、出かけませんか?前に言ったじゃないですか。髪を切ろうって。眼鏡も新しくして、心機一転しましょう。もうすぐ夏休みですよ?夏期講習は余計だけど」
夕立のような雨は、叩きつけるように降る。
「先輩、傘使って。俺ん家すぐ近くだから」
「近くじゃないよ。一緒に待てば、雨をやり過ごすのも早いよ」
「俺は大丈夫です。じゃ、日曜日に、駅近くのパンケーキ食べたカフェで」
秋彦の姿が見えなくなるまで走る。秋彦には谷崎が棲んでるところは一番解っていた。後ろ姿ばかり見てきた。優しいライオン。
谷崎にとっては、正直に言えば、触れたい、抱きしめたい、キスしたい。
けれど、秋彦が必要としているのは、欲しいのは、自分ではない。
秋彦には嫌悪の対象だろう。
泣きながら謝られるのは目に見えている。 なら秋彦が幸せになるように。
笑顔を取り戻せるように。
楽しい毎日が送れるように。
そう願わずにはいられない。
隣に居るのが、自分ではなくても。
そう思い谷崎は俯いた。
雨で良かったと思った。全て、雨だ。
泣いてなんかいない。ただの水だ。あのひととの思い出が多すぎる、梅雨の生温い、止まることの知らない涙は自分らしくない。
昼休み、谷崎は保健室倉庫に通う。秋彦の喜ぶようなものを持って。
「先輩!購買でチョコクリームパン、ゲット!ラスト一個だったんです。半分しましょう!」
「ありがとう。気を使わせて、ごめんね。これ本当に美味しいよね。あと、この前の雨、大丈夫だった?傘ありがとうね」
「丈夫だけが取り柄ですから」
敢えて祥介の話はしなかった。
「マイボトルだけど、冷たい紅茶、飲む?」
ソファの隣に座った谷崎は秋彦の形のいい赤い口唇を見つめる。
ボトルから口を離したその口唇に、谷崎は口唇を重ねた。
触れるだけのほんの一秒くらいのキスだった。
「すみません、そ、その…俺…ごめんなさい。何か、その、先輩…嫌わないで、下さい」
大柄な身体を縮こませ、谷崎は俯いた。
「嫌ったりしないよ。じゃあ、この話はおしまい。なかったこと、ね。谷崎くん、泣いてるの?」
谷崎の薄茶色の目からポロリと涙が落ちた。声も出さず肩を震わせて小さな嗚咽が部屋に響いた。
「…ソファ、ちょっと寄るね」
秋彦は谷崎を胸に抱き髪を撫でた。ライオンのたてがみのような金色。
「ごめんね。『なかったこと』なんか言って。僕ばっかり谷崎くんに頼って、
谷崎くんの気持ちを考えたことなかった。
苦しいのは僕だけじゃなかったんだね。
それなのに、
沢山話を聞いてくれて…つらかったよね。
谷崎くん、ありがとう。
祥介がいなかったら、僕はきっと谷崎くんを好きになってた。いつもありがとう。
谷崎くん。
谷崎くんには感謝しかない。
まるで『幸福な王子』だね。
谷崎くんは、与えることしかしない。
僕は貰うばかり。何もあげられなかった。
ごめんね…これからどうしようか?」
腕を離すと、谷崎の涙でグシャグシャの顔がそこにはあった。谷崎は秋彦を見上げた。
「このままで、先輩…このままで。友達でいさせてください。もう、あんなこと、しませんから」
秋彦は谷崎の頬の涙を細い指先で拭う。
「本当に?それでいいの?」
力なく頷く谷崎に秋彦は、
「『秘密の場所』教えてあげるよ。昼ご飯、持っていこう」
そう微笑みながら秋彦は言い、谷崎の節くれた指を掴む。
保健室を窓際の、外へ行く入り口を出て、犬走沿いに歩いていくと山梔子の花が囲むように咲くとても小さな庭があった。 秋彦が自分から初めて繋いだ指。谷崎はずっとこの道が続けばいいと思った。華奢で、小さくてちょっと冷たい手。
「昼休みになると、いつもここに来てた。
静かでしょ?
たまに誰かが二階の音楽室のピアノを練習してる音が聞こえるだけ。
学校に行く途中にパン屋さんで買ったパンを食べながら、
マイボトルに朝淹れた冷たい紅茶を飲むのが、一番の楽しみだったんだ。
一番落ち着く場所。
祥介も知らない。教えるつもりもない。
僕に出来ることはこのくらいしかないんだ。ごめんね。
でも、嬉しかったよ。
本当に。谷崎くん、一緒にチョコクリームパン、食べよう?あと、日曜の計画もたてよう?泣ききるまで今度は僕の胸を貸すよ」
秋彦と谷崎は芝生に座り込む。秋彦は優しく谷崎を抱きしめ、片手で秋彦は谷崎の髪を撫でる。 谷崎は始めて秋彦の胸の匂いを知った。
甘い、お菓子のような柔らかなその匂いに涙がとまらなかった。
優しい香りに叶わない想いが昇華すようとしている。やっと苦しい恋が終わった。谷崎は両目を素早くシャツの袖で拭って、
「ありがとうございます、先輩…パン、食べましょ?」
「うん。あ、こっちのおっきいのあげるよ」
「いえ、先輩が。俺、先輩の食べてるの見るの好きなんです。本当に美味しそうに食べるから」
────────────続
「雨もよく飽きませんね。でも土曜から週間天気晴れなんです。先輩、梅雨明けますね。今日関東甲信越、梅雨明けって。
長かった梅雨もおしまい。
今度の日曜、出かけませんか?前に言ったじゃないですか。髪を切ろうって。眼鏡も新しくして、心機一転しましょう。もうすぐ夏休みですよ?夏期講習は余計だけど」
夕立のような雨は、叩きつけるように降る。
「先輩、傘使って。俺ん家すぐ近くだから」
「近くじゃないよ。一緒に待てば、雨をやり過ごすのも早いよ」
「俺は大丈夫です。じゃ、日曜日に、駅近くのパンケーキ食べたカフェで」
秋彦の姿が見えなくなるまで走る。秋彦には谷崎が棲んでるところは一番解っていた。後ろ姿ばかり見てきた。優しいライオン。
谷崎にとっては、正直に言えば、触れたい、抱きしめたい、キスしたい。
けれど、秋彦が必要としているのは、欲しいのは、自分ではない。
秋彦には嫌悪の対象だろう。
泣きながら謝られるのは目に見えている。 なら秋彦が幸せになるように。
笑顔を取り戻せるように。
楽しい毎日が送れるように。
そう願わずにはいられない。
隣に居るのが、自分ではなくても。
そう思い谷崎は俯いた。
雨で良かったと思った。全て、雨だ。
泣いてなんかいない。ただの水だ。あのひととの思い出が多すぎる、梅雨の生温い、止まることの知らない涙は自分らしくない。
昼休み、谷崎は保健室倉庫に通う。秋彦の喜ぶようなものを持って。
「先輩!購買でチョコクリームパン、ゲット!ラスト一個だったんです。半分しましょう!」
「ありがとう。気を使わせて、ごめんね。これ本当に美味しいよね。あと、この前の雨、大丈夫だった?傘ありがとうね」
「丈夫だけが取り柄ですから」
敢えて祥介の話はしなかった。
「マイボトルだけど、冷たい紅茶、飲む?」
ソファの隣に座った谷崎は秋彦の形のいい赤い口唇を見つめる。
ボトルから口を離したその口唇に、谷崎は口唇を重ねた。
触れるだけのほんの一秒くらいのキスだった。
「すみません、そ、その…俺…ごめんなさい。何か、その、先輩…嫌わないで、下さい」
大柄な身体を縮こませ、谷崎は俯いた。
「嫌ったりしないよ。じゃあ、この話はおしまい。なかったこと、ね。谷崎くん、泣いてるの?」
谷崎の薄茶色の目からポロリと涙が落ちた。声も出さず肩を震わせて小さな嗚咽が部屋に響いた。
「…ソファ、ちょっと寄るね」
秋彦は谷崎を胸に抱き髪を撫でた。ライオンのたてがみのような金色。
「ごめんね。『なかったこと』なんか言って。僕ばっかり谷崎くんに頼って、
谷崎くんの気持ちを考えたことなかった。
苦しいのは僕だけじゃなかったんだね。
それなのに、
沢山話を聞いてくれて…つらかったよね。
谷崎くん、ありがとう。
祥介がいなかったら、僕はきっと谷崎くんを好きになってた。いつもありがとう。
谷崎くん。
谷崎くんには感謝しかない。
まるで『幸福な王子』だね。
谷崎くんは、与えることしかしない。
僕は貰うばかり。何もあげられなかった。
ごめんね…これからどうしようか?」
腕を離すと、谷崎の涙でグシャグシャの顔がそこにはあった。谷崎は秋彦を見上げた。
「このままで、先輩…このままで。友達でいさせてください。もう、あんなこと、しませんから」
秋彦は谷崎の頬の涙を細い指先で拭う。
「本当に?それでいいの?」
力なく頷く谷崎に秋彦は、
「『秘密の場所』教えてあげるよ。昼ご飯、持っていこう」
そう微笑みながら秋彦は言い、谷崎の節くれた指を掴む。
保健室を窓際の、外へ行く入り口を出て、犬走沿いに歩いていくと山梔子の花が囲むように咲くとても小さな庭があった。 秋彦が自分から初めて繋いだ指。谷崎はずっとこの道が続けばいいと思った。華奢で、小さくてちょっと冷たい手。
「昼休みになると、いつもここに来てた。
静かでしょ?
たまに誰かが二階の音楽室のピアノを練習してる音が聞こえるだけ。
学校に行く途中にパン屋さんで買ったパンを食べながら、
マイボトルに朝淹れた冷たい紅茶を飲むのが、一番の楽しみだったんだ。
一番落ち着く場所。
祥介も知らない。教えるつもりもない。
僕に出来ることはこのくらいしかないんだ。ごめんね。
でも、嬉しかったよ。
本当に。谷崎くん、一緒にチョコクリームパン、食べよう?あと、日曜の計画もたてよう?泣ききるまで今度は僕の胸を貸すよ」
秋彦と谷崎は芝生に座り込む。秋彦は優しく谷崎を抱きしめ、片手で秋彦は谷崎の髪を撫でる。 谷崎は始めて秋彦の胸の匂いを知った。
甘い、お菓子のような柔らかなその匂いに涙がとまらなかった。
優しい香りに叶わない想いが昇華すようとしている。やっと苦しい恋が終わった。谷崎は両目を素早くシャツの袖で拭って、
「ありがとうございます、先輩…パン、食べましょ?」
「うん。あ、こっちのおっきいのあげるよ」
「いえ、先輩が。俺、先輩の食べてるの見るの好きなんです。本当に美味しそうに食べるから」
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