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第2章
好きだとはいえない①
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「年取ってビール腹になっても、先輩は優しい顔した仔ウサギなんだろうなぁ。そういえば大将も『あの子は食いっぷりが良いね。それに食い方綺麗だし、旨そうに食うね』って言ってました」
「わ、大将さんが?嬉しいな」
優しい大将さん。『あの件』の日、夜遅く病院からの帰り、あの大将のラーメン屋さんへ寄った。谷崎くんは荷物を持ってくれて、松葉杖をつく秋彦に、
『暖かいもの、食べてきましょう。落ち着きますから』
と言い、店に寄った。一緒に醤油ラーメンを食べた。温かくて、ホッとして引っ込んだ涙がまた出てきそうになったとき、大将さんが、
『アキちゃんも潤ちゃんも元気ねぇなあ。これ食って元気だしな』
差し出されたのは、あんかけの野菜炒めと大盛りメンマ。
『サービスだから。遠慮しねえでいいから』
『美味しいです。美味しい…。大将さん、有難うございます』
さりげない優しさがありがたくて、胸が酸っぱいものを飲み込んだようにキュッと苦しくなった。あんなに悲しくてつらくてたまらなかった気持ちが、痛みが、大将さんの料理の湯気に白く消えていく気がした。残ったのは、大将さんの優しさと、有り難さ。敢えて何も訊かないという子供のプライドを解ってくれる大人の気遣い。
『美味しい。谷崎くん、美味しいね…』
鼻をすすりながら食べた。大将さんの見守るような微笑みが嬉しかった。
『先輩、旨いっすね』
『うん…生きてて、良かった』
その一言を言った瞬間、涙が滝のように流れた。あのとき、手すりを飛び越えていたら、この味には会えなかった。
『ご馳走さまでした』
『いつでもおいで。待ってるよ。アキちゃん。潤ちゃんも、俺にとっちゃ孫みてぇなもんだからな。気ぃつけて帰んな!』
「あ、谷崎くん、雨だ。僕は雨宿りしながら行くよ。先に行って。ごめんね」
「まだ、痛いですか?」
「うん…。治らないかもしれない。リハビリは頑張るけど」
一瞬谷崎は眉を顰めたけれど、
「先に行って作ってますから」
そう笑って、これ傘がわりにと制服の上着を脱いだ。
「悪いよ」
「いいから。俺は平気です。先輩身体弱そうだから被って。俺平気ですから」
秋彦は、遠ざかる谷崎を見つめる。速くて軽い足取りに見とれた。
雨がいよいよ本降りだ。一足先に家に着いた谷崎は、着替え、髪をタオルで乾かしながら部屋を片付けお湯を沸かす。
谷崎の父はやけにお茶にこだわる。秋彦の冷えた身体を考え、熱目のほうじ茶をいれようと思った。部屋もエアコンで暖房を入れた。
今日、ちらりと見た、容姿が整った少し冷たい印象のすらりと背の高い、色が白めの、葉山祥介という、秋彦の好きなひと。
それにしても秋彦のクラスのリーダーの加野絵理子とか言う女子、猫かぶりは大したものだ。穏和そうなメイク、口調。
『祥介くんのことで、相談があるの。幼馴染みなんでしょ?話聞いてくれないかな?』
おびきだす文句。放課後、図書委員の仕事を終え帰るところだった。そのまま、二人でまんまと蜘蛛の糸にかかった。
隠れていた男子生徒に羽交い締めにされ紐で縛られた。けれど動きを取れなくされても、あのスマートフォンの一部始終の録画。秋彦の屈辱的な扱い、無惨な姿を悔し泣きしながら隠して撮った。何も出来ない自分が悔しかった。
けれど、相手の奴等もスマホは取り上げたが、谷崎が私用とゲーム用二つスマホを持っているとは思ってはいなかったらしい。証拠はパソコンとUSBに二重にコピー済みだ。
秋彦も自分がどんな目に遭ったかは言わないだろう。
もちろん、あの加野という女性徒も当然口は割らないだろうし、嘘は大の得意科目だろう。逆に下手につつけば今度は葉山祥介と秋彦の幼馴染みの関係を利用して上手く被害者ぶるかもしれない。
谷崎の親は弁護士だ。ひとをいじめる奴は、たいした罪悪感を持っていない場合が多い。しかもそう言う奴等はコミュニケーション能力が高く弁がたち、
裏表を使い分け、反省することなく、上手く立ち回るが多い。加野は典型的なそのタイプだ。
祥介には真実を知らないまま、
あの痛みに歪める顔を知らないまま。泣き叫んだ声を知らないままでいて欲しくない。
真実を知って欲しい。
あの加野に騙されたままではいて欲しくない。秋彦の想いが、報われない。
このまま二人の関係が終わる。ただの他人になる。それだけは、谷崎は嫌だった。
それに、大切なひとを助けることもできずに目の前で傷つけられて、そのひとを泣きながら手すりから引き剥がす苦しみを味あわせたい。加野の彼氏として。それくらいの責任はあるはずだ。
谷崎は自分が秋彦に惹かれていると解っている。そして、今の弱ったウサギのような秋彦を言葉巧みに絡めとるのはきっと容易いだろうことも。でも、谷崎が欲しいものは違う。
『美味しいね、谷崎くん』
『谷崎くん、今度ご飯作ってあげるよ』
『谷崎くん、ありがとう』
ただ、秋彦が笑った顔が見たい。幸せでいて欲しい。そこに自分がいないのは、少し寂しいけれど。
綺麗ごとかもしれない、それでも、卑怯な真似はしたくないと谷崎は思った。昔から父に言われた。
『卑怯な真似はするな。正しく恥ずかしくない自分でありなさい。誰も見てない何て考えるな。自分が見ている。一番の目撃者だ』と。
『頼れる後輩』を隠れ蓑にして、この想いが昇華するのを待とう。そう思いながら谷崎は火にかけたケトルを見つめた。
「先輩が笑っていたら、それでいい」
絡んだ糸は、ほどかなければならない。
────────────続
「わ、大将さんが?嬉しいな」
優しい大将さん。『あの件』の日、夜遅く病院からの帰り、あの大将のラーメン屋さんへ寄った。谷崎くんは荷物を持ってくれて、松葉杖をつく秋彦に、
『暖かいもの、食べてきましょう。落ち着きますから』
と言い、店に寄った。一緒に醤油ラーメンを食べた。温かくて、ホッとして引っ込んだ涙がまた出てきそうになったとき、大将さんが、
『アキちゃんも潤ちゃんも元気ねぇなあ。これ食って元気だしな』
差し出されたのは、あんかけの野菜炒めと大盛りメンマ。
『サービスだから。遠慮しねえでいいから』
『美味しいです。美味しい…。大将さん、有難うございます』
さりげない優しさがありがたくて、胸が酸っぱいものを飲み込んだようにキュッと苦しくなった。あんなに悲しくてつらくてたまらなかった気持ちが、痛みが、大将さんの料理の湯気に白く消えていく気がした。残ったのは、大将さんの優しさと、有り難さ。敢えて何も訊かないという子供のプライドを解ってくれる大人の気遣い。
『美味しい。谷崎くん、美味しいね…』
鼻をすすりながら食べた。大将さんの見守るような微笑みが嬉しかった。
『先輩、旨いっすね』
『うん…生きてて、良かった』
その一言を言った瞬間、涙が滝のように流れた。あのとき、手すりを飛び越えていたら、この味には会えなかった。
『ご馳走さまでした』
『いつでもおいで。待ってるよ。アキちゃん。潤ちゃんも、俺にとっちゃ孫みてぇなもんだからな。気ぃつけて帰んな!』
「あ、谷崎くん、雨だ。僕は雨宿りしながら行くよ。先に行って。ごめんね」
「まだ、痛いですか?」
「うん…。治らないかもしれない。リハビリは頑張るけど」
一瞬谷崎は眉を顰めたけれど、
「先に行って作ってますから」
そう笑って、これ傘がわりにと制服の上着を脱いだ。
「悪いよ」
「いいから。俺は平気です。先輩身体弱そうだから被って。俺平気ですから」
秋彦は、遠ざかる谷崎を見つめる。速くて軽い足取りに見とれた。
雨がいよいよ本降りだ。一足先に家に着いた谷崎は、着替え、髪をタオルで乾かしながら部屋を片付けお湯を沸かす。
谷崎の父はやけにお茶にこだわる。秋彦の冷えた身体を考え、熱目のほうじ茶をいれようと思った。部屋もエアコンで暖房を入れた。
今日、ちらりと見た、容姿が整った少し冷たい印象のすらりと背の高い、色が白めの、葉山祥介という、秋彦の好きなひと。
それにしても秋彦のクラスのリーダーの加野絵理子とか言う女子、猫かぶりは大したものだ。穏和そうなメイク、口調。
『祥介くんのことで、相談があるの。幼馴染みなんでしょ?話聞いてくれないかな?』
おびきだす文句。放課後、図書委員の仕事を終え帰るところだった。そのまま、二人でまんまと蜘蛛の糸にかかった。
隠れていた男子生徒に羽交い締めにされ紐で縛られた。けれど動きを取れなくされても、あのスマートフォンの一部始終の録画。秋彦の屈辱的な扱い、無惨な姿を悔し泣きしながら隠して撮った。何も出来ない自分が悔しかった。
けれど、相手の奴等もスマホは取り上げたが、谷崎が私用とゲーム用二つスマホを持っているとは思ってはいなかったらしい。証拠はパソコンとUSBに二重にコピー済みだ。
秋彦も自分がどんな目に遭ったかは言わないだろう。
もちろん、あの加野という女性徒も当然口は割らないだろうし、嘘は大の得意科目だろう。逆に下手につつけば今度は葉山祥介と秋彦の幼馴染みの関係を利用して上手く被害者ぶるかもしれない。
谷崎の親は弁護士だ。ひとをいじめる奴は、たいした罪悪感を持っていない場合が多い。しかもそう言う奴等はコミュニケーション能力が高く弁がたち、
裏表を使い分け、反省することなく、上手く立ち回るが多い。加野は典型的なそのタイプだ。
祥介には真実を知らないまま、
あの痛みに歪める顔を知らないまま。泣き叫んだ声を知らないままでいて欲しくない。
真実を知って欲しい。
あの加野に騙されたままではいて欲しくない。秋彦の想いが、報われない。
このまま二人の関係が終わる。ただの他人になる。それだけは、谷崎は嫌だった。
それに、大切なひとを助けることもできずに目の前で傷つけられて、そのひとを泣きながら手すりから引き剥がす苦しみを味あわせたい。加野の彼氏として。それくらいの責任はあるはずだ。
谷崎は自分が秋彦に惹かれていると解っている。そして、今の弱ったウサギのような秋彦を言葉巧みに絡めとるのはきっと容易いだろうことも。でも、谷崎が欲しいものは違う。
『美味しいね、谷崎くん』
『谷崎くん、今度ご飯作ってあげるよ』
『谷崎くん、ありがとう』
ただ、秋彦が笑った顔が見たい。幸せでいて欲しい。そこに自分がいないのは、少し寂しいけれど。
綺麗ごとかもしれない、それでも、卑怯な真似はしたくないと谷崎は思った。昔から父に言われた。
『卑怯な真似はするな。正しく恥ずかしくない自分でありなさい。誰も見てない何て考えるな。自分が見ている。一番の目撃者だ』と。
『頼れる後輩』を隠れ蓑にして、この想いが昇華するのを待とう。そう思いながら谷崎は火にかけたケトルを見つめた。
「先輩が笑っていたら、それでいい」
絡んだ糸は、ほどかなければならない。
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