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第1章

カルガモの2人と新しいカルガモ②

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祥介は、初めて聞く秋彦のここまでの弱々しい声の中、秋彦が、初めて見せた悲しみが濃縮したような顔を見て俯いた。

 自分がここまで秋彦を傷つけた。
 秋彦の力ない笑顔が祥介の胸に刺さった。 

「祥介と住んでること。そのことは、祥介と葉山の叔父さんと叔母さんしか知らないよ。勿論、誰にもいってない。
谷崎くんにも言ってない。
最初から特に誰にも言うつもりもなかったし、それに、暮らし始めたとき
『二人の秘密』て笑った祥介が、
小さい頃に河原に秘密基地を作ったときみたいで嬉しかったから。
だから、誰にも言ってないよ」

秋彦は、その大きな瞳から大粒の涙をポロリとこぼした。

「ねぇ、祥介………僕は本当に祥介の友達?それとも、ただのお荷物?………僕は欲張りすぎたの?祥介以外の友達は作っちゃいけないの?………それと、僕は、僕は………恥ずかしかったんだね、祥介………」 

「………秋彦、違う!そんなことない!誤解だ、誤解してる!」

 秋彦は静かに淡々と話す。 

「謝ろうって。最近遅くなって悪かったなって、思ってたんだよ。
本当だよ………それに、美味しいものを食べたりするたびに、
祥介の顔が浮かんだよ。
一緒に食べたい、喜ぶだろうなって。
いつも、祥介のことが浮かんだ。
一生懸命作ったサラダと揚げワンタン、スープも全部トイレの中だね。
ごめんね。もう二度と祥介のために料理は作らない」 

「………」

 祥介は下を向いて口唇を噛んだ。 

「僕は変わりたい。もう耐えられないよ………。
『何か壊されたり、言われたりしてる』
のは、もう日常だよ………祥介。
この前
『置き忘れたのかな』
って探した僕の体育館シューズ、
外の排水溝に
『キモイ死ね』
ってマジックで書かれて捨ててあったよ。僕、今のクラスでは、『キモ彦』て陰で呼ばれてる。心配かけたくなくて祥介には黙っていたけど、もう、いい。
………シューズを見つけたのは、
たまたま谷崎くんといるときだったよ。
みっともないくらい泣いた。
自分がこんな扱いを受けていることを知られて、恥ずかしくて、悲しくて。悔しくて。でも、あのとき谷崎くんは一緒に泣いてくれた。
悔しいって。こんなことする奴、汚いって。クズだって。ぶっ飛ばしてやるって。あの日から、陰口を言うグループ以外も、皆、何にもないような顔の下で、
たっぷりの悪意を隠してるんじゃないかって怖くてしかたがなくて、
クラスに入る前に胸のあたりが痛くなって、吐き気がして足が止まる。
僕はもう嫌だ。
いつも怯えて、いつしか他人と目を合わして話すことすら出来なくなった自分が。
あんなクラスに正直もう行きたくないよ。怖いんだ。変わりたいのに。
強くなりたいのに。
身体が拒否するんだよ……。
それでも、放課後だけが楽しみで図書委員で谷崎くんに愚痴を聞いて貰ったり、
おしゃべりすると楽になるんだ。
心が壊死していくのを、
止めて貰ってる気がする。
初めて出来た友達なんだ。優しい子だよ」 

 涙を浮かべる、秋彦の声。
 祥介は、重ねた秋彦の左手を手をぎゅっと握りしめた。

「何で………何で俺に言わない!
そんなクラスでそんな風になる前に、何で俺に言わないんだ!
そんな一年の後輩なんかに頼る前に!」

 秋彦は祥介を見上げて言った。 

「祥介、昔とは違うんだ。
どんどんエスカレートする。
前期試験のあとの実力テスト、
カンニングまででっち上げられそうになった。先生は僕を信じてくれて、
気にもとめてなかったけど。メンサ会員で本当に良かったって、思ってるよ。
ねぇ、祥介………?
どうして祥介はいつも学校で話しかけてくれるの?
僕と居たって良いことなんて一つもない。小学校の頃みたいに、
いじめの対象になるリスクは沢山ある。
従兄弟だから?義務感?それに
『友達を作れ』っていう祥介自身が一番、僕に友達なんて出来っこないって解ってたんでしょ?
でも、出来た。面白くないよね。
本当は、ずっと昔から祥介はいつも僕を下に見てたんじゃない?
今日急に不機嫌になったのも、一緒にいたら本当は恥ずかしいお荷物が、
友達なんて生意気だって思ってるんでしょ?違う?答えてよ、答えて!祥介!」

 秋彦は身体を起こし、ヘタリと座り、祥介を見つめ、泣きながら声を荒げ捲し立てた。こんな秋彦を祥介は初めて見た。

 触れてはいけないものに、触れた。祥介はそう思った。

「違う……違うんだ、秋彦落ち着いて……」 

「答えて。何が違うの?答えてよ!
お荷物の世話は楽しかった?
ちょっと優しくするだけで馬鹿みたいに上機嫌に笑う僕を見るのは楽しかった?
祥介にとっては遊びみたいなものかもしれなかったけど、僕にとって祥介は一番の大切な、特別なひとだった。
心配かけたくない!悲しい顔をさせたくない!相談して祥介を困らせたくない!
僕は、一生懸命悩んだ僕はなんだったの?相談には谷崎くんがのってくれた。
たくさん泣いた。
だって祥介の前では泣けない!」 

「お荷物じゃない、遊びじゃない!
後輩の前でなんて泣くな!
受け止める腕くらいある!」

 祥介は、声を大きくした。秋彦はビクッと震える。秋彦は大きな声に萎縮する。

 縮こまり震えてしまう。
 それに、自分の目線よりひとの手が上がってもだ。

『怒鳴られて、叩かれてきた後遺症みたいなものだよ。少し、情けないね………』
 
そう言い、いつも見せる困った顔をして笑っていた。

  「………ごめん。大声だめなのに」
  「大丈夫………大丈夫だよ。祥介も無理しないでいいよ………」

 呟くようにそう言って、秋彦は黙りこんだ。

 瞳を、声を潤ませて秋彦は肩を震わせる。祥介の守ってきた世界が、壊れていく。    

 秋彦は優しすぎるのは祥介が誰よりも知っている。
 生きづらくても、出来る限り、傷つくことがないように、秋彦をずっと守る。
 傍にいる。ずっと一緒にいたい。

 祥介はそう思ってきた。 それが祥介の願いでもあった。

 そして、秋彦の柔らかな笑顔が、祥介は何より好きだった。もう、見られないかもしれない。 

 いつかの一面に広がる春の田園風景。柔らかな緑の里山。カルガモの親子。幼い秋彦の横顔。幼い祥介の初恋だった。

 儚げな綺麗な容姿。秋彦の本当の姿を知り、そして秋彦が全面の信頼を置くのは祥介だけだ。

 そして、祥介の心の底にあるのは、秋彦には決して気取られてはいけないものだった。成長と共に膨らんでいく秋彦に対する想いと独占欲。

 祥介が秋彦に向ける視線は、友達としてではなく、恋愛の相手としてのそれだった。 

 秋彦を押し倒して、獣のように犯したい。口づけて、触れて何回も名前を呼びたい。呼ばれたい。色に染まったあの大きな瞳を見てみたい。そう思ったことは祥介の中で何回もあった。

 乱れる秋彦を想像し、自慰もした。残るのは、どうしようもない虚無感。ただの友情なら、どれだけ良かったか。叶わない想いは何処へ捨てればいいんだろう。

 そう祥介は快楽を得たあと絶望する。
 ティッシュペーパーで汚れた白を拭い、洗面所で、何回も何回も手を洗う。
 汚れと一緒に、想いも消えてしまえばいいのに、と。
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