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《第36話》奏の遺言
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その日以来、貝を拾いに行こうと、奏は言わなくなった。
けれど奏は夜明けに涼を起こし、
毎日の日課、朝日を二人で見に行くことは欠かさない。
涼は傍らの細い影が消えてしまうことが怖かった。何よりいとしい奏が、いのちをかけて産んだ子供を、奏がいなくなった後、責めてしまいそうな自分も怖かった。
けれど自分は、奏が残した言葉をその子を育てるんだろうと涼は思った。 ──『正しく愛してあげて』といい、涼のことを暖かな眼差しで見つめる奏を思い出しながら。 ────────────────
「今夜だね」
「そうだね」
思い出を作るのも、多分最後。
もう、会えない。
触れられない。
癖のない長い髪に、
桜貝みたいな可愛らしい爪に
細い白い指に。
虹彩の薄い茶色い瞳に映ることもない。
柔らかいアルトの声も、
吐息も肌の温度も。すべて、最後……。
涼は泣くのを必死で我慢するのが精一杯だった。
「涼、キスしてよ」
「え?」
「キスしてよ」
「手術のあとにしてあげるから、元気に戻ってきて。夕飯軽く何にしようか」
「グループフルーツの百%ジュースとミモザサラダ」
奏が笑う。一生懸命笑っている。だから涼は笑う。最初の、ここに来たとき作ったメニュー。
トマトソースのツナと茄子のパスタは無し。
ラムネもつけた。 サラダを食べて奏は笑う。
「涼は何でもできるんだね。僕は最後まで料理は苦手だったなぁ」
「最後じゃない。あと数%残ってる!」
ハッとし、涼は、泣いた。 数%と自分で言った瞬間、あまりにも、奏に死が近いことが可視化され愕然とした。
しばらく泣き続ける涼の手を奏が握りしめる。 勇気づけなきゃならないのに。 目を見てありがとうも言ってない。
愛してるとも、
好きだとも。
言葉が出てこない。
そして、君を一生忘れない。
そして、俺にはずっと君だけ。
君以外いらない。
別れに似た言葉は言いたくない。
涙が邪魔をして、ぐしゃぐしゃになって伝えたい言葉が出てこない。
「そろそろ時間だよ。流さんのお陰だ。何も心配なく、この子を産める」
楓が迎えに来た。涼は涙に濡れながら奏に言った。
「君を待ってる。ずっと待ってる」
奏を連れに白い服のひとが来た。奏が乗るストレッチャーが用意される。
最後、玄関で奏は振り向き、
涼に駆け寄ると、触れるだけのキスをして
『あいしてる』
と言い残し、部屋から消えた。
誰よりもいとしいこいびと。
何よりも大切なこいびと
まだ、どんぐりも拾えてない
いとしいひと。
運命に翻弄された星のもとの
何より美しい儚い蛍のようなひとだった。
「かみ……さま…………」
信じたことはなかった。けれど繰り返した。
「かみさま、かみさま……かみ、さま……」
────────────続
けれど奏は夜明けに涼を起こし、
毎日の日課、朝日を二人で見に行くことは欠かさない。
涼は傍らの細い影が消えてしまうことが怖かった。何よりいとしい奏が、いのちをかけて産んだ子供を、奏がいなくなった後、責めてしまいそうな自分も怖かった。
けれど自分は、奏が残した言葉をその子を育てるんだろうと涼は思った。 ──『正しく愛してあげて』といい、涼のことを暖かな眼差しで見つめる奏を思い出しながら。 ────────────────
「今夜だね」
「そうだね」
思い出を作るのも、多分最後。
もう、会えない。
触れられない。
癖のない長い髪に、
桜貝みたいな可愛らしい爪に
細い白い指に。
虹彩の薄い茶色い瞳に映ることもない。
柔らかいアルトの声も、
吐息も肌の温度も。すべて、最後……。
涼は泣くのを必死で我慢するのが精一杯だった。
「涼、キスしてよ」
「え?」
「キスしてよ」
「手術のあとにしてあげるから、元気に戻ってきて。夕飯軽く何にしようか」
「グループフルーツの百%ジュースとミモザサラダ」
奏が笑う。一生懸命笑っている。だから涼は笑う。最初の、ここに来たとき作ったメニュー。
トマトソースのツナと茄子のパスタは無し。
ラムネもつけた。 サラダを食べて奏は笑う。
「涼は何でもできるんだね。僕は最後まで料理は苦手だったなぁ」
「最後じゃない。あと数%残ってる!」
ハッとし、涼は、泣いた。 数%と自分で言った瞬間、あまりにも、奏に死が近いことが可視化され愕然とした。
しばらく泣き続ける涼の手を奏が握りしめる。 勇気づけなきゃならないのに。 目を見てありがとうも言ってない。
愛してるとも、
好きだとも。
言葉が出てこない。
そして、君を一生忘れない。
そして、俺にはずっと君だけ。
君以外いらない。
別れに似た言葉は言いたくない。
涙が邪魔をして、ぐしゃぐしゃになって伝えたい言葉が出てこない。
「そろそろ時間だよ。流さんのお陰だ。何も心配なく、この子を産める」
楓が迎えに来た。涼は涙に濡れながら奏に言った。
「君を待ってる。ずっと待ってる」
奏を連れに白い服のひとが来た。奏が乗るストレッチャーが用意される。
最後、玄関で奏は振り向き、
涼に駆け寄ると、触れるだけのキスをして
『あいしてる』
と言い残し、部屋から消えた。
誰よりもいとしいこいびと。
何よりも大切なこいびと
まだ、どんぐりも拾えてない
いとしいひと。
運命に翻弄された星のもとの
何より美しい儚い蛍のようなひとだった。
「かみ……さま…………」
信じたことはなかった。けれど繰り返した。
「かみさま、かみさま……かみ、さま……」
────────────続
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