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《第25話》楓(ドクター)の真の姿

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「楓!ドクターヘリで、海へ行くぞ!早く来い!」 

「流兄さん、どうしたんですか?」

 テラスで珈琲を飲み寛いでいた二人に急な知らせが入った。 
楓は髪を黒に染めるのをやめ、 
黒のカラーコンタクトをつけるのをやめた。
細いフレームの燻し銀の眼鏡をかけ、まるで成長した奏がそこにいるようだった。
 知らせは涼からだったらしい。

「本を借りに行って友達の家に行ったら、嫌な感じがして、家に戻ったら奏がプールに身投げしていて意識がないと。何が女友達だ!あの、馬鹿が!」 

流は自分の右手をギリギリと握りしめた。楓は顔を真っ青にする。

 「奏が、プールに!?あの子は泳げないんですよ!」 

流は椅子に座ったままカタカタ震える楓をぎゅっと後ろから抱きしめる。 

「お前も行くぞ、落ち着け。医師免許はダテか?奏は助かる。お前が助けてやれ。
大丈夫だ。助かる。
楓、俺はお前に嘘はつかない」 

「水を吐かせて人工呼吸をしても、心臓マッサージをしても、心拍が弱くて、意識がないんだ。ボイスレコーダーと、走り書きの………遺書が、あった」

 涼が力無く握る二つを流は奪い取り、それを聴いた流は思いっきり涼の頬を張った。涼は、衝撃で倒れこんだ。 

「お前の本気はその程度か、涼!それでよく『好きだ』とか『愛してる』だとか言えるな! 本気でそう言う言葉を使う時は
自分が相手の全てを背負う覚悟があるときに言え! 悪魔の手を取るか、
 天使の手を取るか、
 やり方はお前の自由だがな。 
今、楓が医療器具を使って医療措置をとってる。 お前は浮気したのか?
何が本だ!奏はどうした?
あれだけ『好きだ、初恋だ』と言っておいて!飽きたのか!」

 怒鳴る流の剣幕に怯えながら呟くように涼は言った。 

「か、奏が……妊娠したみたいだった。
冗談でつけた咬み痕もずっと消えなかったんだ。『番』ってことでしょう? 検査薬を買いに行けなかったから律に頼んで……。
 陽性だった。それから、子供を傷つけそうで、奏を抱けなかった。
それに、子供が出来て、
俺は嬉しかったけど、
奏が望まなかったらと思うと言えなかった……。 特殊なαとΩの力を持って、生物学的に生殖能力が弱いΩの体を持つってことなんだろうって奏の話から何となく解って。 
もしかしたら子供を持つのは最後かもしれないし、でも、どうケアしていいかわからなくて、 律から生物学の本を借りて読んでて、今日、海に律のお祖父ちゃんが来るって……生物学者って訊いて……」 

「本をきっかけに、気持ちも移ったというわけか。キスなんかして」

 流の怒りの『圧』がものすごい。涼は怯みながらも、涙を瞳にためて、振り絞るように言った。

「違うよ!……頼まれたんだ。
キスしてって。本のレンタル代って。
 律、後から泣きながら笑って 
『本当に彼が好きなのね』って 『じゃなきゃこんな簡単にプライドを曲げない』って ……奏を守るためならなんでもするよ。
 律のお祖父ちゃんに奏の身体がそろそろ安定するって言われて、 
やっと二人で砂浜で貝を拾ったり、 
温水プールで水遊びくらいなら一緒に出来るなって嬉しかった。 
律は夏期講習の準備があるから仕事はもう終わりだって。 
もう会えなくなるから最後に、
海で宝貝を集めてるから奏にも見せてあげるって。子宝に恵まれるように奏の好きな貝をあげるって言ってて。
奏を驚かせたくって……黙ってた……なのに、何で」

そう、涼は震えながら俯き泣き出した。しばらく流は黙り

「失策だな、涼」

と言った。涼は顔をあげた。 

「お前は奏に『愛されている自信』を持たせられなかった。 それに奏の世界の広さと、お前の世界の広さは違う。
 奏は楓とお前しかいない。
 今、楓を捨てお前を選んだ。
 奏の世界には奏と、お前だけだ。 心変わりを覚えた第三者は、奏にとっては『恐怖』だったろうな。 他の女にうつつを抜かしたように見えたお前に対して悲しみと憎しみを生むには充分だったろうな。
 お前がいなくなれば、
奏はまた研究所に居た頃の苦しい閉鎖的な生活と『仕事』をさせられると思ったはずだ。そのお前が自分を捨てた、
そう思いこめば『絶望』しかない。
 奏は大人びているが、
精神年齢はある意味幼い。
お前がいなくなれば生きてはいけない。赤ん坊だよ。あまりにも、脆い。 
そしてお前に触れ、愛したことで、
もう昔のように『仕事』はこなせない。
そして、お前と関わることで、あの子にはまだ不完全だが『倫理』が生まれた。
それが、余計に奏を苦しめている。解るか?」 

涼は俯いたまま頷いた。 

「ねぇ、父さん、助からないの? 奏は助からないの? 助けて下さい、なんでもする。 奏が助かるなら何でもする。何でもします。お願い、奏を助けて。お願い……します」

 涼は涙をポタポタ流した。涙は止まらない。 

「その辺にしてあげて、流兄さん。奏の意識が、少し戻った」

 「楓」 一気に『圧』が消えて流は柔らかな表情になる。
涼はこんな父を見たことがなかった。
 父が『楓』と呼ぶスーツの上に白衣をきた、
父よりずっと細身の可憐な人。
奏をそのまま大人にしたような……。

 「あの、楓、さん。何処かでお会いしたことがありますか」

 楓は柔らかに微笑み言った。 

「『ドクター』と言えば、解るかな?」 「え?」

 一致しない、イメージ。
 初めて話したときのキリリとした印象はまるでない。 
奏をもっと柔和にして成長させ、コピーしたような……。 髪の色も瞳の色も、奏と同じ。
 声音も所作も柔らかな、何処か甘えたくなるような雰囲気と、涼を見る温かな眼差し。
涼の記憶の奥、知らないけど、知っている。

 「涼、君の気持ちが少しでも、奏に伝わっていたら……。 秘密はいい結果を生むことは少ないね。 サプライズは、嬉しいけれど、
第三者が絡むと難しい。 
奏の遺書のようなものを見て、
レコーダーを聴いたよ。 
──悲しい、すれ違いだ。
君は、奏を愛していたんだね。 
あの子を愛して、慈しんでいたんだね。
あまり流の言うことで苦しまないで。
正論だけどけれど、
君は、奏を喜ばせたかったんだよね。 
奏と幸せになりたかったんでしょう? 
泣かないでいい。
ほら、泣かないで。 
自分を許してあげて。 
大切なのはこれからだよ。よしよし。 
君も泣き虫なんだね。奏と同じだ。 
それと、子供は……大丈夫だ。 
でも、奏次第だ。堕したいと言うかもしれない。君には厳しい言葉だね。ごめんね」

 優しい言葉、欲しい言葉をくれる、奏とそっくりな楓に甘えてしまう。 
一回しか会ったことがない人なのに。何でこんなに自分は肩を借りて甘えるように泣いているんだろう。
しかも、奏の保護者……恋人に。
奏に姿も声もあまりにも似ているからか。 
涼は繰り返し

「ごめんなさい」

と繰り返し泣いた。そして、あることを聞く。 

「あの、楓さんは、九条の研究者ですよね?奏を、連れ戻しに来たんですか? お願いです。見逃して下さい。 奏と、一生奏の意識が戻らなくても、俺が、世話をします。 せめて、償いをさせて下さい。 お願いです。あと、父と知り合いですか?あんな顔をする父を、初めて見ました」

 楓は笑う。

 「私はこれから君のお父さんとずっとそばにいるよ。けれど私自身は存在しないといったほうがいいのかもしれないね。
 私の戸籍は、もうないから……。 私は、君のお父さんの、番で……弟だ。
後で、説明する。 奏の状態は、心拍も呼吸もしっかりしている。
ただ、殻に籠ってしまったようだよ。
意識はあるんだけどね。 少しかかるかな。 
ゆっくりいこう。奏のところへ行こう。少し話せるかもしれない」 

「パスケース……」

 「ん?」 

「幼い頃、父さんのパスケースに、楓さんの写真を見つけました。誰かと訊いたら『忘れなさい』と」 

「……嬉しいことを聴いたよ。流兄さんが呼んでる。行こうか」


──────────────続
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