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《第8話》奏の『力』

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「湖は気に入らない、奏?」

 学校を出てからずっと黙っている奏に、ロールスロイスの後部座席で、ドクターは外用の眼鏡を中指であげながら言った。 

「──どうして涼を巻き込んだの?関係ないよ。部外者じゃないか。僕らの世界に涼を関わらせないでよ!放っておいて!」

 奏は、そうドクターに怒鳴り、俯いた。 僕らの世界。
 穢い世界。
 僕の仕事──『人殺し』の仕事。


 近づく一学期最後の全校集会。涼だけは何とか逃がそうと思っていた。

涼が死ぬのだけは嫌だ。
絶対に。 
けれど、涼に自分の正体がばれてしまうのも嫌だ。
しかし、そんなことはどうでもいい。

涼が死んでしまうより、ずっといい。 僕は、彼のもとをひっそりと去ろう。



『化け物のようなもの』と 
『沢山の人間を殺してきた殺人鬼』として。さよならもいえないだろうけれど。 





蛍は手のひらからあるべき場所へ、逃がしてあげなければならない。

包む手のひらが自分の穢い手の中でも、彼は輝いてくれた。
 ─────────────────── 

「難しい顔だね。チョコレート、食べるかい?」 
「いらない」


何が入っているか解ったもんじゃない。 




獣に成り下がりΩを無理矢理抱き殺し
α自身も精が尽きて息絶える、
これ以上もない穢い死に方。 

不様な醜態を恥じることなく、
集団でただ本能のままΩと抱き合うα達。
理性のタガが外れた本能のままの乱交。Ωとα、互いにあるのは
痛みなど脳内麻薬で消し去った、ただの恍惚。

 ある意味幸福なのか?
我を忘れるほどの快楽を手にして死ぬのだから。 

そんな、狂乱と享楽の舞台を奏の力は作り出せる。

幾度も見てきた。
奏は手を握りしめる。
 それが自分の仕事なのだ。
そうさせるのが、自分の仕事だ。

 何度も震える身体を抑えるように、

『自分は仕事をしただけだ』

と自分に言い聞かせた。
 気が触れてしまいそうだった。 
仕事が終わったあと、いつも包むドクターの手があった。

『奏は悪くない』

だからそれでいい、そう思い込まなければ出来なかった。

 悲しい顔をしていたらドクターが悲しむ。そう思うと、いつしか自然と笑うようになった。

ドクターが悲しむ顔はつらい。
あの研究所で唯一の奏を尊重し、愛してくれる人。 

この仕事が終われば、ドクターに会える。抱きしめてもらえる。 



『奏は悪くない』と呪文のように抱き締められて繰り返されるドクターの言葉を聞ける。

 研究所の奏の部屋で久々に会うドクターに、普段より激しく抱きあえる。
 けれど今ならわかる。

ドクターの存在と、
強い暗示のような周囲からの肯定の言葉、

そして自分自身の『これは正しいこと』と思い込まなければ、
自分はこれまで『仕事』ができなかった。 

そしてそれよりも、その仕事をしなければならない学校に
涼のような『特別な存在』がいなかったからだ。
奏の心を乱す、恋に堕ちてしまうような人に。
 ─────────────────── 

目の前のドクターよりも、涼の流した涙が頭から離れない。

右目からすっと伝って、言い訳も、釈明も全て胸につまらせた。

 涼が関わるのは嫌だ。絶対に。 

いつも朗らかで やさしい声で笑いかけてくれる。
キスが下手で、
交換条件に『どんぐりを拾いたい』なんて、言う拙い片恋の相手。

そんな、自分とは真逆のやさしい彼が、自分の『力』で、穢い獣と化したαに成り下がるのは絶対に嫌だった。

この醜い『混沌』を引き起こすことは、奏しかできない。

『そういう身体だ。生まれつき』の。そう昔ドクターに言われた。 今までこんな気持ちになったことはなかった。壊れることができたら、どれ程楽だろう。心が麻痺して何も感じなくなれたら。
 ─────────────────── 

『特権的αと秩序を乱すΩはいらない』 

今の政府の見解。政財界に根深く関わる『九条家』の見解。

人は人らしくあるべきだ。
中核を担うβの創る平等な世界。
誰でも『機会』がある世界。
それが正しい世界だ。

 『普通』それが尊い。
異端は排除せよ。
 αとΩは異端である。 獣に近い性質を持つ、もはや人とは言えない ─────────────────── 

何故、涼はだめなのか。奏は涙で濡れた目でドクターに訴えた。

 「見逃して。涼には口止めする。 口止めなんかしなくても裏庭で待ち合わせて、騒ぎが収まったら、研究所に行けば、上手く話すよ。 それにまず、涼は『約束』は守る。九条の家の力で保護して、研究員にすればいい」 

「そうもいかない。 鷹司家は野党の一大勢力の基盤だ。 奏、もう涼くんと関わるな。彼を忘れなさい。別れが辛くなる。 獣に落ちぶれて死ぬ涼くんを見たいか? 君の父さんは、鷹司の御曹司は必ず仕留めろと言っていた」

 「──父さんなんて、いないよ。 生まれてから一度もあったことなんてないじゃないか。 僕の家は見事な日本家屋の九条の家じゃない。着物の女中さんなんかいない! 真っ白な壁と白衣の人が沢山いる研究所だよ。 普通がいい。普通がいいよ。普通になりたかった。こんな『力』なんて、要らなかった………」
 ─────────────────── 

奏の頬に涙が伝った。
普段毛嫌いしている、αに、Ωに憧れた。
 αなら、一生ものの親友に、
 Ωなら、もしかしたら涼の番になれたかもしれない。



 何故、こんなにも自分が自由と思っていた空は狭かったのだろう。



──────────《続》 
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