金色の回向〖完結〗

華周夏

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金色の回向〖第16話〗

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しばらく雨が続いて、虹子さんの家に授業をサボって入り浸った。雨が降っていると蝉時雨の光のシャワーはない。

 雨は好きじゃない。川の水が増えて暫く魚をとれない。もっと上流に川を漕いで岩魚や山女魚と知恵比べするのも面白いのに。蝉時雨も聞こえない。金色のエコーが聞こえない。小さな身体を一生懸命震わせて『愛しているよ』と惜しげもなく叫ぶ、蝉達の声の波紋が。

晴れたら色んな所に行こうよ、と逢瀬を重ねた後に言うと、虹子さんは『そうね』と言い、俺の腕に柔らかな身体を絡ませた。白く細く綺麗な腕。陽の光を知らないように思えた。ふわふわのマシュマロのような胸を二の腕で感じる度、緊張する。稀に、恥ずかしくてたまらないが身体が反応してしまう。トイレに駆け込んで、雰囲気なんてぶち壊しだ。虹子さんは愉しそうに笑って、それすら楽しんでいるみたいだった。それから、天井に打ち付ける雨の音を聴きながら虹子さんの色々な話を聞いた。

    話は、ここは虹子さんが、高校を卒業してから体調を崩して次の夏が来るまで、昔住んでいた場所だったとか、この家は生まれたときから元々住んでいた家で、元々病気がちな母と暮らしていたけれど、幼い頃ふとしたことがきっかけでかかった風邪を拗らせて亡くなったとか。父はまだ生まれる前の虹子さんを残して蒸発したとか。

「一人ぼっち、だったんだ……」

「そうね。友達は理恵だけだった。いい匂いのハンカチ、憶えてる。理恵は私の憧れだった。私は家庭には、恵まれなかったな………」

    虹子さんは目蓋を伏せる。

「それから理恵の家や村長さんの家にお世話になったよ」

 そう言い、虹子さんは黙った。呟くようにそう言った、虹子さんの表情は、千切れた雨雲からいつの間にか覗いた午後の強い陽射しの影になって見えなかった。それから淡々と虹子さんは話し続けた。

「小学校から帰るとき、理恵につられて理恵の家で夕飯をご馳走になって、お風呂を貰ってちょっと寂しいけど家に帰って寝る生活。それか村長さんの奥さんが家でご飯とお風呂を用意して待っていてくれた。家のお風呂はガス式の古いやつでね、大人でも扱いが難しいものだったの。一人で沸かせられるようになるまで時間がかかったな。それから中学になって自立の練習をしたいと思って、横川のおばさま、領ちゃんのお祖母さんに家事をひとしきりしっかり習ったわ。厳しくて優しいひとだった。お節もほとんど手作りできるわよ。甘いものも。一人暮らしのスキルを身に付けてから理恵の家には泊まりにはあんまり行かなくなったの。一人の気楽さを覚えちゃったのよ」

 壁に凭れ煙草に火をつけ、少し間をおいて、虹子さんは話を続ける。

「その分、理恵が私の家に来ることが増えたね。たまにねだられて、理恵の家にお泊まりに行く時もあった。私は枕が変わると眠れないから枕は持参。小さい頃は電話一本で、夜でもお互いの家に行ったりしてた。まるで出前みたいだったわ」

 虹子さんは笑いながら何処か辛そうだった。

「虹子さん? どうしたの? 大丈夫?」

「大丈夫よ。横川のおばさまのおかげで、独りでの生活に苦労はなかったよ」

    小さく咳払いをして、虹子さんは続ける。

「前にチラッと言ったけど、私の初恋は領ちゃんのお父さん。深山先生。領ちゃんとは名字が違うけど、あの頃の理恵と深山先生の話は知っていたから、領ちゃんのことは………すぐ解った。深山先生は生物の担当だったけど話したりはしなかったし、興味もなかったの。文芸部の顧問だったけれど、私が見ていたのは本だったからね。話すきっかけは、生物の授業をまともに受けてなかったから」
 
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