金色の回向〖完結〗

華周夏

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金色の回向〖第2話〗

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笑う彼女の首筋はさっきまで陽の下で俺と川で鮎捕りをしていたとは思えないほど、白く、乾いていた。草むらに置かれていた、わざと粗野に見せているような、知らない紐の縛り方をするブランドのスニーカーから、頼りなく細い、右足首のアキレス腱が映える銀色のアンクレットがちらりと覗いていた。水面での頼りない輝きは見た。ベッドのシーツでは、どんな光を見せるのか。


 彼女の声は落ちついたアルト。掠れた声で名前を呼ばれてみたいと思った。邪な、そんなことばかり考える。彼女の艶のある長い黒髪が、笑うと細められる可愛らしい目元が、この年頃の男子故の好奇心を浮き上がらせて、そして、何処か明るい笑顔の中に、視線を合わせる度、垣間見る寂しさが、俺だけに何かを訴えているという自意識過剰な考えも浮かばせる。

 

 砂利道を促されるように、ついていく。道には陽炎。何気なく細い首筋にそっと手を伸ばす。女性の綺麗なうなじが男としてこんなに魅力的だとは知らなかった。ただ触れたい、それだけだった。指先で触れると、一瞬、彼女は身を震わせた。彼女の首筋は冷たかった。斜め上の俺と視線を合わせると、困った子供を見るように表情を崩した。けれど、触れている首筋が緊張しているのが雰囲気で伝わる。俺は、パッと手を離した。

「ごめん、いきなり触ったりして」

「構わないよ。冷たいでしょ。川に入ったりして冷えると中々体温が上がらないの。少しだけ朝が苦手かな。あ、あそこに古い家、見える? あれが私の家だよ。遠かったでしょ。お菓子はまだ秘密。甘さ控えめ。上手く出来たと思うんだけど」


俺はサクサク小気味良いリズムの左の影を踏む。

『外』にいた噂も頷ける。歩くのが速い。

「あのさ、何歳──なの? 二十七、八くらい?」


そう訊くと、彼女は笑った。

「三十六歳よ。お世辞でもそう言ってもらえるのは、ちょっと嬉しいものね」

お世辞なんかじゃないのに。本当に年齢が解らなくて、そのぐらいだろうと思って言った。本当は『綺麗だ』と言いたかった。でも、言えなかった。色々なものが邪魔をする。そんな俺を、彼女は愉しそうに見ている。

俺は心の中で、簡単に言えばむくれた。どうせ子供だよ、魚とりしか芸がない、しがない田舎の高校生だ。住む世界が違うとは、いでたちで、すぐ解った。少し村外れの彼女の家に着く。陽が少し中点に近づいた。

「古い家でしょ?    蛇とかたまに出るのよね。ビックリすると人って咄嗟に悲鳴って出ないものなのね。息が詰まって固まっちゃった。私、蛇はどうしても駄目なの」

彼女はポケットから出した鍵で、鍵をあげる。中々開かない。

「ごめん、開けてくれる? 鍵」

「う、うん」

鍵穴に鍵を差し込むとうまい具合にカチャリと開いた。昔から鍵を使うのが得意だ。

「あ、そうそう。正解は、水羊羹だよ」

「正解って、あ、お菓子? マジで?って、水羊羹って作れるの?」

彼女は、じっと俺の目を見た。

「うん。小豆から煮るの。結構楽しいのよ。人みたい。小豆はちょっと気難しそうだけど、話すと以外と喋りやすい人みたい。そんな感じかな。食べたい?」

ちらりと俺を見て、彼女はくすりと笑う。

「食べたい。すごく。美味しそう」

俺は、改めて訊きたいことがあった。

「あのさ、ごめん。………名前、なんて言うの?」

「今更?」

ひとしきり彼女は、愉しそうに笑った。

「名前なんて必要ある?そんなこと。一緒にお菓子を食べる相手のことなんて」

蝉が鳴く。燦然と真上から照りつける陽光に雲の影が通る。彼女の声にも影が混じった。砂利道に落ちる木々の影、蝉の光の雨の影。彼女の瞳の奥の影。

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