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〖第39話〗
しおりを挟む「いつも、控えめに笑うひとだった。キスも、触れることすらなかった。でも、あのとき、俺は確かにあのひとが好きだった。今でも蝶を見ると思い出すよ。ついてくる蝶がいると、あのひとかと思う。寂しいのかなって」
俺は覚さんの胸に顔を埋めて言った。
「あと何年後かにはあのひとと同い年になっちゃうんだ」
俺はこの話をしたのは覚さんが初めてだった。思い出して独りで泣いてきた。打ち明ける相手なんかいなかったと、覚さんに言った。
「つらかったね。全部独りで、抱え込んで泣いてきたんだな。君には泣き場所がなかったから。嬉しいときも、苦しいときも、泣きたいときも言いなさい。私がその場所になるから。胸も、腕もある」
良いことは一緒に喜んで、つらいときは分けてくれ。そう言い覚さんは俺を強く抱きしめた。
「どうしてそんなに覚さんは優しいの?」
小さく笑った後、覚さんは俺を見つめ言った。
「どうやら、私は君が思っているより、私は………君のことが好きらしいんだ」
眠ってしまいなさい。そう、やさしい声が染み入ってくる。覚さんがオーディオで、静かにピアノ曲をかけた。ラヴェルのピアノ曲集。水に溶けていくように微睡みの中に入っていく中で、苦しい、切るような覚さんの声。
「これじゃ駄目なんだ………あの子を好きになってはいけないのに」
──────────
季節は秋の真ん中だ。朝晩少し冷える。最近、隣で起こす必要がないくらい、覚さんは早起きだ。とても冷えた日、粉のココアパウダーと砂糖とミルクから作ってくれる覚さんが作ってくれるココアが絶品だ。
毎日、覚さんは俺をモデルに絵を描く。裸体に腰に無造作に巻かれた白い布。窓に向かって逃げるようなポージング。身体の苦しさに俺は、眉をひそめる。
「すまない、もう少しそのままで──綺麗だな。洋之は。いい表情だ」
悲しい、苦しい顔が、いい表情?ここから逃げてしまうようなポーズが?いつも言ってくれるのに。
「洋之、笑いなさい。君には笑顔が似合うよ。可愛い笑窪もできる」
前はよくそう言ってくれたのに。
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