1 / 64
〖第1話〗
しおりを挟む車は蛇行しながら山道を登っていく。雲が近い。空も近い。窓を開けると蝉の声が耳鳴りのように聞こえる。夏特有の湿度は標高の高さと共に剥がれ落ちるように無くなって、真っ直ぐな陽射しが肌に刺さる。シュークリームみたいに膨らんだ入道雲は夕立を連れてくるけれど、俺は夏の雲が好きだった。
そんな俺は今、父の車で知らないところへ運ばれている。父は朝早く、眠る俺にいきなり身支度をするよう言い、大きなスーツケースに荷造りをさせて、俺を何処かへ連れていく。母親が旅行から帰ってくる時間と鉢合わせないための不器用な気配りだと解り、まだ眠く無感動だが、ありがたいと思った。車は山の奥へ、緑の中へと入っていく。蝉が高原の蝉の声だと思った。シャワシャワと、可愛らしい音がする。
***
夏の入道雲。白くつやつや太陽を反射して光るそれが、掴めそうだと思っていた幼い頃、瓶に入れて取っておけると思っていた。そのことを高校生の頃、あのひとに言ったら、
「もし取っておけたら、柔らかい綿毛みたいな触り心地がするんだろうね」
子供じみたことを言った俺を馬鹿にすることなく、あのひとは目尻を下げて笑った。ふわふわして柔らかな、希望や、やさしさが夏空にはある。白く湧く、シュークリームのような入道雲を見ると思い出す。
こんな言い方はしたくないけれど、あのひとは、やさしすぎた。だから早く神様が欲しがった。そう思わなければ押し潰されそうだ。
柔らかな声も、
何処か北国を感じさせるあったかいイントネーションも。
奥二重のきっと誰も気づかない長い睫毛に縁取られた茶色い瞳も。
シンプルな服装と眼鏡も、
ビーカーを持つ綺麗な手も。
化学準備室の、あのひとを照らす西日の長さで解る、以外に高いすらっとした体躯も。最後に見たあのひとは白衣にチョークの粉をつけて笑っていた。俺は気づけなかった。あのひとがそんなに弱っていたなんて。だから、神様のせいにする。あの人の死を背負うのは、俺には重すぎる。
昔、高二のとき、あのひとに出会った夏、両親にカミングアウトした。俺は同性愛者だから、本家を継げないと頭を下げた。家は田舎の何代も続く名家で大きな法律事務所と不動産業を営んでいた。
2
お気に入りに追加
4
あなたにおすすめの小説
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
思い出さなければ良かったのに
田沢みん
恋愛
「お前の29歳の誕生日には絶対に帰って来るから」そう言い残して3年後、彼は私の誕生日に帰って来た。
大事なことを忘れたまま。
*本編完結済。不定期で番外編を更新中です。
身代わり婚~暴君と呼ばれる辺境伯に拒絶された仮初の花嫁
結城芙由奈@コミカライズ発売中
恋愛
【決してご迷惑はお掛けしません。どうか私をここに置いて頂けませんか?】
妾腹の娘として厄介者扱いを受けていたアリアドネは姉の身代わりとして暴君として名高い辺境伯に嫁がされる。結婚すれば幸せになれるかもしれないと淡い期待を抱いていたのも束の間。望まぬ花嫁を押し付けられたとして夫となるべく辺境伯に初対面で冷たい言葉を投げつけらた。さらに城から追い出されそうになるものの、ある人物に救われて下働きとして置いてもらえる事になるのだった―。
最後の恋って、なに?~Happy wedding?~
氷萌
恋愛
彼との未来を本気で考えていた―――
ブライダルプランナーとして日々仕事に追われていた“棗 瑠歌”は、2年という年月を共に過ごしてきた相手“鷹松 凪”から、ある日突然フラれてしまう。
それは同棲の話が出ていた矢先だった。
凪が傍にいて当たり前の生活になっていた結果、結婚の機を完全に逃してしまい更に彼は、同じ職場の年下と付き合った事を知りショックと動揺が大きくなった。
ヤケ酒に1人酔い潰れていたところ、偶然居合わせた上司で支配人“桐葉李月”に介抱されるのだが。
実は彼、厄介な事に大の女嫌いで――
元彼を忘れたいアラサー女と、女嫌いを克服したい35歳の拗らせ男が織りなす、恋か戦いの物語―――――――

拝啓、大切なあなたへ
茂栖 もす
恋愛
それはある日のこと、絶望の底にいたトゥラウム宛てに一通の手紙が届いた。
差出人はエリア。突然、別れを告げた恋人だった。
そこには、衝撃的な事実が書かれていて───
手紙を受け取った瞬間から、トゥラウムとエリアの終わってしまったはずの恋が再び動き始めた。
これは、一通の手紙から始まる物語。【再会】をテーマにした短編で、5話で完結です。
※以前、別PNで、小説家になろう様に投稿したものですが、今回、アルファポリス様用に加筆修正して投稿しています。
【完結】東京・金沢 恋慕情 ~サレ妻は御曹司に愛されて~
安里海
恋愛
佐藤沙羅(35歳)は結婚して13年になる専業主婦。
愛する夫の政志(38歳)と、12歳になる可愛い娘の美幸、家族3人で、小さな幸せを積み上げていく暮らしを専業主婦である紗羅は大切にしていた。
その幸せが来訪者に寄って壊される。
夫の政志が不倫をしていたのだ。
不安を持ちながら、自分の道を沙羅は歩み出す。
里帰りの最中、高校時代に付き合って居た高良慶太(35歳)と偶然再会する。再燃する恋心を止められず、沙羅は慶太と結ばれる。
バツイチになった沙羅とTAKARAグループの後継ぎの慶太の恋の行方は?
表紙は、自作です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる