上 下
18 / 25

〖第18話〗触れるだけのキス

しおりを挟む


「もっと早く、言うべきだった。ごめん」

    巌が左手を顔から外す。子供のように泣いてくしゃくしゃになった顔がそこにはあった。ポカリを軽く飲み、巌は切なそうに笑った。

 咲也は顔をよせ、ポケットからハンカチを出して濡れた目元を労るように拭った。用意しておいた、おでこに貼る冷却シートを巌の綺麗な額に貼る。『冷たい?』そう咲也は首をかしげ笑った。確かに笑ったはずなのに大粒の涙がこぼれた。巌は目を細め、咲也の右頬に手を添えそのまま、そっと咲也に口づけた。触れるだけのそれだった。

「……インフルエンザ、うつしたらごめん」

 巌は俯いて、黙った。耳が真っ赤だった。熱のせいだけとは思えないほどに。

「うつったら、看病してくれるんでしょ?」

「うん」

「少し休んで。ごめんね。疲れたでしょ。泊まっていって」

「ありがとう。咲也くんには甘えっぱなしだね。話を聞いてくれてありがとう。咲也くんも、話してくれてありがとう。ソファー占領してごめんね」

 巌はそう言い、すぐに眠りに落ちた。咲也は自分に寄りかかるように眠りについた巌を起こさないように猫のようにソファーを抜け出し、毛布や布団を巌にかけた。

 手の甲で涙を拭く。触れられた頬も、口唇も余韻を残すかのように、微かに熱い。

───────── 

 雪が解け始めていた。気温が高いらしく未明に降った雪は朝方凍るのに、昼間に溶け、絶対量は少なくなる。春が来る。とまっていた時計が動き出す。

    あの後、朝早く咲也は玉子粥を作り、ソファーで眠る巌を六時半に起こした。朝食を二人で食べた。二人で食べる朝食というのが慣れず、食べているのがお粥というのが救いだった。巌の熱はすっかり下がり、昨日の苦しそうな様子が嘘のようだった。

「会社、遅れない?着替えるのに家に戻るんでしょ?」

    咲也は急ぐわけでもなく、美味しそうに玉子粥を味わう巌を見て言った。 

「大丈夫。まだ時間あるし。朝ご飯食べるなんて久しぶり」

    巌は、幸せそうに『美味しい』を繰り返し、玉子粥を食べる。本当に食べ上手だなと、咲也は見つめる。でも、病み上がりにそんなに食べて大丈夫かな。咲也は、はらはらしながら、大きな茶碗を見つめる。


「いつも朝ご飯食べないの?」

    と巌に訊いた。

「忙しいのは口実で、独り飯が寂しいから。夜はコンビニ弁当か、スーパーのお惣菜」

「あのさ、巌さん」

    巌は玉子粥から視線をあげ咲也を見つめた。余程気に入ってくれたらしい。巌は好きなものを食べるとき、じっとそれを見つめて食べる。そして、少しだけ速くなる。

「どこに住んでるの?」

    単純な疑問だった。いつも巌は飲んでも代行を使わないし。近いのかな、と咲也は思っていた。巌は食後に、と出した緑茶を飲みながら、

「このアパートの三階のフロア」

    と言った。

「三階って、この上じゃん!」

    驚いたような、少し呆れたような感じがした。

「うん。そうだよ。このアパートの持ち主は俺だよ。確か契約するとき咲也くんにも言ったと思うけど」

「そう……だっけ?でも巌さん、いつも、遅くても十時半には帰るし」

「咲也くん、俺、一応男だから」

「解ってるよ。それが俺と巌さんに何の関係があるの?巌さんには、関係ない」

    咲也は苛々すると同時に恥ずかしくなる。よりによって上の階だったなんて。昔、俊一と抱きあっていたときの自分の『あの声』とか、聴かれていたんだろうか?

「……俺、初恋は、同級生だった。小柄な、男の子。中学の時。見てるだけで、終わったけど。大人になって好きになった人で、同性のひとはいるよ」

    笑うでもなく、茶化すでもなく、真剣に巌は言う。

「……お茶碗、片付けるね」

    巌の言葉に、何と言っていいか分からず、何事もなかったかのように、咲也は立ち上がり、巌の隣に立ち、茶碗を取ろうと右手をのばす。巌は咲也の右腕を引いた。自然と巌に抱きかかえられる形になった。巌は逆の手で、体を支え、抱きしめた。

「話を聞いて。咲也くん……ごめん。俺に触れられるの、嫌?」

    声が振動となって、咲也の身体と鼓膜を揺らした。熱がまだあるせいか、巌の身体は熱い。狡いひとだ。そんな言い方をされたら、何も言えなくなる。隠してきた気持ちも、全て溶けていく。咲也は巌の懐から見上げ、言った。

「嫌じゃない。俺、巌さんの手、好きだよ。大きくてあったかい」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

あなたには、この程度のこと、だったのかもしれませんが。

ふまさ
恋愛
 楽しみにしていた、パーティー。けれどその場は、信じられないほどに凍り付いていた。  でも。  愉快そうに声を上げて笑う者が、一人、いた。

愛することをやめたら、怒る必要もなくなりました。今さら私を愛する振りなんて、していただかなくても大丈夫です。

石河 翠
恋愛
貴族令嬢でありながら、家族に虐げられて育ったアイビー。彼女は社交界でも人気者の恋多き侯爵エリックに望まれて、彼の妻となった。 ひとなみに愛される生活を夢見たものの、彼が欲していたのは、夫に従順で、家の中を取り仕切る女主人のみ。先妻の子どもと仲良くできない彼女をエリックは疎み、なじる。 それでもエリックを愛し、結婚生活にしがみついていたアイビーだが、彼の子どもに言われたたった一言で心が折れてしまう。ところが、愛することを止めてしまえばその生活は以前よりも穏やかで心地いいものになっていて……。 愛することをやめた途端に愛を囁くようになったヒーローと、その愛をやんわりと拒むヒロインのお話。 この作品は他サイトにも投稿しております。 扉絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品(写真ID 179331)をお借りしております。

「君の為の時間は取れない」と告げた旦那様の意図を私はちゃんと理解しています。

あおくん
恋愛
憧れの人であった旦那様は初夜が終わったあと私にこう告げた。 「君の為の時間は取れない」と。 それでも私は幸せだった。だから、旦那様を支えられるような妻になりたいと願った。 そして騎士団長でもある旦那様は次の日から家を空け、旦那様と入れ違いにやって来たのは旦那様の母親と見知らぬ女性。 旦那様の告げた「君の為の時間は取れない」という言葉はお二人には別の意味で伝わったようだ。 あなたは愛されていない。愛してもらうためには必要なことだと過度な労働を強いた結果、過労で倒れた私は記憶喪失になる。 そして帰ってきた旦那様は、全てを忘れていた私に困惑する。 ※35〜37話くらいで終わります。

不貞の末路《完結》

アーエル
恋愛
不思議です 公爵家で婚約者がいる男に侍る女たち 公爵家だったら不貞にならないとお思いですか?

お飾りの侯爵夫人

悠木矢彩
恋愛
今宵もあの方は帰ってきてくださらない… フリーアイコン あままつ様のを使用させて頂いています。

【完結】もう誰にも恋なんてしないと誓った

Mimi
恋愛
 声を出すこともなく、ふたりを見つめていた。  わたしにとって、恋人と親友だったふたりだ。    今日まで身近だったふたりは。  今日から一番遠いふたりになった。    *****  伯爵家の後継者シンシアは、友人アイリスから交際相手としてお薦めだと、幼馴染みの侯爵令息キャメロンを紹介された。  徐々に親しくなっていくシンシアとキャメロンに婚約の話がまとまり掛ける。  シンシアの誕生日の婚約披露パーティーが近付いた夏休み前のある日、シンシアは急ぐキャメロンを見掛けて彼の後を追い、そして見てしまった。  お互いにただの幼馴染みだと口にしていた恋人と親友の口づけを……  * 無自覚の上から目線  * 幼馴染みという特別感  * 失くしてからの後悔   幼馴染みカップルの当て馬にされてしまった伯爵令嬢、してしまった親友視点のお話です。 中盤は略奪した親友側の視点が続きますが、当て馬令嬢がヒロインです。 本編完結後に、力量不足故の幕間を書き加えており、最終話と重複しています。 ご了承下さいませ。 他サイトにも公開中です

王子妃教育に疲れたので幼馴染の王子との婚約解消をしました

さこの
恋愛
新年のパーティーで婚約破棄?の話が出る。 王子妃教育にも疲れてきていたので、婚約の解消を望むミレイユ 頑張っていても落第令嬢と呼ばれるのにも疲れた。 ゆるい設定です

思い出さなければ良かったのに

田沢みん
恋愛
「お前の29歳の誕生日には絶対に帰って来るから」そう言い残して3年後、彼は私の誕生日に帰って来た。 大事なことを忘れたまま。 *本編完結済。不定期で番外編を更新中です。

処理中です...