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〖第18話〗触れるだけのキス
しおりを挟む「もっと早く、言うべきだった。ごめん」
巌が左手を顔から外す。子供のように泣いてくしゃくしゃになった顔がそこにはあった。ポカリを軽く飲み、巌は切なそうに笑った。
咲也は顔をよせ、ポケットからハンカチを出して濡れた目元を労るように拭った。用意しておいた、おでこに貼る冷却シートを巌の綺麗な額に貼る。『冷たい?』そう咲也は首をかしげ笑った。確かに笑ったはずなのに大粒の涙がこぼれた。巌は目を細め、咲也の右頬に手を添えそのまま、そっと咲也に口づけた。触れるだけのそれだった。
「……インフルエンザ、うつしたらごめん」
巌は俯いて、黙った。耳が真っ赤だった。熱のせいだけとは思えないほどに。
「うつったら、看病してくれるんでしょ?」
「うん」
「少し休んで。ごめんね。疲れたでしょ。泊まっていって」
「ありがとう。咲也くんには甘えっぱなしだね。話を聞いてくれてありがとう。咲也くんも、話してくれてありがとう。ソファー占領してごめんね」
巌はそう言い、すぐに眠りに落ちた。咲也は自分に寄りかかるように眠りについた巌を起こさないように猫のようにソファーを抜け出し、毛布や布団を巌にかけた。
手の甲で涙を拭く。触れられた頬も、口唇も余韻を残すかのように、微かに熱い。
─────────
雪が解け始めていた。気温が高いらしく未明に降った雪は朝方凍るのに、昼間に溶け、絶対量は少なくなる。春が来る。とまっていた時計が動き出す。
あの後、朝早く咲也は玉子粥を作り、ソファーで眠る巌を六時半に起こした。朝食を二人で食べた。二人で食べる朝食というのが慣れず、食べているのがお粥というのが救いだった。巌の熱はすっかり下がり、昨日の苦しそうな様子が嘘のようだった。
「会社、遅れない?着替えるのに家に戻るんでしょ?」
咲也は急ぐわけでもなく、美味しそうに玉子粥を味わう巌を見て言った。
「大丈夫。まだ時間あるし。朝ご飯食べるなんて久しぶり」
巌は、幸せそうに『美味しい』を繰り返し、玉子粥を食べる。本当に食べ上手だなと、咲也は見つめる。でも、病み上がりにそんなに食べて大丈夫かな。咲也は、はらはらしながら、大きな茶碗を見つめる。
「いつも朝ご飯食べないの?」
と巌に訊いた。
「忙しいのは口実で、独り飯が寂しいから。夜はコンビニ弁当か、スーパーのお惣菜」
「あのさ、巌さん」
巌は玉子粥から視線をあげ咲也を見つめた。余程気に入ってくれたらしい。巌は好きなものを食べるとき、じっとそれを見つめて食べる。そして、少しだけ速くなる。
「どこに住んでるの?」
単純な疑問だった。いつも巌は飲んでも代行を使わないし。近いのかな、と咲也は思っていた。巌は食後に、と出した緑茶を飲みながら、
「このアパートの三階のフロア」
と言った。
「三階って、この上じゃん!」
驚いたような、少し呆れたような感じがした。
「うん。そうだよ。このアパートの持ち主は俺だよ。確か契約するとき咲也くんにも言ったと思うけど」
「そう……だっけ?でも巌さん、いつも、遅くても十時半には帰るし」
「咲也くん、俺、一応男だから」
「解ってるよ。それが俺と巌さんに何の関係があるの?巌さんには、関係ない」
咲也は苛々すると同時に恥ずかしくなる。よりによって上の階だったなんて。昔、俊一と抱きあっていたときの自分の『あの声』とか、聴かれていたんだろうか?
「……俺、初恋は、同級生だった。小柄な、男の子。中学の時。見てるだけで、終わったけど。大人になって好きになった人で、同性のひとはいるよ」
笑うでもなく、茶化すでもなく、真剣に巌は言う。
「……お茶碗、片付けるね」
巌の言葉に、何と言っていいか分からず、何事もなかったかのように、咲也は立ち上がり、巌の隣に立ち、茶碗を取ろうと右手をのばす。巌は咲也の右腕を引いた。自然と巌に抱きかかえられる形になった。巌は逆の手で、体を支え、抱きしめた。
「話を聞いて。咲也くん……ごめん。俺に触れられるの、嫌?」
声が振動となって、咲也の身体と鼓膜を揺らした。熱がまだあるせいか、巌の身体は熱い。狡いひとだ。そんな言い方をされたら、何も言えなくなる。隠してきた気持ちも、全て溶けていく。咲也は巌の懐から見上げ、言った。
「嫌じゃない。俺、巌さんの手、好きだよ。大きくてあったかい」
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