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〖第16話〗巌の本当のこと

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「俺、前々から思ってたけど」

    巌は指を組みながら、横の咲也を見つめる。

「どうして……そんなに、咲也くんはやさしいの?」

「巌さんが親切だから」

    コーヒーを一口啜る。静かに咲也は言った。実際、そうだった。いつも巌はやさしくて親切だ。

 つい甘えてしまうほど。つらいとき、寄りかかりたくなるほど。自分に向けられる、そのやさしさや親切を『特別』なのではないかと勘違いしたくなるほど。

けれどそれは、彼の左手が許さない。巌にしてみれば、自分なんて、たまたま親しくなったゲイのパートナーを亡くした、情緒不安定な厄介なアパートの住人。それぐらいだ。今になって再確認する。虚しさに笑いたくなる。

「でも、俺はひどいことを言った」

──────────    

巌と知り合って最初の頃、巌と同じ質問をしたことがあった。

『巌さんはどうしてそんなにやさしいんですか?』

    その時、彼は、

『物件的に、その……』

    と言葉を濁したことがあった。チクリと胸に棘のようなものが刺さった。しかし咲也は深く気に留めなかった。

 確かにアパートの大家としてはそうだろうと割り切っていたし、その頃、巌に対し、今のような想いもなかった。

『親切』にされるには『何かしらの理由がある』と思う程度だった。週に何回か、咲也のアパートを訪れる親切なやさしい監督者。ただ、それだけ。

 お茶を飲み、ポツポツ話をする程度の関係だった。

──────────

今は違う。巌を見つめる視線に熱量が加わった。咲也は言った。

「今でも、前と同じ理由なの?」

    そう咲也が言うと、巌は、はっきり、

「違うよ」

    と言った。咲也は自分が一番言われたくない言葉を敢えて言う。声が震えた。泣きたいのか、笑いたいのか解らない。

「俺、今も、そんなに可哀想に、見える?」

「違うよ!」

    巌は一言、さっきより強くそう言った。その様子に、咲也は、ソファーの前のローテーブルにコーヒーカップを置いた。巌のコップもそっと受け取りテーブルにのせる。

「……ごめんね、熱があるのに。無理させて。帰る時間だよね。タクシー呼ぶ?」

「まだ俺は、咲也くんに何も言ってない」

    真っ直ぐ咲也を見つめて話そうとする巌に視線を合わせた。

 
 巌の問いかけに、咲也は下を向いた。巌の強めの口調に萎縮する。はっきり『違う』と言えない。自信がない。首を力なく横に振る。

「だって、他に、来る理由は?俺、何もない。何にもない!つまんないでしょ、俺と居るの。俺だったら来ない。こんな情緒不安定な面倒な奴のとこなんて来ないよ!いつも嫌なこと言ってつっかかるし、巌さんにとって、良いことなんてひとつもない!もう、来なくて良いよ。火曜日も、金曜日も。本当は嫌なんだろ!来たくなんかないんだろ!」

    咲也はみっともない潤んだ声で捲し立てた。こんな幕引きもあるのか。今更ながら咲也は思う。今にも落ちそうな涙をこらえて咲也は下を向く。泣くのをこらえようと手を握りしめる。震えて、爪が食い込んで痛い。巌は俯いて肩を震わせる咲也の髪をやさしく撫でた。

「馬鹿だなあ。そんなことを考えるなんて。俺は火曜日と金曜日が楽しみで仕方ないのに。咲也くんに会えるから。美味しいご飯も、楽しみだしね」

    ふふっと小さく巌は笑う。

「咲也くんは、いつも、一生懸命に前を向こうとしてる。独りでも、君はろくに弱音もはかず笑顔でいようとしてる。頑張っているよ。俺とはまるで違う。咲也くんはえらいよ。自信を持って」

    巌の笑顔がいつもと違う感じがした。涙目で、巌を見上げる。

「巌さん、訊いていい?『俺とは違う』って何かあったの?嫌なら……言わなくて良いから」

    巌は目を伏せた。

「俺もね、誰もいないんだ。待っていてくれるひとも、見送ってくれるひともいない。毎日仕事から帰って来て無駄に広い部屋でコンビニ弁当食べてる。火曜日と金曜日は咲也くんが美味しいご飯作ってくれて、俺を待っていてくれて、俺は色々なことを話せて、咲也くんは笑ってくれて、楽しいことばかりだよ。咲也くんは俺に、幸せな時間をくれる。俺はさ、咲也くんの笑った顔が好きだよ。でもね、咲也くん。咲也くんは俺のことを『やさしい』っていうけれど、それは間違っているよ。俺は、やさしくなんかない。自分の妻が病気だったことさえ気づかなかったんだから」
   
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