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〖第10話〗咲也と巌の自己紹介

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 巌は、熱で苦しそうに顔を赤くしながらも、努めて、咲也のことを考えながら会話を繋ぐ。

 昨日のことについて、インフルエンザの高熱の中でも悩んで、迷ってくれていた。

 その事実がつらく、切なかった。酔って、一人で泣いたり怒ったりを繰り返した自分が恥ずかしかった。

「巌さん、俺、待っているように、見える?」

「いや……」

 そう言い、巌は大きな瞬きをした。いつもより表情が読み取りづらい。これが『外用の』巌なのだろう。

 熱が上がってきたらしく、寒いと巌は言う。巌の瞳は潤んでいて、こんな時だけれど、色気を感じてしまった。

 渋滞で止まるか止まらないかの車。巌と視線を合わせ、咲也は訊いた。

「巌さん。巌さんは、どっちがいい?待たれるのは、重い?」

 一呼吸おいて、巌は言った。

「待っていてほしい。咲也くんが嫌じゃなければ」

 あと、これ。持っていて。信号待ちを見計らったかのように、巌はスーツの右ポケットから、名刺を差し出した。

「名刺?でも俺、部屋を借りる時、会社の名刺貰ったよ?」

「裏、見て」

 咲也は何気なく、名刺を裏返した。

「あ、番号」

 裏にはお世辞にもうまいとは言えない、でもやさしい字で、

「赤根 巌 090-********」

 と書いてあった。  

「ちょっと待ってて。」

 咲也は手帳にペンですらすらと線の細い字で、

「葉山 咲也 090-********」

 と書き巌に渡した。

「俺と、咲也くん、やっと自己紹介したみたいだね」

 そう言い巌は、また眉を下げ笑った。そうだね。そうかもしれないね。咲也は巌を見つめ微笑んだ。

 ずっと一緒にご飯を食べているけれど、咲也は巌について、何も知らない。対外的なことは、働いている場所が不動産屋なことくらいだ。

 でも、ずっと見てきた。知っていることもたくさんある。
 
無意識の癖。
 
好きな料理。
 
やさしい笑顔。
 
動揺すると額に汗が滲むこと。
 
低いけれど温かい声で話すこと。
 
炭水化物が好きなこと。
 
特にうどんが好きなこと。
 
左手の光はどんなときでも外さないこと。

    
 巌の膝の上に、大事そうに丁寧にたたまれたプレゼントした灰色のマフラーに、咲也は胸が少し苦しくなった。
   


 周りの人たちが、寒そうに身を縮めて歩いている。街路樹の散った葉が、除雪したての黒い凍った地面を、からからと音を立てて走っていく。車が駅に着いた。巌の車は乗り心地が良く、巌もとても運転が上手で、つい、うとうと微睡みそうだった。

「咲也くんの居ない、金曜日は、淋しかったよ」

    巌は少しもの悲しそうに言う。

「俺も、淋しかったよ」

「鞄重そうだね。気をつけて。インフルエンザ、うつってないといいけど」

「熱が出たら、お見舞いに来て欲しいな」

「解ったよ」

    巌は微笑む。

「じゃあ、また。早く元気になってね」

    じゃあ、また。巌もそう言い、目を細めて窓を閉めた。咲也は時間も忘れて、ずっと巌の車が街に消えてしまうまで見ていた。

    新幹線のホームは、閑散としていた。ここの地域の特性なのか、みんな目立たない格好をしている。煙草を吸いたかったので、時間は早めにみていて正解だった。巌にも、会えた。澱んだ感情が全て、溶けるように消えた。

──────────

 好きな缶コーヒーを買って、喫煙室で、ゆっくり煙を楽しむ。銘柄は6mgのピースだ。昔から、ずっと変えていない。

 隣の品良く煙を楽しむおじいさんもピースを吸っていた。この煙草は煙だけで銘柄が分かる。おじいさんと目が合う。おじいさんはにっこり笑った。

「お仕事ですか?」

「ええ」

    嘘は言っていない。原稿を結城に渡し、カフェで打ち合わせをし、一緒に食事とお酒を楽しんでくる。

「仕事ですか。大変だ。私は女房と東京へ行くんですよ」

    おじいさんはまたにっこり笑う。

「奇遇ですね」

「あいつ、浅草へ行きたいっていうもんで。いや、私一人では東京なんて、行ったことは何回もありますよ。ただ、どうしても元気なうちに二人でって言うんで。こんなに寒いのに」

品のいいおじいさんはまるく微笑んだ。 

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