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〖第9話〗誤解がほどけるとき
しおりを挟むこんなにあっけなく巌との間に溝のようなものが出来る前に、好きだと、伝えればよかった。なんとなく、巌はもう来ない気がした。
同じ細みのリングの女性と仲良く暖かな部屋で笑っている様子が目に浮かぶ。咲也は、その日、独りでうどんを作って食べた。
泣きながら食べた。つらくて、悲しくて、もう来ることはないひとを思いながら食べるのは、あまりにもやるせなかった。
涙が止まらなかった。眼鏡に落ちて、器にさえも落ちない不様な涙。
『みっともないから泣くな』
『独りに戻っただけだ』
そう自分に言い聞かせた。
*****
バス停には五分前に着いた。しかし待っても待っても、バスは来ない。咲也は時間にルーズな友達を待っているような気分になった。
タクシーをつかまえようにも、みんなお客さんが乗っていて、もどかしい気分になった。右手の腕時計を見る。
「プップッー」
いきなり後ろの方からクラクションを鳴らされて、待ちくたびれた不機嫌も相まり、咲也は思い切り銀色の少し高そうな乗用車を睨んだ。
窓が、開いた。
「咲也くん、だよね?」
白いマスクをつけた男性が、誰なのか分からず、しばらく咲也は訝し気にその男性を凝視した。
コンタクトレンズをしている今日は、普段の眼鏡の時より視力は落ちる。
「巌、さん?」
マスクを下にずらして巌は控えめに笑い、
「そうだよ。駅に行くの?」
「あ、うん。巌さんは?会社?」
「いや、病院。送っていくから、乗っていきなよ」
「病院って、どうしたの?大丈夫?車、助かるけど、いいの?」
「大丈夫だよ。ほら、寒いでしょ。早く乗って。あったかいから」
いつも通りの朗らかな口調の巌に安心する。汚れた色んなマーブル模様のような気持ちが消えていく。
咲也は、助手席に乗り、シートベルトを締めながら巌を見つめた。
「昨日のこと、謝りたくって」
前を向き、運転しながら巌は言う、黒い手袋をしていて左手の光るものは見えない。
巌をもう、ゆうに一年以上見てきたけれど、まじまじと横顔を見たのは初めてだった。
たれ目気味のやさしい目。
目尻の笑い皺。
咲也の視線に気づき、巌は疑問符を浮かべた。何でもないと咲也は首を振る。巌は小さく、苦しそうな咳をした。
「謝りたいって、昨日来なかったこと?」
「もし、もしもだけど、勘違いなら、ごめん。昨日、咲也くんが待っていてくれてたら、悪いことをしたなって、思った。いつも、金曜日に咲也くんの所へ行くから。昨日は仕事が長引いて。遅い時間だったし、連絡するのも気が引けて。それに、咲也くんが俺のことを待ってるなんて、何だか思い上がってるな、なんて考えて。こんな、面白くもない冴えないおじさんなんかって。待っているひとなんて、居ないのに。そしたら段々ふらふらしてきて。帰ってすぐ夜間救急に行ったらインフルエンザって言われて、取り敢えず薬もらって、明日早くにもう一度、病院に行きなさいって言われて」
「大丈夫?顔が真っ赤だよ?あと、勘違いじゃないよ。俺は……巌さんを待ってたよ。それに巌さんは面白くもない冴えないおじさんなんかじゃないよ」
クシャリと柔らかい笑い皺を寄せ、巌は微笑んだ。
「ありがとう。咲也くん」
熱があるせいか、お酒を飲んだように巌の顔は赤い。
咲也くんにうつったら困るな、と苦笑して眉を『ハ』の字に下げる巌を見ていると、胸を掴まれるように苦しかった。
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