抱きしめたいあなたは、指をのばせば届く距離なのに〖完結〗

カシューナッツ

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〖第4話〗君がつらいと、俺もつらいんだ

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 このひとは、無理に理由を訊くことはしない。戸惑いながら背中を撫でて『大丈夫?』と訊いてくれる。

    けれど、この関係を崩したくはない。それに巌はやさしいけれど、自分に同情はしても許容してはくれない。

 そして、咲也は巌への想いを知られたくなかった。自分のことを異性を見るようにみることは決してない。左手の光を見れば解ることだ。浮かんだ考えを打ち消すように深呼吸をし、静かに咲也は言った。

「巌さん、手を放して。もう、大丈夫だから」

    落ち着いた様子の咲也に『ごめん』と一言、巌は小さくそう言い、力なく手を放した。手首を掴まれた圧迫感が消えていくことが切なかった。そして、自分の、これからずっと巌へ伝えることはないだろう想いが悲しかった。

 早く手当てをしようと言う面持ちで巌は咲也を見ている。その目がこれ以上ないくらい悲しくて、咲也は、無意識に傷をつけた親指に、ただ、罪悪感を覚えた。     

    巌に手を引かれるようにし、リビングに連れてこられ、咲也はいたたまれない気分になる。咲也をソファーに座らせ巌は訊いた。

「薬箱、どこ?」

    巌の声は硬い。咲也はサイドボードの右端を指さす。

「そんなに痛くないよ、血もほとんど止まったよ。いいよ。自分でやれるよ」

    それには答えず、巌は手際よく薬箱を見つけ、手当てを始めた。咲也はまじまじと傷を見る。思ったより傷口は深かった。小さいが、ぱくりと口を開けている。怪我をしている咲也は、冷静だった。

    視線を卓上コンロの上のお鍋に送る。お鍋、煮詰まっちゃうな。巌さん、うどん好きなのに。海老残してくれたのに、大丈夫かな。そんなことが頭をよぎった。


 巌は始終眉間に皺を寄せていた。巌はそっと咲也の手を取り、傷口を消毒し、水に強い絆創膏を貼りながら、言った。

「咲也くん。今、お鍋のこと考えてたでしょう。それよりも、もっと大切なことがあるんじゃない?」

    巌の声は相変わらず硬い。

「……ごめん」

    咲也は言い、続ける。

「でも、俺は、自分で自分を傷つけるほど、弱くない。あの時とは違うよ。偶然だよ。ただの不注意だよ。だけど巌さんが今日来てくれたのに、俊一のことを考えたことは悪いと思ってるよ。あと、鍋のことも考えていたことも」

    巌は、眉を下げる。目の奥が本当に切なそうで、咲也の心は軋んだ。

「咲也くん、本当に君は、正直だね」

    沈黙が流れた。暫くし、巌が口を開いた。

「さっき俺が言いたかったのは……謝って欲しいなんて思っていないよ。つらいのは、咲也くんでしょう?ただね、君が怪我をしたら悲しむ人がいることを、君がつらそうな顔をする度に、つらくなる人がいることを、覚えておいて欲しかったんだ……それだけ」

    あの後二人で黙々と鍋に残ったうどんと海老を食べた。

「あ、良かった。うどん無事だ、焦げてない。海老も」

    ホッとしたような咲也の口ぶりに巌は難しい顔をする。咲也は、そんな巌を寂しげに見て「食べよう?」と言った。

    海老は殻をむくのに、親指が痛かった。それでも、咲也にとっては巌がお土産に持ってきてくれた大切な海老だ。無駄がないよう丁寧に剥く。

「剥いてあげようか?」

   と心配そうに尋ねる巌に『平気だよ』とも『大丈夫だよ』とも言えず、軽く口の端を持ち上げ首を横に振り、

「いいんだ」

    一言、咲也はそう言い、懸命に微笑み、黙々と海老を剥き続けた。
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