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カップを、割って〖第45話〗

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「痛くはないのか?目を擦るな。赤くなったら大変だ。身体を大事にしてくれ」

    深山が心配するのは、幼い少年ではない。深山は『絵のひと』以外必要ない。興味もない「海に行こう」言ったのも、目を心配したのも、少年の中に『絵のひと』がいるからだ。

 幼い少年が『絵のひと』に似ていなかったら、きっと深山は、幼い少年に見向きもしない。幼い少年が一生懸命見ないふりをしてきたものが姿を表す。

    だったらいっそ、少年は深山の半端な気遣いや優しさなんて要らなかった。深山の秋のコート。暖かくて、嬉しかった。けれど、深山にとってはあくまでどうでもいいことだ。幼い少年がどんなに嬉しかったかなど、深山は解らない。

    こんな、『アレク』の代わりなんてもう嫌だ。でも、深山が少年を見るのは、少年に『アレク』を探すからだと幼い少年は解っていた。それでもいいとは、思えない。納得なんて出来ない。どうして自分を見てくれない?

悲しい、

切ない、

悔しい。

 やるせない気持ちで少年は限界だった。どんどん涙は溢れて睫毛にたまってポロポロ落ちる。

『うわああああん!』

 幼い少年は欅の落ち葉をつかんで深山に投げつけた。

 何度も泣きながら落ち葉をつかんでは深山に投げつけた。暫くし、息をきらせながら涙でグシャグシャになった顔で、大声で言った。

『どうして?どうして、ぼくじゃないの?ぼくじゃだめなの?ぼくも、『アレク』なのに、ふかやまさんは、ぼくなんて、どうでもいいんだ!絵のひとに似てなかったらぼくなんて、どうでもいいんだ!もうやだよ!ふかやまさんの、ばか!』

 走り去る影を深山は見ていた。深山は幼い少年の悲しみが解らない。解るのは、傷つけたということだ。
 
 少年はアトリエに戻り、外靴を脱ぎ棄ててスリッパもはかず寝室に籠り、ブランケットを頭からかぶり丸まって泣き続けていた。嫌われても、もういい。カップに住めばいいことだ。

 もう姿は見せない。暫く後、深山のたてるノックの音が寝室に響いた。ブランケットを頭からかぶり丸まって震えながら泣く幼い少年に、手のかかる子供をあやすように、ベッドの端に腰かけ、話す。

「アレク………どうした?何が悲しい?何に怒っている?」

 深山の声に身を起こし、少年は大粒の涙をこぼしながら、深山を睨んだ。けれど、心配そうに少年を見つめる深山を見ると、少年の怒りは溶けて悲しみばかりがひろがっていく。少年は、震える声で言い放った。

『ぼくは、ぼくだもん!ふかやまさんが名前をくれたんでしょ?この前ちゃんとふかやまさんは『アレク』だって言った!なのに、なんでふかやまさんは、違うものをいつもぼくに探すの?ちゃんとぼくを見てよ。ぼくも悲しかったり、苦しかったりするもん!切ない気持ちもあるもん!どうして、ぼくを無視するの?もういやだよ。もう、ふかやまさんと一緒にいるの、いやだ!ぼくは、いらない子なんでしょ?『アレク』じゃなかったら、いらないんでしょ?見向きもしなかったんでしょ?ふかやまさんの、優しさは、ざんこくだよ!………もう苦しいよ。疲れたよ。もう、割ってよ。カップを割ってよ!』
 
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