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幼い少年との日常〖第38話〗
しおりを挟む一ヶ月半が、経った。
『起きてください、ふかやまさん、起きて!起きて!起きてよぅ!』
幼い少年が、深山の身体を乱暴に揺すり、深山を無理やり起こす。
約束事の一つ目、朝の八時に起こすこと。
『ふかやまさん、今日はオムレツがうまくできたんです!林檎はどうですか?おいしい?』
ひどく不器用に向かれた林檎。食べている中身より剥かれた皮についた実の方が多そうだ。昔、彼に最初に林檎を剥いて貰った時、嫌味を言ったことを思い出す。
『だめ、ですか?』
無言で、林檎を食べる深山の表情を読んだのか少年はひどく残念そうな顔をする。深山は何処か寂しそうに笑って、
「美味しいよ、美味しい。でも、もう少し二人で特訓しよう。これじゃあ林檎さんが、ちょっと可哀想だ」
『はい………』
「いつもありがとう、アレク。君には感謝しているよ」
『はい!じゃあ、ふかやまさん、後から林檎さん剥こう?』
見上げる瞳の無邪気さが、痛い。
「着替えてくるから待っていなさい」
白いシャツに、黒のスラックスを履き、眼鏡をかける。二人でダイニングの椅子に腰掛け、林檎を剥いた。
「たくさん剥いたな。ジャムでも作るか」
『紅茶にいれたら美味しいかなぁ』
あどけない顔をして少年は言った。
ロシアンティー、か。彼は喫茶店から帰ってから暫くして自信がなさそうに彼流のロシアンティーを作ってくれた。黒スグリの甘く爽やかなロシアンティー。喫茶店のご主人の出したフランボワーズの味とは違う味。
『美味しい、ですか?あまりにも古い記憶で、一度しかなくて』
彼がおずおずと出した、甘酸っぱいロシアンティーはとても美味しかった。
「美味しい。とても爽やかだ。甘さも丁度良い」
『そう言って貰うと嬉しいです。また作ります。今度はココアを。深山さんは「あまとう」なんでしょう?』
思い出す、あの笑顔に深山は俯いた。あの後、何回も二人であの店に行った。たわいもないことをたくさん話した。彼は目を細め深山の手に自分の手を重ねて言った。
『ずっと今が続けばいいです。毎日が、幸せです。怖いくらい』
彼の潤んだ碧い瞳を思い出す。深山を見つめ、笑っていた。あのときこれ以上はないほど、幸せを感じた。
会いたい。思い出だけ残して消えてしまった彼に、会いたい。触れたい。抱きしめたい。泣きそうになる。
少年がぎゅっと椅子に座る深山に後ろから抱きつく。
「どうした、アレク?」
『ふかやまさん、ずっとつらそう。大丈夫?泣いてるの?』
「泣いてなんかいないよ。悲しいことなんて、ないよ」
『本当?』
「ああ。アレク。上手に剥けるようになったな。明日の林檎を楽しみにしているよ」
約束事の二つ目、朝は必ず林檎を剥くこと。
『はい!あ、今、ミルクティーを淹れますね』
「ああ、頼むよ」
少年の手がふわりと光る。出来上がるのは、熱いミルクティー。これだけは変わらない。
約束事の三つ目、毎食後のミルクティー。
同じ香り、同じ味。この幼くなった少年は何を思ってミルクティーを淹れているんだろう。
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