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深山の祈り〖第36話〗
しおりを挟む「着きましたよ」
狭川に話しかけられるまでぼんやり夢を見ているようだった。
「あ、あそこが自宅兼作業場です。階段、急ですから気をつけて。じゃ、行きましょう」
狭川は人懐っこい笑顔を浮かべ、階段を昇る。
早速、割れたティーカップを見せる。割れた位置や強度の面から西洋風より、漆と金で繋いだ方が良いかもしれないということだった。深山は「なるべく出来上がりが、昔と変わらぬように」と強く頼んだ。
「今、休暇をとっているんで三週間見てもらえれば。つきっきりで集中したいです。このティーカップ、綺麗な外国の子が泣きながら眠っている感じがするんですよね」
また変なこと言ってって良く言われるんです。すみません、と言い狭川は頭をかいた。
「変なことではありませんよ」
深山はそういい、手元のさっき手渡されたミネラルウォーターを飲んだ。
約束の期日を少し過ぎたが、完璧な姿で依頼に答えたいとの狭川の言葉をのみ、よつたがまや(一週間押して、四週間で、もとの美しさを取り戻したティーカップが、深山の手に戻った。狭川の金継ぎの細さが、縁の金縁と揃えられ美しい。
「綺麗ですね。触れて、いいですか?」
「大丈夫です」
そっと、指先で触れ、目を瞑る。気配がない。ほとんど感じない。あまりにも弱い。
弱い気配と言っても、家にあるコレクション達とは違う。あるけど手の中からこぼれ落ちて行くような感じだ。
誰に頼めばいいのか。形は美しい元のティーカップに戻ったのに。途方にくれたくなった。
「これでは………駄目ですかね?ご希望には添えませんでしたか?」
狭川は深山の表情を読んだかのように言った。
「深山さんも、それにティーカップ自身も元気がないと思いまして。普通、つくろいが終わると、器も満足するのですが。少し、象眼されていた宝石がゆるいかな?」
「少しいいですか?」
深山は、アレキサンドライトに触れた。軽く触っただけなのに、パシッと音をたてて、宝石はカップにきっちりとはまった。
その瞬間から、少年の気配を少しだけ感じた。静かな寝息が指先から感じる。深山は『起きてくれ』と、一生懸命心の中で呼びかけるが、少年は応えない。
不思議な感じだった。まるで冬眠しているようだ。深山は泣きそうな顔でティーカップを凝視する。
「……あの、深山さん。いきなり変なことを尋ねますが、深山さんは器の声や、姿とかを『感じ』たり『見たり』『聴いたり』……しますか?」
狭川は、深山に問いかけた。いつもの溌剌とした明るさはなく、真面目な顔をしていた。
「……はい。変かもしれませんが。笑わないで下さい。このカップは、やさしい姿をしています。こんな………おかしな、話ですね。忘れて下さい」
狭川は首を振り、真面目な声になる。
「私と、同じです。ここにある古伊万里の皿は私の………大切なひとです。ある市で見つけてつくろってからずっと一緒に居ます。だから、こんな山奥でも寂しくないんです。……ティーカップを完全に直せず、すみませんでした……亡くなった父も『つくろい』の職人で、「悩んだら原点に戻れ」と言っていました。買った店にはいかれましたか?そのティーカップにゆかりのある人や、昔を知る人が居れば、何か解ることもあるかと思うのですが………」
深山は、狭川の言葉に、あの、不思議な老人が浮かんだ。あの老人なら、少年の目を覚まさせることが出来ると思った。
「狭川さん。私にとって、このティーカップも、大切なひとです。それを、あんな状態だったのを、こんなに綺麗にしてもらって。本当に感謝しています。それと、『原点』という言葉と『ゆかりの人』に、思い当たる節があります。………狭川さん、本当にありがとうございました」
深山は狭川に深く頭を下げた。
狭川に駅まで送ってもらい、新幹線を降りると、もう街の喧騒だった。むっとした街独特の湿度。深山はあまり好きではない。タクシーで、公園に向かった。あの老人に会うため、高台にある桜の並木を目指した。今日はやけに人が多かった。そう言えば今日は、街のお祭りだということを思い出す。
あの老人は賑やかな所は似合わない。会えないかもしれない。それでも、待った。日を改める気は起きなかった。陽が暮れて暫く経つと、辺りはもう宵闇の世界だ。
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