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不思議な翁〖第33話〗

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 少年はたこ焼きの容器を両手で深山に差し出した。
 
『半分残しました。あとはふかやまさんの分です』

 見ると大きめなものが四つ残してある。

「私は一つ、味見に食べれば良いから、あとは君が食べなさい。気に入ったんだろう?」

 深山には少年の困惑が見てとれた。食べたい、でも悪い、とでもいうような。

「私は君が食べているのを見ることが好きだ。君は食べ上手だな。遠慮はいらない。食べなさい」

『えっ、嬉しいです。美味しいです………美味しい』

 少し目を潤ます少年に、どうした?と深山は目で問いかけると、少年は首を振り、たこ焼きで軽く頬を膨らませながら、これ以上無い笑みを浮かべた。
 
 市は前に来た時よりも活気づいてるような気がした。胡散臭い骨董品。夜には掛け軸から抜け出しそうな動物たち。随分歩いて高台に来る。

「あの日は桜が咲いていた。家に帰って喧嘩をしたね。懐かしいよ。あの不思議な老人には感謝しなければいけないな。君と出逢わせてくれた。本当に………懐かしいな」
 
 目を細める深山に、

『ぼ、僕を、翁様に返すの?ふかやまさん』

 怯えた口調で少年は言った。握られた手が震えている。縋るような瞳に深山のどうしようもない気持ちが破裂した。

「馬鹿なことを言うな!君がいなくなったら私はどうすればいい?考えただけでおかしくなりそうだ!何で、解らない?こんなに大切なのに。どうしてだ?君は自分が人ではないからかと思っているのか?じゃあ、私は?人ではない君をどうしようもない程に想っている私を君は笑うのか?」

 深山は怒鳴りながらも涙が止まらなかった。深山の初めて見せた、あまりに激しい感情に少年は深山を見上げた。少年を抱きしめ、深山は、

 「怖い」

 とだけ言い、少年を抱きしめ、腕に強く力を込めた。

『くるしい』

 少年は呼吸がつらそうに、目に涙を浮かべながら言った。少年は、深山が悲しかった。
 
「私もくるしい。くるしくて怖い」
 
 夕暮れ時、辺りが残照につつまれるまで、ずっと深山は泣いていた。涙の意味など解らないくらい泣いていた。

「アレク、怖いんだ。助けてくれ。一瞬一瞬が幸せで、一瞬一瞬が怖いんだ」

 少年は、深山の白の薄地の長袖のシャツごしの背中にぎゅっと腕を回す。少しでも深山の不安が消えるようにと、少年は深山を力を込めて抱きしめた。金色の髪に顔を埋めて、咽ぶように泣き続ける深山に、少年は子供をあやすように言った。

『ふかやまさんも、泣き虫だったんですね。泣き虫を独りにしておけません。僕が、傍にいないと。こんなにいっぱい泣いて。ずっと、傍にいるといつも言っているじゃないですか。ふかやまさんは、何が不安なんですか?』

「君を、失うことだ………幸せは、怖い」

『こんなに傍にいるのに?』

「だからだ」

 ふわりと夕闇に溶けそうなくらいの山梔子の匂いがした。振り返るとあの不思議な老人が、出会った時と変わらない風体でそこに居た。にぃと笑い、みすぼらしい風体だが、やはり品のある澄んだ瞳のあの老人。

『お兄さん、また会いましたな』

 深山は涙を軽くシャツの袖で拭いて、会釈した。

「え、ええ。お久しぶりです」

『あの子とは仲良くやっていますか?』

「はい。彼のお陰で、全てが華やぎます」

 アレク、ご挨拶を。そういう前に、少年と老人はすでに話し込んでいた。

『随分幸せそうにしているね。あの人の所に行って良かっただろう?おや?珍しい指輪だ………これは、成程、ふむふむ。大切になさい』

 気をつけて帰られよ、そう言うと、一瞬の間に老人は、消えてしまった。纏わりつくような山梔子の香りが夕暮れの闇に溶けた。
 
 深山は手を繋ぎ、一言「帰ろうか」と言い、少年の手を握る手の力を込めた。
  
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