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少年を傷つけたこと〖第21話〗

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「………君を愛しているんだよ。私には、君だけだ。君だけなんだ。ひとだから、ひとじゃないからだなんて関係ないんだ。だから、疑わないでくれ。せめて私の気持ちだけは、疑わないでくれ。………もう二度と『マスター』なんて言わないでくれ………」

 深山は、とうにぬるくなった、残っていたミルクティーを飲み干し、ティーカップを置き、細い声で、

「ミルクティー、ご馳走様。美味しかった。寝室で休む。昼食も、夕食もいい。今日は、すまなかった」

 と言った。返事は、なかった。窓から差す光の中に少年は消えてしまった。それから深山はティーカップをシンクで優しく洗い、カップを見つめた。

「まだ、君の名前の話もしていない………」

 深山は、足早に寝室へ向かった。少年に想われる自信が零れ落ちていく。火傷を負い、卑屈になる自分が嫌で、周りを傷つけて、人を寄せ付けなかった。それでも、少年は受け入れてくれた。

『ふかやまさん』と、いつも明るい声で呼んでくれた。あれだけ「入るな」と言っていた場所に呼んで、何も理由も説明もなく言った言葉、取った行動。全て少年を傷つけた。無神経な自分が嫌になる。

 そして、指輪を贈った、それだけであの少年と完全に『恋人』になれたと思い込んでいた。美しく優しい少年。そして、こんな醜い劣等感にまみれた自分。きっとあの少年は愛さない。深山は自嘲する。自分でさえ、愛せないのだから。

「絵だけは、喜んでくれると、思っていたんだが……喜んで、欲しかったな………」

    通り過ぎた窓が深山を映す。冴えない、火傷を隠すためにみすぼらしい髪型をした、こんな年の離れた画家。手も荒れて汚ならしい。愛らしさと、純粋さだけを取り出した少年には不釣り合いだ。

 寝室のドアを開ける。昨日主電源を抜いたランプシェード。弱い照明も消してあり、カーテンが引かれ、昼なのに寝室は真っ暗だった。少し肌寒く、足元に追いやられたブランケットを深山は、手繰り寄せる。

『くしゅっ』

 少年の小さなくしゃみをする音がした。

「アレク?どうした?何処にいる?」

 ランプシェードをつけようとし、やめる。『紅い瞳の少年』が嫌いなわけではない。ひたすらに深山を求める姿はある意味、純粋で美しかったと思う。

  だが、深山は『いつもの少年』がいとしい。深山が会いたいのはあの碧い瞳。やわらかく『ふかやまさん』と深山を呼ぶ、少し高めの甘い声。照れ屋な可愛らしいあの少年。

 深山は、視力は悪いが夜目は利く方だ。お互いに背中を向けて寝ていることが解り、深山は向き直し、少年を後ろから抱きしめる。

『ふ、ふかやまさん?』

「くしゃみをして、どうした?風邪を引いたのか?風に当たりすぎて寒かったか?湯たんぽを作ってこようか?ん?」

 少年は、小さな声で笑う。涙声で震えているように聞こえた。

『やっぱり優しい。ふかやまさんは、優しいです。謝りに来ました。嫌な思いをさせてしまいました。「マスター」なんて、嫌味を言って。申し訳ありませんでした……嫌いに…ならないで下さい…ごめん、なさい』

『嫌いだ』と言われると思っていた相手から、涙声で『嫌わないで』と言われ、どうしていいかわからなくなる。暫く深山は少年の髪に顔を埋め、抱きしめる腕に力を込めた。震える少年がいとしい。

 謝ることなんてない。嫌味なんて気にしないのに。少年がここにいる、腕の中にいるそれだけでいい。今、どうしようもなく、切ない。酸っぱいものを飲み込んだような感情が込み上げてくる。

「気にしなくていい。私が悪い。謝るのは私の方だ。つらい思いを、させたね。その、私を嫌いにならないでくれて……ありがとう。今度、花曇りの日に庭で二人でピクニックをしよう。いい年をして子供じみているか?でも、私は家族の思い出がないから。少し憧れるんだよ」

    深山は少年の指に自分の指を絡める。温かな少年の手に安心する。優しい手だ。温かに、ただ触れるだけで自分を癒してくれる手。

『………僕はいくつに見えますか?』

「童顔で小柄だが、十八、十七歳と言ったところか?」

『生きてきた、年です』

 深山は言葉につまった。

『僕はゆうに、二百歳を超えています──』
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