その声で抱きしめて〖完結〗

華周夏

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〖第66話〗瀬川side③

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『生きて、いるんですか。どうして俺に電話を? 鷹に…迎えに行かせた方が……』

『鷹に「生きてる」なんて話でもしたら、あの子、逆上して何するか解らないわ。………瀬川くん、あなたは朱鷺のことをどう思っているの?
朱鷺は特別なひとだと──恋人だと──言っていたけど。ただの遊びなら朱鷺から手を引いて。この件も別な方法を考えるわ』

『遊びを許すひとではありませんよ、朱鷺くんは』

『瀬川くんらしい答えね。じゃあ、本題ね。あなたには酷な話だけど………他に頼める人がいないの。
──葉山良介さん、もちろん知ってるわよね?作曲家でピアニストの』

『ええ。俺の師ですが………』

『あの人が朱鷺の「先生」よ。あの事件から、すぐ『事故』で視力を失ったの』 

『嘘…………ですよね?』

『事実よ』

『……あの頃の俺の支えは、葉山先生だけだった………嘘ですよね、芦崎さん!』

『………鳥をモチーフにしたアルバムをシリーズで出してるでしょう?
あれ、あの人が飼っていた鳥の名前よ。
葉山さん、野鳥保護もしてらっしゃるから。
瀬川くん、あの人の新しいアルバムに『朱鷺』が加えられたらあなた堪えられる?もう、あなたしかいないのよ』

『──何処なんですか?先生の居場所は』

『都内の彼の家よ。あなたも行ったことがあるんじゃないかしら───』

車を走らせる。行ったことがあるなんてもんじゃない。高校を卒業してあの家を手にいれるまで、一時期ではあるが『住んでいた』のだから。

『あの事件』の後しばらくし、実家を捨てて、先生の家から電車で高校に通った。

あの頃、視力を失って間もない頃の先生の世話は、住み込みの介護士さんと俺がしていた。
いつも優しくて、厳しくて、穏やかな人だった。

あの頃の俺の精神的支えは先生だった。
先生に世話になっている時、俺は先生の飼っている鳥たちの世話をしていた。
綺麗な声で囀ずる鳥たちが、少しずつ、俺の傷を癒やした。

パラパラと先生のイメージが崩れていく。

いつか朱鷺に行った言葉があった。

『人には表と裏の顔があるんだよ』

と。あの時はただの皮肉のつもりで言った。朱鷺を傷つけるために。
あの頃の俺は朱鷺の大切さに気づいてなかった。今、過去の言葉の持つ悪意にガリガリと爪をたてられているようだ。

いつも優しく、バランスを失った俺を支えてくれたのが表の顔で、
朱鷺を繰り返し犯したのが先生の裏の顔か。

あの時朱鷺は確か、八歳だったはずだ……。

─────────────

家に着く。見慣れた大きな洋風の門にインターフォン。

「瀬川です。先生。開けてください」

「ちょっと待ってくださいね」

女性の声だった。通されたのは綺麗に整理整頓された客間。奥には光を受けるテラスのような作りになっていて、そこにグランドピアノが置かれている。

香山さんと名乗るその人は紅茶をいれてくれた。週に三回、交代で先生の介護に来ていると言っていた。

ダージリン特有のいい香りが部屋に拡がる。しばらくして杖をつきながら先生は姿を表した。
薄いサングラスをかけ、ベージュのセーターを着た先生は昔より痩せた以外は、声など以前と全く変わってないようだった。

「久しぶりだね、瀬川くん。ありがとう、香山さん。少し外してくれないか?すまないね」

先生は穏やかにそう言った。時間を巻き戻されるようだった。遠くで鳥の声が聞こえた。

「ご無沙汰してます。先生。突然ですが、お話があってきました。芦崎くんは、今どちらに?」

「散歩も兼ねて、買い物に行ってもらってるよ。鷹くんではなくて、君をよこすあたり冴子さんも相当、朱鷺くんにご執心とみえるね。もちろん君も、かな?雅之くん」

冴子というのは鷹と朱鷺の母親の名前だ。
先生は、年は重ねたが、

話し方や、
声の抑揚、
本当に何一つも変わっていない。俺の年齢まで若返っているような気がした。
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