傾国の美女─范蠡と西施─〖完結〗

カシューナッツ

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〖第32集〗

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 顔を范蠡は膝を進め、陸香の目の前に座り、両手で陸香の肩を支え身体を起こし、陸香に訊いた。

「抱きしめても、良いか?」

    小さく陸香は頷いた。范蠡はそっと包むように陸香を抱きしめた。

「陸香は柔らかで、温かいな……それにいつも花の匂いがする。私が贈った衣を着てくれて嬉しい。前に『主従になり女であることを捨てた』と言ったが本当は違うと思っていた。衣を着なくなたのは、私のせいかもしれないと」

    悪戯に陸香の口許に范蠡は干し棗を持っていくと陸香は小さな口で棗を食べ、困ったように笑った。指が陸香の口唇に触れた。ふわりと柔らかで、少し指先に紅がうつった。

「幼い頃ひらひらとした薄い絹の衣を着たそなたが袖を振り、少し、恥ずかしがりながら『如何でしょうか』と私に訊いたことがあった。私は『似合わない』『夜を飛ぶ蛾の方がましだ』と、言った。今でも覚えている。そなたが何も言わず真っ直ぐ私だけを見つめて、大粒の涙をこぼしたことを……私は、そなたを傷つけた。いつもそうだ。言うべき言葉が素直に出ない。あんなことを言いたいわけではなかったのに。私は皆に囲まれて嬉しそうにするそなたが嫌だった。自分以外に笑いかけるそなたを見るのは嫌だった。幼い私の下らぬ、悋気だ。本当は、独り、花を愛でるそなたがあまりにも綺麗で儚くて、帰る場所を無くしてしまったような花精のように見えた。あの日以来そなたは黒の服しか着ない、そう思っていた………自意識過剰だな」

 范蠡は困ったように頭を掻く。陸香は微笑んで、

「范蠡様には嘘はつけませんね。あれは最後のお披露目だったのです。もう、私は『黒花の者』で、娘でいられるのもこれが最後だと。私は………小さな頃からずっと范蠡様を不躾ですが、お慕いしておりました。陸香の私を幼い范蠡様が可愛らしい悋気をおぼえて下さっていたことが、嬉しくて。そして今、陸香として范蠡様に抱きしめられて。幸せです……生きていて、良かった」

 涙は陸香の眼から止めどなく静かに流れる。けれど陸香は笑っている。これ以上もなく嬉しそうに。范蠡は頭の整理がつかない。

「陸香……。今『陸香として』と言ったが、そなたには別の本当の名前があるのか?あるなら、教えてくれないか?」 
 
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