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推し活宣言

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 目の前には、今日、この善き日、私の妻となった美しい女性がいた。

 ラステカ・キスィーダ伯爵令嬢。

 いや、今日からラステカ・ムーリクマーナ伯爵令息夫人となった女性だ。

 彼女の事は、貴族の令息令嬢が6歳から通い始める貴族学院の初等部に彼女が入学した時から知っていた。

 初恋の人だからだ。

 柔らかで黄色みの強い黄金の髪に、紅茶色の瞳という、この国ではとても目立つ色合いに加え、誰にでも人当たりも良く、礼節を持ち、笑顔で接する。

 それを良く思わない上級生や位の高い令嬢が虐めたりという事も幼い頃はあったようだが、そのような時にも凛とした眼差しで相手を不快にさせることなく言いくるめる彼女に、いつしかそんなものもなくなり、令嬢の鑑として、男女問わず人気者になった。

 そうなってなお、奢る事のない彼女は、いつもしっかりと前を向き、勉学にも日々研鑽を重ね、高学年になる頃には、第二王子殿下の率いる生徒会にも名を連ねていたほどでそんな彼女は、同じ伯爵位であるとはいえ高嶺の花だった。

 彼女には様々な優良物件が交際を申し込んだと聞いていた。

 彼女を生徒会に誘った第二王子殿下を筆頭に、彼女の美しさと人柄にほれ込んでいた3つ上の筆頭侯爵家の令息や、第一王子殿下の側近となった6つ上の伯爵当主、国で最も美しい容姿をしているという5つ上の伯爵家の嫡男などがその筆頭だった。

 そんな輝かしいメンバーに比べれば、元クラスメイトというだけの、騎士団に所属する伯爵令息、しかも特に珍しくもない白髪にさえないモスグリーンの瞳、ついている顔も中の上くらいの私には太刀打ちが出来ないのは解っていた。

 しかしそれでもなお、卒業前に告白してみようと自分を奮い立たせることが出来たのは、万が一の勝算が自分にあったからにすぎない

 実は彼女は、親友達から脳筋馬鹿真面目と言われる私に昔から行為を抱いてくれていたのだ。

 どうやら、俺が恋に落ちた瞬間、彼女も時を同じくして恋に落ちていたらしい。

 学園の中にある、騎士団に入る予定の令息令嬢が放課後に集い、練習を行う演習場の見える図書館の窓辺や芝生からいつも感じていた視線。

 それが彼女のものだったと知った時の、俺の興奮と歓喜は言葉に出来ないほどだった。(歓喜のあまり、親父からうるさいと拳を貰った事もある。)

 放課後の鍛錬を見に来てくれ、時折差し入れですと手紙と菓子や飲み物をくれることもあった。

 しかもそんなことが、初等・中等と経て、高等学院を卒業するまでの12年間、ずっと続いていた。

 その間、告白しなかったのは、振られるのが怖かった、その一言に尽きる。

 振られたらもう彼女から差し入れを受け取ったり、練習を見に来てくれることはなくなってしまうだろうと思うと、現状に満足するのが一番だと考えたのだ。

 高望みしてはいけない。

 これは彼女の気まぐれだと自分に言い聞かせながら、差し入れに来てくれる彼女を前に、顔がにやけないように必死に取り繕って、彼女がいなくなった後で、女神から下賜された物のように掲げ、手紙の美しい文字で綴られた『応援している』『剣を振っている姿が大好きです』という言葉に、滂沱の如く涙をがなし、雄たけびを上げたのは500では収まらない。

 思いを伝えることは出来ないけれど、思いを受け取ることの出来る学生時代だけの幸せな時間。

 そして学院をあと1週間で卒業するという日。

 学園生活最後の差し入れに、彼女は『剣をふるうお姿をずっとお慕いしておりました。これからの騎士団でのご活躍を、心よりお祈りしております。』と書かれた手紙と、ライラックの花束、そして私が好きな店の焼き菓子をくれたのだ。

 その時、気持ちが爆発した。

 一度はあきらめたこの思い。

 本当にこれで終わりになってしまうのか。

(そんなのは嫌だ!)

 ここで交際を申し込むしかないと思いながら、どう親に願い出るかと考えながら学園卒業を4日後に控えた夜、実は彼女の家が没落寸前で、伯爵一家は彼女の学院卒業と同時に王都の屋敷や土地を売り払い、領地に帰るという話を聞いたのだ。

 なんという事だ。

 そんなことになったら、もう本当に、彼女に手が届かなくなってしまう。

 そんなのは嫌だ、耐えられない。

 私は必死に考えた。

 そして、私は、私を溺愛レベルで可愛がってくれている祖父母を味方につけ、家柄人柄はいいが、金銭問題がなぁ……と思い切り渋った両親に本気で土下座を繰り返し、さらに、彼女との結婚を許してくれないなら騎士をやめ修道院へ入ると大騒ぎをし、無事、彼女への婚約の申し込みまでをこじつけた。

 卒業式の前日に、私は両親と共に彼女の両親へ結婚の申し込みを行ったのだ。

 彼女の両親は私の事を知っていて、金のためだけに、気持ちも伴わない男へ嫁がせなくて済むんだと、泣いて喜んでくれた。

 その後、何度か行われた婚約者の茶会で、彼女は放課後の女神(命名・私)の時と変わらず優しく微笑んでくれ、たくさん話をしてくれ、今日、美しい花嫁衣装に身を包み、我が家へ嫁いできてくれた。

 ではなんであんなことを彼女に言ったのか。

(それは私が、ヘタレだからだ……。)

 婚約者の茶会でもそうだったのだが、昔から長い片思いをし、憧れすぎたせいでどうしても彼女と話すことが出来ない。

 見つめ合うと素直におしゃべりできないのレベルではない。

 彼女の事を思うだけで顔がにやけてしまうため、表情を崩さないように顔に全力を入れている。

 結果、一言も発することが出来なくて、彼女にばかり話をさせてしまうのだ。

 あぁ、なんて情けないんだ、私。

 こんな男では、彼女が苦労してしまう。

 初恋の人なのだ、心底大切にしたい。

 けれど好きすぎて、手以外触れることも恐れ多いし、誓いのキスだって近づく綺麗な顔が尊すぎて失神だったのに、それ以上の行為なんて、即昇天レベルだ。

(……そもそも緊張しすぎて俺の俺が立ち上ってくれない……。)

 思春期に好きな人を想像して、一人であんなこと……?

 無理だ。彼女を想像した瞬間、性欲が浄化されて四散した。

 尊すぎて汚したくない。女神に手を出すなんて罪だ、俺的に死罪だ。

 なのに迫りくる結婚式。

 嬉しいはずなのに、国中の男に『俺の婚約者はあのラテスカ嬢なんだよ、うらやましいだろう!』と言って回りたいくらいなのに!

 見つめ合うと緊張しすぎて五感すべてが仕事を放棄するっ!

 しかしこのままでは、彼女の前ではせめて硬派でかっこよくありたいのに恥をかいてしまうし、彼女にも恥ずかしい思いをさせてしまう。

 どうした事か。この思い。

 そこで幼馴染の悪友に相談し、綿密な計画を立て、一計を案じたのだ。

 それが「白い結婚」宣言であり、泣いてしまうだろう彼女を必死に慰めることで、彼女と距離を物理的に縮める訓練をかさね、私の病状……でなく、私の緊張が落ち着き、普通の話をできるようになったその時に、この計画のすべてを説明し、許しを請うて聖女の如く美しくも慈悲深い彼女に許してもらうつもりだったのだ。

 しかし。

 しかしだ。

 大問題発生だ。





「私、なので、推し活だけさせてくださいませ。」

 と、言ってきたのだ。

「……は? それは……私が好きだということか?」

 そう聞けば、彼女は不思議そうな顔をして、少し首を傾げた。

 はい天使! はい可愛い、何それ最高に可愛いオブ最大で可愛い、最高!

 いや、そんなことを言っている場合ではない。

 私は彼女を見ると、彼女はにっこり笑って頷いた。

「はい。騎士として鍛錬をしていらっしゃるとき時のクフィーダ様をお慕いしております。」 

「昔から君が慕ってくれているのは知っている。しかし、私は君の気持ちには答えられないんだ。」

 思ったよりも低い声が出てしまい、申し訳ないと思いながらも彼女を見れば、紅茶色の瞳をまん丸くし、きょとんとした珍しい表情を見せていた。

(あぁ、可愛い! とても可愛い!)

 悶えそうになるのを、太ももを強くつねる事で耐えていると、彼女から信じられない言葉が飛び出した。

「あ、その様な感情は面倒くさいので結構です。私、クフィーダ様が【推し】なだけで、これから先長く夫婦として仲睦まじく過ごしたいとか、そういう訳では無いのです。ただ剣をふるうお姿だけを見て満足したいだけなのです。」

(推しを見たいだけ……?)

 彼女の言っている言葉が、才女なだけに難解で、理解できない私は、まじかにある彼女の顔ににやけてしまわないよう、眉間に力を込めながら問うた。

「……すまない、君の言っていることがよく分からないのだが?」

 そんな私に、彼女は事無げに微笑んだ。

「さようですか? 至極簡単なことですわ? クフィーダ様。第1王女殿下を拝謁した際、美しい、騎士として剣を捧げたい、お仕えしたいとお思いになられませんか?」

 彼女の言葉に、私はますます首を傾げた。

 彼女の言った第一王女殿下とは、美しくも賢く、慈悲深いという、庶民の『王族とはこうあるべきだ』だという『偶像』も、貴族の思う『王族としての権威と覚悟』をもつ『厳しくも強い姿』も見せる、国民に慕われる我が国の至宝と言われる、姫君だ。

 だから私は頷いた。

「それは、騎士であれば誰でも願う事だ。」

「さようですね、私も男であれば騎士としてお仕えしたいと思います。……では。」

 頷きながら、彼女は問うて来た。

「その様にお美しく尊敬できる、第1王女殿下と夫婦になりたい、恋人になりたいと思われますか?」

「な、なんてことを!」

 それには、素直に驚き、声をあげてしまった。

「不敬ともとられない発言だ。王女殿下は尊敬に値するお方。そのように邪な目で見ていい方でない!」

「それです!」

 ぽん、と手をついたラテスカ嬢が立ち上がった。

「それと同じでございます! 私、クフィーダ様の事を、第一王女殿下の如く、幼い頃より辛い修行にも涙をこらえ、歯を食いしばって耐え、真摯に騎士道を突き進むお姿に、私の愛する『ブシドー』にもにた崇高さを感じ、お慕いしていたのです! ですから、恋人になりたい、妻になりたいなどと、おこがましい事等、一度も思った事がないのです!」

「え? 『ブシドー』? 推し?」

 どういうことだ? と戸惑う私をよそに、彼女は続ける。

「クフィーダ様が第一近衛騎士団に入団されたと聞いた時には、主君を命がけで守るというブシドーを邁進なさっていると、心から感激したのですっ! 私の愛する『ブシドー』を形にしたような貴方様は、まさに私にとって最大の『推し』なのです! ですから、推しを支えたい、見ていたいとは思っておりました。領地に戻る事になっても、クフィーダ様の崇高な騎士の姿を胸に、私も生きて行こうと思っていたのです。まさかこうして結婚することになるとは思っておりませんでしたが、貴族として、それならば、内に外にと貴方様をお支えする所存でございました。しかしこうして白い結婚を言い渡されましたので、推し活だけでもお許しいただきたいのです。えぇ、元より私は『推し』と夫婦になりたい、恋人になりたいなどのおこがましい事等、決して思っておりません! でも、陰から長さえし、お慕いすることはお許し頂けますか?」

「な……」

 彼女のあまりの熱量に呆然としてしまった私に、彼女は静かに微笑んだ。

「クフィーダ様。主君への『騎士道ブシドー』を貫くために鍛錬され、初心を貫き騎士となられ、その強いお心と心の剣を初恋の方に捧げた貴方様の『いちファン』として、契約通り、しっかりとお勤めを果たさせていただきますわ。いいえ、政略結婚の相手である私へのお情けやお声がけは必要ありません。領と領民、そして家族を助けていただいただけで私は満足です。正直、『推しに認識』される、ましてや『推しとどうにかなってしまう』事を私は良しとは思わないのですが、それはそれ、これはこれ、なってしまったものはどうしようもありません。ですがこれからはとして、そして推しを立てるスタッフとして、立派に『推し活』……いえ、『推し事』を勤めてみせますわ! どうぞよろしくお願いいたします。」

「い、いや、待ってくれ、ちょ……。」

 私の言葉を聞かないまま、それではモブはこれにて失礼いたします! と、彼女はさっさと部屋から出て自分の自室にも取っていったしまったのだった。
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