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白い結婚宣言
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猫石が突発的に送り出す息抜き短編です。
楽しんで読んでいただければ幸いです(^^
いつもの通り、3話完結 文字数はちょっと多めです。
***********************
「ラテスカ嬢。私は君と褥を共にすることが出来ない。」
裸よりも恥ずかしいのでは? と思い悩むような布面積がすくなく、繊維の密集度も衣類としては問題しかない薄い夜着を身に着けてベッドに座っていた私は、その言葉に呆然とした。
「嫁いできた日にこのような事を言うのは本当に申し訳無いのだが、承服してほしい。」
目の前でそんなことを言ったのは、本日、神様の前で永遠の愛を誓うための婚姻式を終え、晴れて旦那様となった伯爵家の嫡男であり、この春、王立貴族学園高等部騎士科を卒業し、晴れて騎士の中でも花形である王立騎士団近衛隊第一部隊へ配属されたクーフィダ様で、彼は難しい表情を崩さず、深々と私に頭を下げていた。
この結婚は、貴族によくある政略的なものだ。
私はキスィーダ伯爵家の長女だった。
2つ上の兄がおり、ほどほどに収益をあげる領地を持った伯爵家の娘で、幼い頃から何不自由なく育てられ、本が大好きだったこともあり、学力は同級生の第二王子殿下と首位を争うグループの一人となり、生徒会にも選ばれた。
その為、一時は第二王子殿下の婚約者候補にまで名が挙がったらしいが、卒業まであと2年というとし、領地が干ばつに晒され、我が家の家系は火の車になってそれもなくなった。
優秀だった私は学費や生活費が免除となったため、お母様と王都のタウンハウスに暮らしながら通っていたが、お父様とお兄様は領地にも戻り、必死に領地を立て直そうとしていた。
私はどこかの後妻に金目的で嫁に行くことを決意したが、両親はそれを止め、卒業と同時に王都の屋敷を手放し、領地に戻って家族みんなで領地を立て直すことになったのだ。
そんな私たち家族の前に現われたのが、目の前で頭を下げる彼はクフィーダ・ムーリクマーナ伯爵令息だ。
王立貴族学園でずっと同級生でありクラスメイトだった彼は、実は私の長年の推しだった。
真っ白な髪にモスグリーンの瞳。意志の強そうなきりっとした顔立ちの彼は、代々騎士として王家に仕える伯爵家の令息だった。
彼は騎士を目指す友人たちといつも一緒にいて、わたしとはクラスメイトというだけで交流も接点はなかった。
普通にしていれば、顔見知り程度でとどまる、相まみえることのない人だった。
けれど、違った。
私は彼に目を奪われた。
自分と同い年の、まだ小さな彼には不釣り合いな、光を放つ真っ直ぐなまなざしと、放課後に行われる騎士団入隊希望者向けの演習で、ボロボロに打ちのめされても立ち上がり、涙をぬぐい、前を向きいて再び剣をふるう姿かっこいいと思い、東洋の書物にあった『武士』に通じる何かを感じた私は、『かっこいい……』と恋心を鷲掴みされてしまったのだ。
それ以来、私は彼を『推し』として心の底から応援した。
ファンとして、決して彼に名前と顔を認識されないように気を付けながら、騎士団の練習に集まる令嬢達に交じってメモ程度の手紙と、彼の好んで食べるお菓子を差し入れしながら、彩りの少ない毎日の中の心の支えにしながら、厳しい淑女教育や勉学、それに途中で勧誘されて入った生徒会の執務にと、日々勤しんだ。
だから、王都へ戻るために荷物を纏めていた卒業式の前日、彼がご両親と共に我が家にやってきて、『騎士一辺倒な我が息子のために、領地経営や家政を取り仕切ってくれるような優秀なご令嬢と婚約させたかったのだ』と、持参金なし、結納金アリの結婚を申し込まれた時にあまりにびっくりしたのだ。
推しと結婚するなんて、ファンとして完全アウトだろ、と。
けれど、ご両親の横で、難しい顔をして一言もしゃべらない彼は、やはり書物にあった様な武士のようで、寡黙でかっこよく、また、彼の両親から提示された条件も、領地や家族を助けるために最適だった。
両親は、金持ちじじいの後妻にでもなろう! とした娘に降ってわいた、将来有望な青年との結婚、しかもそれが、娘が長い間『憧れの人』として遠くから見つめていた人と知って、両手をあげて大賛成してくれた。
私としては、推しと結婚なんて……と何度も考えたが、領地領民に家族が助けられ、貴族として正しく政略結婚をする中で、推しを支えられるのならと納得して婚約を受け入れた。
の、だが……。
「実は私は、もうずっと幼い頃から好きな人がいるんだ。学園に入った頃からずっと憧れているんだ。彼女はとても崇高な人で、美しい人なんだ。そんな思いを抱えたまま、結婚生活を送るのは君に対してとても不誠実だと思ったんだ。これは貴族の政略結婚だ、本当はこんなことは許されない。それはよくわかっているが……君とは、その、気持ちの整理がつくまで、白い結婚とさせてもらいたい。もちろん、これは私の我儘だ。こちらから申し出た婚姻に嫌な顔せず快く応じてくれた君に対し、理不尽なことを言っているのはよく分かっている。君の立場が悪くならないよう努力する。伯爵夫人としての生活ももちろん保証する。それから、最低限の社交以外は夜会も家政も手を出さなくていい。子供も、3年経ったも私がこのまま君と褥を共に出来なかったら、私が原因で子が出来ないと公表し、親類の子をもらおうと思っている……だから、すまない。」
1人でペラペラと自分の都合を語ったクフィーダ様は、相変わらず、眉間に皺を寄せて難しい顔をしたまま、私の体を見ないように顔を背けつつ厚手のガウンを肩にかけてくれると、丁寧にテーブルの方へと私を誘導し、椅子を用意してくれると、何処からか取り出した契約書を私の目の前に置いた。
「私自身が君に誠実であるため、先程話した内容を契約書にしてある。しっかり目を通して、ここにサインしてくれないか。」
「……はぁ。」
私はその紙を手に取った。
(……他の人に気持ちがある事を黙っているのが不誠実とか、誠実であるために白い結婚をのぞみ、その契約書を出してくるとか、ものすごく矛盾しているのだけれど、初恋を拗らせた自分に酔っていらっしゃるのかしら? こんな不器用な方に次期伯爵家当主とか大丈夫かしら? ……あ、そうか、だから私との婚姻を望まれたのか……。とりあえずこの契約書にはサインせざる得ないようだから、さらっと読むだけ読んでみましょう。)
新婚夫婦の初夜のために、最低限まで明かりが落とされた薄暗い室内で、窓から入る月あかりを頼りに、目を擦りながら書類の文章に目を通す。
私に不利益な項目と言えば、褥は共にしない、子は遠縁の子を夫妻の子としてもらうというくらいで、私には、伯爵夫人として節度ある決められた常識の範囲内での予算での生活と、最低限の社交以外は家政・執務に一切手を出さなくてもいい、それさえ守られれば伯爵夫人として必要な衣食住の保証はする締めくくられていて、事前にその手の文官にも細部まで確認し作成したのだろうと解るくらい、しっかりした契約書だ。
(なるほどなるほど。黙っているのは誠実じゃないと言いながら、事前に用意していた訳か。完全におまいう案件過ぎて、呆れるを通り過ぎてとても面白いわ。)
こんな人を推してたなんて、とは思わない。
騎士としてはとてもかっこいいことに変わりわないから。
何なら、結婚後も『彼を推せばうまく行く』と分かった。
再度、しっかりと契約内容の文言を一言一句確認し、しょぼしょぼする目を少し擦りながら顔を上げると、クフィーダ様と目が合った。
少し苦しそうな顔をしている彼に、私は一つ息を吐いて、静かに微笑んだ。
「契約書は確認したしました。こちらにサインすればよろしいのですね。」
「え?」
私の返答に、ペンを差し出していたクフィーダ様が素っ頓狂な声を上げたため、私は顔を上げた。
「? なにか? サインの場所でも違いましたか? それとも他に付け加える条件がおありですか?」
言い終わった瞬間、クフィーダ様と目が合ったわけなのだが、何故だろう。自分から言い出したことなのに、彼は綺麗なモスグリーンの瞳が落ちそうなほど目を丸く見開き、まじまじと、まるで本当に信じられないものでも見ているかのような顔で、私を凝視している。
「……なにか?」
「君はそれでいいのか?」
「は?」
クフィーダ様の言葉に、私は眉をひそめ、首を捻った。
「お言葉ですが、良いも悪いもこれを言い出されたのはクフィーダ様です。私はそれを了承しただけです。」
そう言うと、クフィーダ様は言いようも無い微妙な顔で私を見、口元を歪ませる。
「いや、確かにそうだが、しかし……。」
「こちらにサインでしたわよね。ペンをお借りしますわ。」
彼の手からペンをとり、先に署名されていたクフィーダ様の名前の下に己の名を書こうとペン先を載せる。
「待ってくれ。」
名を掻こうとした私の手首を、何故か彼が掴んだ。
ジワリとインク地味が出来ていくのを見てため息をつき、手を離してくださいというために顔を上げると、さらにお化けでも見たような顔をしたクフィーダ様がいた。
「なぜ素直に応じる。」
「言い出されたのはクフィーダ様ですが……え? 書かれるのが嫌なら、なぜ言い出されたのですか?」
「嫌な訳では無い、なぜ他者の理不尽な要求の言葉を素直に聞いているのかが分からないんだ。」
「いえ、ですから、言い出されたのはそちらですよね?」
「それはそうだが、君にはプライドや教示はないのか。」
その物言いには、流石にカチンときて、わざと大きく溜息をついた。
「ご存知の通り、私の実家は大変に貧乏なうえに、先日の干ばつで没落寸前となった伯爵家です。嫁に出すにも持参金が出せず、娘が後妻に入るか行き遅れになるのを覚悟した父に、持参金不要・結納金はたっぷり出すから息子を支える妻となってほしいと提示してくださった伯爵家当主様のお申し出に、当家はすべての問題が解決したと大変に喜んでおります。おかげで領民の命も守られました。ですのでこれくらいの理不尽でしたら許容範囲です。別に構いません。私的にも、しっかりと衣食住を与えていただければ特に問題はございません、というか好都合です。……あぁ、でもそうですね……。」
私の言葉尻に、クフィーダ様は見開いた目元を和らげた。
「なんだ?」
「ひとつだけ、お許し頂きたいことがあるのですが、よろしいですか?」
なぜか笑顔になった旦那様は頷いた。
「あぁ。家が傾くようなことでなければ、構わない。」
その言葉に、私はにっこりと微笑んだ。
「ありがとうございます。私、婚姻前と同様に推し活がしたいんです!」
満面の笑顔でそう言った私に、素っ頓狂な声を出したのはクフィーダ様だ。
「推し……活?」
「はい! 御存じかと思いますが、私、騎士として鍛錬していらっしゃるクフィーダ様が大好きなのです!」
「え? ……今、なんと?」
(あら、理解力がないわね。)
すうっと少しばかり息を吸い込んで、しっかりと大きな声で、スタッカートをきかせながらもう一度告げる。
「で・す・か・ら! 私、騎士として鍛錬をしていらっしゃるときのクフィーダ様が大好き!なんですわ。」
「……はぁ?!」
ようやく理解したのか、さらに素っ頓狂な声を出した旦那様に、私は微笑んだ。
楽しんで読んでいただければ幸いです(^^
いつもの通り、3話完結 文字数はちょっと多めです。
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「ラテスカ嬢。私は君と褥を共にすることが出来ない。」
裸よりも恥ずかしいのでは? と思い悩むような布面積がすくなく、繊維の密集度も衣類としては問題しかない薄い夜着を身に着けてベッドに座っていた私は、その言葉に呆然とした。
「嫁いできた日にこのような事を言うのは本当に申し訳無いのだが、承服してほしい。」
目の前でそんなことを言ったのは、本日、神様の前で永遠の愛を誓うための婚姻式を終え、晴れて旦那様となった伯爵家の嫡男であり、この春、王立貴族学園高等部騎士科を卒業し、晴れて騎士の中でも花形である王立騎士団近衛隊第一部隊へ配属されたクーフィダ様で、彼は難しい表情を崩さず、深々と私に頭を下げていた。
この結婚は、貴族によくある政略的なものだ。
私はキスィーダ伯爵家の長女だった。
2つ上の兄がおり、ほどほどに収益をあげる領地を持った伯爵家の娘で、幼い頃から何不自由なく育てられ、本が大好きだったこともあり、学力は同級生の第二王子殿下と首位を争うグループの一人となり、生徒会にも選ばれた。
その為、一時は第二王子殿下の婚約者候補にまで名が挙がったらしいが、卒業まであと2年というとし、領地が干ばつに晒され、我が家の家系は火の車になってそれもなくなった。
優秀だった私は学費や生活費が免除となったため、お母様と王都のタウンハウスに暮らしながら通っていたが、お父様とお兄様は領地にも戻り、必死に領地を立て直そうとしていた。
私はどこかの後妻に金目的で嫁に行くことを決意したが、両親はそれを止め、卒業と同時に王都の屋敷を手放し、領地に戻って家族みんなで領地を立て直すことになったのだ。
そんな私たち家族の前に現われたのが、目の前で頭を下げる彼はクフィーダ・ムーリクマーナ伯爵令息だ。
王立貴族学園でずっと同級生でありクラスメイトだった彼は、実は私の長年の推しだった。
真っ白な髪にモスグリーンの瞳。意志の強そうなきりっとした顔立ちの彼は、代々騎士として王家に仕える伯爵家の令息だった。
彼は騎士を目指す友人たちといつも一緒にいて、わたしとはクラスメイトというだけで交流も接点はなかった。
普通にしていれば、顔見知り程度でとどまる、相まみえることのない人だった。
けれど、違った。
私は彼に目を奪われた。
自分と同い年の、まだ小さな彼には不釣り合いな、光を放つ真っ直ぐなまなざしと、放課後に行われる騎士団入隊希望者向けの演習で、ボロボロに打ちのめされても立ち上がり、涙をぬぐい、前を向きいて再び剣をふるう姿かっこいいと思い、東洋の書物にあった『武士』に通じる何かを感じた私は、『かっこいい……』と恋心を鷲掴みされてしまったのだ。
それ以来、私は彼を『推し』として心の底から応援した。
ファンとして、決して彼に名前と顔を認識されないように気を付けながら、騎士団の練習に集まる令嬢達に交じってメモ程度の手紙と、彼の好んで食べるお菓子を差し入れしながら、彩りの少ない毎日の中の心の支えにしながら、厳しい淑女教育や勉学、それに途中で勧誘されて入った生徒会の執務にと、日々勤しんだ。
だから、王都へ戻るために荷物を纏めていた卒業式の前日、彼がご両親と共に我が家にやってきて、『騎士一辺倒な我が息子のために、領地経営や家政を取り仕切ってくれるような優秀なご令嬢と婚約させたかったのだ』と、持参金なし、結納金アリの結婚を申し込まれた時にあまりにびっくりしたのだ。
推しと結婚するなんて、ファンとして完全アウトだろ、と。
けれど、ご両親の横で、難しい顔をして一言もしゃべらない彼は、やはり書物にあった様な武士のようで、寡黙でかっこよく、また、彼の両親から提示された条件も、領地や家族を助けるために最適だった。
両親は、金持ちじじいの後妻にでもなろう! とした娘に降ってわいた、将来有望な青年との結婚、しかもそれが、娘が長い間『憧れの人』として遠くから見つめていた人と知って、両手をあげて大賛成してくれた。
私としては、推しと結婚なんて……と何度も考えたが、領地領民に家族が助けられ、貴族として正しく政略結婚をする中で、推しを支えられるのならと納得して婚約を受け入れた。
の、だが……。
「実は私は、もうずっと幼い頃から好きな人がいるんだ。学園に入った頃からずっと憧れているんだ。彼女はとても崇高な人で、美しい人なんだ。そんな思いを抱えたまま、結婚生活を送るのは君に対してとても不誠実だと思ったんだ。これは貴族の政略結婚だ、本当はこんなことは許されない。それはよくわかっているが……君とは、その、気持ちの整理がつくまで、白い結婚とさせてもらいたい。もちろん、これは私の我儘だ。こちらから申し出た婚姻に嫌な顔せず快く応じてくれた君に対し、理不尽なことを言っているのはよく分かっている。君の立場が悪くならないよう努力する。伯爵夫人としての生活ももちろん保証する。それから、最低限の社交以外は夜会も家政も手を出さなくていい。子供も、3年経ったも私がこのまま君と褥を共に出来なかったら、私が原因で子が出来ないと公表し、親類の子をもらおうと思っている……だから、すまない。」
1人でペラペラと自分の都合を語ったクフィーダ様は、相変わらず、眉間に皺を寄せて難しい顔をしたまま、私の体を見ないように顔を背けつつ厚手のガウンを肩にかけてくれると、丁寧にテーブルの方へと私を誘導し、椅子を用意してくれると、何処からか取り出した契約書を私の目の前に置いた。
「私自身が君に誠実であるため、先程話した内容を契約書にしてある。しっかり目を通して、ここにサインしてくれないか。」
「……はぁ。」
私はその紙を手に取った。
(……他の人に気持ちがある事を黙っているのが不誠実とか、誠実であるために白い結婚をのぞみ、その契約書を出してくるとか、ものすごく矛盾しているのだけれど、初恋を拗らせた自分に酔っていらっしゃるのかしら? こんな不器用な方に次期伯爵家当主とか大丈夫かしら? ……あ、そうか、だから私との婚姻を望まれたのか……。とりあえずこの契約書にはサインせざる得ないようだから、さらっと読むだけ読んでみましょう。)
新婚夫婦の初夜のために、最低限まで明かりが落とされた薄暗い室内で、窓から入る月あかりを頼りに、目を擦りながら書類の文章に目を通す。
私に不利益な項目と言えば、褥は共にしない、子は遠縁の子を夫妻の子としてもらうというくらいで、私には、伯爵夫人として節度ある決められた常識の範囲内での予算での生活と、最低限の社交以外は家政・執務に一切手を出さなくてもいい、それさえ守られれば伯爵夫人として必要な衣食住の保証はする締めくくられていて、事前にその手の文官にも細部まで確認し作成したのだろうと解るくらい、しっかりした契約書だ。
(なるほどなるほど。黙っているのは誠実じゃないと言いながら、事前に用意していた訳か。完全におまいう案件過ぎて、呆れるを通り過ぎてとても面白いわ。)
こんな人を推してたなんて、とは思わない。
騎士としてはとてもかっこいいことに変わりわないから。
何なら、結婚後も『彼を推せばうまく行く』と分かった。
再度、しっかりと契約内容の文言を一言一句確認し、しょぼしょぼする目を少し擦りながら顔を上げると、クフィーダ様と目が合った。
少し苦しそうな顔をしている彼に、私は一つ息を吐いて、静かに微笑んだ。
「契約書は確認したしました。こちらにサインすればよろしいのですね。」
「え?」
私の返答に、ペンを差し出していたクフィーダ様が素っ頓狂な声を上げたため、私は顔を上げた。
「? なにか? サインの場所でも違いましたか? それとも他に付け加える条件がおありですか?」
言い終わった瞬間、クフィーダ様と目が合ったわけなのだが、何故だろう。自分から言い出したことなのに、彼は綺麗なモスグリーンの瞳が落ちそうなほど目を丸く見開き、まじまじと、まるで本当に信じられないものでも見ているかのような顔で、私を凝視している。
「……なにか?」
「君はそれでいいのか?」
「は?」
クフィーダ様の言葉に、私は眉をひそめ、首を捻った。
「お言葉ですが、良いも悪いもこれを言い出されたのはクフィーダ様です。私はそれを了承しただけです。」
そう言うと、クフィーダ様は言いようも無い微妙な顔で私を見、口元を歪ませる。
「いや、確かにそうだが、しかし……。」
「こちらにサインでしたわよね。ペンをお借りしますわ。」
彼の手からペンをとり、先に署名されていたクフィーダ様の名前の下に己の名を書こうとペン先を載せる。
「待ってくれ。」
名を掻こうとした私の手首を、何故か彼が掴んだ。
ジワリとインク地味が出来ていくのを見てため息をつき、手を離してくださいというために顔を上げると、さらにお化けでも見たような顔をしたクフィーダ様がいた。
「なぜ素直に応じる。」
「言い出されたのはクフィーダ様ですが……え? 書かれるのが嫌なら、なぜ言い出されたのですか?」
「嫌な訳では無い、なぜ他者の理不尽な要求の言葉を素直に聞いているのかが分からないんだ。」
「いえ、ですから、言い出されたのはそちらですよね?」
「それはそうだが、君にはプライドや教示はないのか。」
その物言いには、流石にカチンときて、わざと大きく溜息をついた。
「ご存知の通り、私の実家は大変に貧乏なうえに、先日の干ばつで没落寸前となった伯爵家です。嫁に出すにも持参金が出せず、娘が後妻に入るか行き遅れになるのを覚悟した父に、持参金不要・結納金はたっぷり出すから息子を支える妻となってほしいと提示してくださった伯爵家当主様のお申し出に、当家はすべての問題が解決したと大変に喜んでおります。おかげで領民の命も守られました。ですのでこれくらいの理不尽でしたら許容範囲です。別に構いません。私的にも、しっかりと衣食住を与えていただければ特に問題はございません、というか好都合です。……あぁ、でもそうですね……。」
私の言葉尻に、クフィーダ様は見開いた目元を和らげた。
「なんだ?」
「ひとつだけ、お許し頂きたいことがあるのですが、よろしいですか?」
なぜか笑顔になった旦那様は頷いた。
「あぁ。家が傾くようなことでなければ、構わない。」
その言葉に、私はにっこりと微笑んだ。
「ありがとうございます。私、婚姻前と同様に推し活がしたいんです!」
満面の笑顔でそう言った私に、素っ頓狂な声を出したのはクフィーダ様だ。
「推し……活?」
「はい! 御存じかと思いますが、私、騎士として鍛錬していらっしゃるクフィーダ様が大好きなのです!」
「え? ……今、なんと?」
(あら、理解力がないわね。)
すうっと少しばかり息を吸い込んで、しっかりと大きな声で、スタッカートをきかせながらもう一度告げる。
「で・す・か・ら! 私、騎士として鍛錬をしていらっしゃるときのクフィーダ様が大好き!なんですわ。」
「……はぁ?!」
ようやく理解したのか、さらに素っ頓狂な声を出した旦那様に、私は微笑んだ。
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