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最終章 魔界と少女と世界樹と

5)花樹人の受難と誇り

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 草原の中に立つ、赤髪に若草色の瞳の女はゆっくりと目の前にいる狂戦士と2精霊を一瞥した。

「ここには兄が来るとあの方から聞いていたのですが、どうやら違ったようですね。」

 あからさまに落胆した表情を浮かべた彼女を狂戦士は静かに見据え、やれやれという表情で軽く上げた両手をひらひらと動かした。

「あら、お兄様でなければ都合が悪かったかしら?」

「お答えする義務はありませんが……あなたは? いえ、名乗らなくても結構……次に会うこともありませんので。」

 その言葉にも、わざとらしく「まぁ」と狂戦士は声を上げる。

「自分よりも身分が上の方にそう言われたら、こちらは名乗ることは出来ませんね。 それでは。」

 じわじわと若緑色の瞳が濁った瘴気に飲まれていくのを一瞥した狂戦士は、優雅に背筋を伸ばし美しい姿勢とると、緩やかに頭を下げながら微笑んだ。

「セスターエン・イトラ・フォーノット侯爵夫人。 兄君の足元には到底及びませんが、わたくしがお相手させていただきます。」

「兄を、知っている?」

 そう言いながら目元を歪めたセスは、自分の周りに集まった瘴気を二本の短刀に変えて構えた。

「ではラージュはわざと貴方をここに寄越したのですか? ……なるほど。それでは初めてお会いする方を相手に大変心苦しいことですが、ここに来た者を潰すのが私の役目ですので、お相手お願いしますね。」

「えぇ、こちらはもとよりそのつもりですから……。」

 ぎゅっと握ったモーニングスターの柄に力を込めながら、狂戦士はそれは美しく微笑んだ。

「お相手いたしますわ。」

 その言葉が終わるのとほぼ同時、先に動いたのはセスだった。

 二本の月のように曲がった小型の双剣をまるで鎧虫の巨大な顎のように操り胴を分断するように狂戦士を狙って動かした。

 一瞬。

 獲物を捕らえ損ねた甲虫の様にもう一度双剣を構えなおすセスを静かに観察していた狂戦士は、口元を面白そうに歪める。

「……本物、か。」

 鑑定スキルで彼女のステータスを確認し、彼女が彼女自身であることを確認した狂戦士は溜息をついた。

「フィランちゃんにどう話せばいいのかしらねぇ。」

 片手を頬に当てて首を傾げた狂戦士に、セスは二度目の攻撃を仕掛ける。

「戦闘中に考え事など、言語道断ですよ?」

 身を翻し、モーニングスターの鎖の部分でそれを防いだ狂戦士は、手に来る衝撃にニヤッと笑った。

「まぁまぁね。」

 そう呟きながら、狂戦士は刃に鎖を絡み取らせ振り飛ばすように動かして、相手から距離を取ると、さらに一歩、後ろに退いた。

 吹き飛ばされたセスの方は、身軽な様子で綺麗に着地をして双剣を構え直している。

「樹木の割に随分と身軽だわ。 戦闘もお兄様に似ている。 それじゃあ……。」

 伸ばした手でゆっくりと右耳にから下がる黄色い石のイヤリングの一つを引き千切ると手の中で握りつぶした。

「これにしましょう。」

 其処に襲い掛かってきたセスを目で捕えて笑いながら避ける。

 握りつぶした手のひらからこぼれる甘い香りのする粉が、そんな狂戦士の動きに合わせて広がる。

「?!」

 小剣を引き、ぱっと後ろに飛び退いたセスは、降り立ったところで膝をついた。

「……? 薬?」

「いいえ。」

 自分の体の異常を確認するように動かしている彼女に、同じく地に降りた狂戦士はもう一つ、左のイヤリングも潰しながら答えた。

 黄金色の光の粒を自分の身に薄手の羽衣のように香りを纏わせた狂戦士は、モーニングスターをゆっくりと、しかし、しっかりと握りなおす。

「我が誇り高き赤百合の一族に伝わる、戦闘方法ですよ。」

 みしっ、と自分たちがいる空間に何かが圧縮する音に気をとられた一瞬の間に、彼は目の前から消えていた。

「やはり樹木は動きが遅いわ。」

 甘い香りと匂いが背後から聞こえたと判断したセスは、背後に立ったと思われる狂戦士へ攻撃をするために動いたと同時に、自分の体から砕けるような鈍い音が聞いた。

「……ぐっ!」

 横腹から大きな衝撃を受け、体をくの字状に不自然に歪めた状態で壁に激突したセスが元居た場所には、先程よりも明らかに体積を増した体を持つ百合の狂戦士が笑っている。

「身体強化……。」

「それだけじゃないのよ。」

「……なっ」

 崩れた壁の瓦礫を蹴り飛ばして飛び上がった彼女の背後から、遠くから聞こえていたはずの声がきこえ警戒した時には遅かった。

「やはり遅い。」

 セスは狂戦士の大きな手で首を鷲掴まれ、いとも簡単にくるっと体を反転されて頭から床にたたきつけられる。

「……ッ、ガッ!」

 瘴気で腐臭のする血を吐き出したセスに、何の感情もない視線を向けた狂戦士は口を開いた。

「さて、フォーノット侯爵夫人。教えてくださる?」

 彼女を見下ろす視線は冷たい。

「ここに来る直前、貴女は花睡病で眠っていると貴女のお兄様から伺ったわ。 なのに何故、貴女はそれから目覚め、ここで戦っていられるの?」

「それが、貴方が兄の代わりにここに来た理由?」

 割れた床にめり込んだ顔の出ている半分。 そこにある黒い目をぎょろりと動かしたのを確認した狂戦士の動きは早かった。

 一瞬で起き上がり、双剣を構えたまま跳びかかってる。

 彼女の持つ二つの剣の切っ先が狙うのは眼球。

 気が付いたところで後ろへ飛び下がり、間一髪のところで回避した。

 それでも、狂戦士の鼻と頬の皮一枚が切れ、わずかに血が滲む。

 彼の手から逃げたセスは、最初にいた場所に戻ってわずかに笑っているが、先ほどの衝撃のせいだろう、左の肩と腕が不自然な方向に曲がっている。

 それに全く関与しないまま、彼女は微笑み、狂戦士へ問いかける。

「それを知ってどうするの?」

「私は商会の他に病院も経営していましてね。 今後の治療に役立つ情報でしょう?」

「それだけの事でこんなことに顔を突っ込むかしら? ひょっとして、貴方の身近な人がそうだったの? それは、誰?」

「答えたら、教えてくださるの?」

 彼女は土と血で汚れた顔で微笑んだままだ。

 無言の肯定、と取った彼は告げる。

「……リリィディアと言って、わたしの大切な妹よ。」

 そう、と笑みを崩さないまま、彼女はさらに問いかける。

「その子はまだ寝ている? それとも……」

なくなったわ……発症して2年後に。」

「そう……。 では、幸せね。」

 ぴくり、と、眉を上げた狂戦士は冷静であるように己を律しながら問う。

「幸せ? 12歳で発症し、たった14歳で死んでしまった妹を、目覚め、これから生きられる貴方が幸せだというの?」

「えぇ、そうよ。」

 とろりと、左の眼から瘴気が涙のように流れる。

「貴方の妹は幸せ……だって……」

 俯き、肩を揺らし始めた彼女は顔をあげ狂戦士を見据えた。




「もうなにも苦しまなくて済むんですもの!」

『『根無しの子! 危ない!』』




 三つの声はほぼ同時だった。

 瘴気が彼女の両目から、鼻から、口から、一気に噴き出した。

 逆に向いていた彼女の左肩が音を立てて不自然に動き、そこからは瘴気と共に、巨大な魔甲虫を濁流のように狂戦士に向かって吐き出した。

『グノーム! 少しの間守りの壁と、あと大きな寝床をお願い!』

『うん、エーンート、任された!』

 静かに狂戦士の傍にいた2精霊が飛び出すと、自分たちを囲むように赤い土の壁を打ち立てた。

 ゴツゴツと、外から体をぶつけているのだろう魔甲虫の音が聞こえる。

 その中で、エーンートは静かに両の手を空に向けた。

『わが主、精霊女神ドリアード様! 僕たちの愛し子の作ったあの種を、どうぞ返してください!』

 言い終わるのと同時に、淡い新緑の光が空から落ちてきて、木の葉の衣を身に纏ったエーンートの両手の中にひとつ、握りこぶし大の茶色い種が現れた。

『グノーム!』

『準備はできてるよっ! さぁ根無しの子! この子の寝床にフィランのポーションを使って!』

「わかったわ!」

 グノームの腕の中に種は収まると、狂戦士は懐から出したポーションの瓶を開けた。

 土の上に、ポーションが恵みの雨の代わりに降りかかる。

「これはなんなの!?」

 セスの声が聞こえたのは、狂戦士と2精霊を守っていた岩の壁が砕けた瞬間だった。

 自分が使役する魔甲虫が破ったのではないとわかり、目を見張る。

 それは、圧倒的な樹木の生命力。

 内側から爆発するようにはじけ飛び、その欠片に混ざって人の腕の太さ程ある触手が周囲に一気に広がった。

 グノームの腕の『寝床』から、マグマが噴き出すように、ものすごい勢いで深緑の草が床を舐め這うように伸び、葉を広げ、花を広げる。

 両の掌をつなげたような形の、人一人飲み込める大きな、花というにはあまりにもグロテスクなそれが一斉に、飛び回る魔甲虫たちを食べ始めたのだ。

 尋常じゃない速度で甲虫たちは食べられ姿を消していく中。

「やめて! やめて!」

 自分に襲い掛かってくる大きな花に、セスは悲鳴を上げた。

「また、この子を私から奪わないでっ!」






 ぱりん、ぱりんと、二本の柱の折れた音がこちらにも聞こえたと狂戦士は感じた。







 魔甲虫を吐き出しづけていたセスの肩を、そして下腹の肉を、巨大な花は大きく食いちぎって持って行った。

 ぐらりと傾き、床も見えないほど広がった植物の茎の上に、彼女の体が倒れた。

『やっぱりフィランが作ったのは強いねぇ!』

 キャッキャと喜ぶ2精霊に、狂戦士は溜息をつく。

「そうね……確かに強いけれど……フィランちゃんの美的センスをちょっと疑ったわ……。」

 感心するエーンートと、額を抑えた狂戦士を尻目に、すべての魔虫を食い終えた植物は役割を終えてどんどん枯れ朽ちて行き、最後に大きな種を4つ生み出したところですべて消えてなくなった。

 それが終わるのを見届けた狂戦士が、種を拾ってエーンートに渡すと、冷たい床に血の海を作り横たわっているセスの元へと向かった。

 青ざめた顔に、失った腕と、腹の肉。

 腹の部分は特にひどい。

 虫の息だ。

 今こうして、息をしているのが不思議なほどだ。

 ……彼女はもう、助からない。

 もしここに特級ポーション各種が大量に、または聖女の中でも最も力の強い中央教会の聖女がいればもしかしたら、とは思わなくもないが、今ここにそれらはなく、そして多分、彼女もそれを拒むだろう。

 なんとなく、そう確信した。

 彼女は死を待っている。

 だとしたら自分ができることは。

 身に着けていたマントを取り、彼女の肉と骨がむき出しになった肩と腹にそっとかけると、溺れるように息をしながら呻き声を上げる彼女の口の中に、手の中のポーション瓶に残ったそれを垂らした。

 セスの喉が小さく動くと、少しだけ顔色は青白さを改善させ、呼吸をする胸の上下も穏やかになる。

 これなら少しは話せるだろうと思った狂戦士――ヒュパム・コルトサニアは、ここに立つのと引き換えに問うて来いといわれた、長年探し続けていた問いに対する答えを求めた。

「わかっていると思うけれど、貴方はもうすぐ死ぬわ……その前に、花睡病について教えて頂戴。」

 ゆらっと揺れた黒い瞳が、わずかに緑色を取り戻す。

「なぜ妹が幸せなんていったの? なぜ妹や貴方は花睡病になったの? なぜあなたは起きてここにいるの?」

 死にそうな人間に問う事でもないだろう。

 しかしその答えが、ヒュパム・コルトサニアの生きる意味そのものだった。

 その問いに彼女はわずかに口元を上げた。

「なぜ、ここにいるか……それは、あの子をこの手に抱いてミゲトの傍に行けると言われたから……。 花睡病に関して言えることは、花樹人であった……ただそれだけ。」

 眉間を寄せたヒュパムを見て、青ざめた顔でセスは笑った。

「花樹人は神の木に一番近く、神の木からの魔力の吸収がほかの種族より格段に多い……。 逆に魔物や魔人はそれに自分からはつながることのできない存在。 だから魔人は新たなる魔人を生むために花樹人の体を乗っ取ることにした。」

「なんですって……?」

 タンザナイトの瞳が見開かれる。

「体に瘴気の卵を産み付けられた花樹人は、強制的に精霊と分断され、神の木との繋がりをほぼ乗っ取られ、体内の魔人の卵に魔力を供給するために眠り続ける……。 ここにそれがいたみたいに、ね。」

 ボロボロの右手が異様にへこんだマントのかかった腹を指さす。

「花樹人が眠り続けて最後、枯れて消えてなくなるでしょう? 魔界では魔人が一人生まれるのよ。」

「では、妹たちが花睡病になったのは……」

「美しい香りのろしと極上の花蜜まりょくを持つ美しい花であった、ただそれだけよ。 でも……あなたの妹さん……」

 にこっと笑った彼女が、力なく腹に近づけていた手を彼に向ける。

「花として散る終わり方は……その身を呈して魔物を育てなかった証。 神の木に近い花樹人として、魔に屈しなかった誇り高き終わり方。」

 ぽたり、と、手が落ちた。

「私も、そうありたかった……。 けれど、私は弱かった……あの人と、あの子に会うために誇りを捨てた……あの人も……兄上だって、怒っているわ……」

 私が弱かったの、と、若緑色の瞳に戻った彼女は自嘲気味に笑った。

「……そうかしらね。」

 目を伏せたヒュパムは、膝の上に置いていた手を握りしめた後、胸元から何かを取り出した。

「これを、お兄さんから預かってきたわ。」

「……これ、は……。」

 すでに暖かさを失って氷のように冷たく固くなり始めた手のひらに何かを置くと、それが彼女の視界に入るようにヒュパムはゆっくりと手を添えて彼女の顔の近くへ近づけた。

 もう力も入らない手のひらに光るのは、小さな青い花と、イチイの葉の入ったペンダントトップ。

 力のない霞む目でそれをみれば、中に咲く小さな花が、少しずつ崩れていくのが見えたようだった。

「あ、ぁ……」

 何かを悟ったように、そう言った彼女は、はぁ、と一つ息を吐いた。

「……あの人は、今度こそ本当に逝ったのね。」

 どこで間違ってしまったのかしら。

 声にならない言葉を唇から読み取ったヒュパムはゆっくりと目を伏せた。

「兄として卿のお気持ちを代弁するのであれば……貴方が幸せに笑っていてくれるだけでよかったのではないかしら。」

 彼女の手に石を握らせるように、両の手でその手を握りこむと、彼は真摯に彼女の瞳を見据えて静かに語った。

「彼はこれを私に託したわ。 自分が責任もってあなたを眠らせることは出来ないからと。 それから、声が届くようなら伝えてほしいと。」

 一度口を閉じ、それからゆっくりと、託された言葉を伝えた。

 それを聞いた彼女は、大きく目を開き、ひゅうっと息を吸い込んで。



 お兄ちゃん



 そう声を漏らして目を閉じた。

 それを見守ると、握りしめていた手を胸の上に置き、かけていたマントで丁寧にくるんでそっと抱き上げる。

『え~、根無しの子! それ、連れて帰るの?』

 エーンートが眉間にしわを寄せる。

『悪いこと、したのに?』

 グノームもつられて顔をしかめる。

「えぇ。」

 そんな彼らに真摯に向き合ったヒュパムはひとつ、しっかりと頷いた。

「人の事を馬鹿で甘いと思うでしょう? でもこれが最後なの。 彼女はお兄さんに抱きしめてもらいたいでしょうし、彼も妹をちゃんと抱きしめて叱りたいと思うもの。 あぁ、でもそうね……抱きしめてあげられる体があるっていうことは、本当にうらやましいわ。」

 目を伏せた彼の背中を、どんどん! と力強くたたく手が、があった。

『誇り高い妹を持った根無しの子は馬鹿だなぁ。 だから、僕たちは人の子は可愛いくて仕方がないんだ。』

 やれやれしょうがないなぁと、呆れたように言ったグノームに笑っていたヒュパムに、エーンートがそういえば、と言った。

『あいつが根無しになったのは兄妹で同じ精霊と契約していたからだけど、お前が根無しになったのは、お前自身が魔人を産み付けられたからだ。』

「……え? じゃあ、なぜ。」

 戸惑った顔をするヒュパムにニヤッと笑ったエーンート。

『妹が花として散った時にお前の中の卵を消した。 お前の家系だけが使うあの力で死後も体を保ち、お前を治してから散ったんだ。 というわけで、これはドリアード様からお前たち兄妹へのご褒美。』

 差し出されたのは、太陽のように輝く一輪の、花金鳳花。

「……ありがとう。」

 笑いあった三人の足元に広がった白い光を揺らめかせる魔法陣に、彼らはぱくんと飲み込まれた。







「う~ん、ここまで5戦5敗? しかもせっかくこれに合わせて育てていた魔人まで一緒に潰されるなんて……うまくはいかないね。……。」

 はぁ~っとため息をついたアル君は、私の方を見て笑う。

「ちゃんと楽しめているかな? フィラン。」

「こんなの楽しむ趣味ないですから。 っていうかもう負け認めればいいじゃない、5人勝った時点で人側こっちの勝ちでしょ!?」

「さぁ、それは、どうかな?」

 ふんっ! と、顔をそむけた私は、面白そうに笑っているアル君に心底拳をぶつけたかった。
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