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閲覧注意のおまけ♪ 後編
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それから。僕は『感情が芽生えてよかったわ』と喜ぶ両親に便乗し、10日に一度、時には連日のようにアリスティアの元へ通った。
『史上最強のクーデレ』
ゲーム内ではそう評されていた自分が、『言葉にしないまでも』しっかりとした好意を態度で示し、なおかつ婚約者として礼節をもって接すればアリスティアがどんな反応を示すのか試したのだ。
もしかしたら、ヒロインたちと同じように攻略対象に溺れ、愛に胡坐をかき、自分に愛を押し付け、愛を要求してくるかもしれないという懸念があったからだったのだが。
(やはり、僕のアリスは違った……)
目の前のアリスティアの姿に、僕の胸は熱くなる。
彼女は、ゲームとは違う態度をとるグリッドに戸惑いつつも、淡く頬を染めながら自分を出迎えてくれ、自分のために、こちらの世界にはない手芸の技法を用いた繊細かつ芸術的な作品を惜しげもなく披露し、贈ってくれるのだ。
よく知るゲームとは様子が違う『推し』である僕を前に、せっせと自分に贈るものを作り、恥ずかしそうに話しかけ、その作品を使ってほしいと手渡してくれる。
推しに対するあふれ出る好意を隠しきれていない姿がたまらなく可愛らしく、そして愛おしい。
そのたびに自分は決意するのだ。
グリッド・レオンハートではなく『僕』を愛してほしい。
そして、この乙女ゲームの世界に確実に存在する醜悪な者から彼女を絶対に守りきらなければ、と。
そのため、ずっと忌避していた茶会にも積極的にとは言わないまでも、最低限以上には出席をするようにした。
「グリッド、今日は中立派の貴族を集めた茶会があるわ。同席して頂戴」
「はい、母上」
朝食の場で、母にそう言われ素直に頷くと、その事に驚いた母はカトラリーを持つ手を止めた。
「あら、あんなに嫌いだったのに、今日は嫌がらないのね?」
「えぇ。アリスを守るためですから」
そう言い切る息子を、母親は優しい目で見守る。
窮屈で退屈な茶会に行けば、しだれかかるように椅子に座り、甘えるように花に掛かった声を出す令嬢達が、最近参加した茶会の様子を教えてくれる
「カキンアイテムを売っている占い師を探しているが知らないかと詰め寄っておいででした。それも強気で、公爵令嬢が知りたいと言っているのに逆らうのか、と。正直、皆困惑しておりましたわ。こんなお話ですが、参考になりまして?」
「えぇ、大変興味深いお話でした。ありがとう、ノターリン嬢」
そう礼を言い微笑めば、令嬢は勘違いしたかのように頬を染め、席を立ちこちらに近づいてくる。
「グリッド様の為でしたらこれくらいのお話はいくらでも。それより、この後、よろしければわたくしのお部屋に……」
「いえ、結構」
隣に座った令嬢から身をかわし席を立つと、先ほどまでの微笑みはそのままに冷たく言い放つ。
「この後は婚約者と茶会の予定ですので失礼します。……あぁそれと。貴女も高位貴族のご令嬢であるのなら、若いうちから、しかも茶会でそのように肌を曝すドレスを着ない方がいい。マナー違反で実に不愉快だ。次にお会いするときには、家格に恥じぬ素晴らしい令嬢になっていらっしゃることを期待しますよ」
羞恥で顔を染める令嬢を冷たく一瞥し、その場を離れた僕に侍従は刺繍入りのハンカチ差し出してくれる。それを受け取り鼻と口を押さえ2、3と深呼吸すると、柔らかな香りが香水で馬鹿になった鼻を癒してくれる。
ハンカチからほのかに香る優しいにおいは、愛する女性の首筋に顔を埋めている錯覚を起こさせ、その甘い感覚に感嘆の息が漏れる。
相変わらず、以前より少し成長した体を自覚し、女の武器を前面に、自分の婚約者の座を得ようと乗り込んでくる令嬢達を、情報だけ聞き出してはうまくかわすだけの茶会。
「あぁ、ただいま、アリス。僕の女神」
自宅に帰り、腹心と言える人間だけ残し人払いをすると、僕は、僕が自ら整えた隠し部屋へと入り、深呼吸をする。
唯一置かれたソファに置いた人形を抱きしめ、新しく書きあがった姿絵を視線を確認しながら飾り、ハートランド侯爵家から取り寄せた羊毛フェルトで作った等身大のアリスティアの手の甲にキスをする。
「アリスに会えない日は苦しくて、死んでしまいそうだ……」
アリスティアが使って廃棄となった柔らかなひざ掛けを抱き締め、被り、深呼吸をする。
そうして心を落ち着けてから、茶会から持ち帰った情報を精査する。
今後の活動に生かせるよう、多くの書籍をあさり、有識者に文を書き、時には父を欺きながら、その奥の、いずれ自分のものになる公爵特権を使用する。
「しかし、馬鹿な女だ。シナリオ通りに自分が動いていないのに、なぜシナリオ通りに進むと思っているのか」
この時期のヒロインは病弱で、静養として領地に篭り、その間に公爵令嬢として必要な勉学とマナー以上の教養を身に付けている最中だ。しかしこの世界のヒロイン未満の女は、鼻先にぶら下げられた夢女垂涎の世界に目がくらみ、自己研鑽を怠り、爵位を盾に『攻略対象』に会いに行き、好感度が上がらないことにいら立ち、好感度上昇のための課金アイテム『魅惑のチョコレート』を探している。
心底馬鹿ではないかと疑ってしまう。
本来であれば学園入学後の『学園祭』で初めて現れる『占い師』からしか買えないそれを、何故学園前に手に入れようと市井を探すのか。
まともにゲームを進める気すらないのに、その先のハッピーエンドだけを求める様は余りにも滑稽だ。
「まぁいい。それならば自爆してくれるよう、別のそれを用意してやる」
にやりと笑うと、僕は手配を進めた
将来アリスが望むものを望むままにプレゼントできるよう、前世の記憶チートで起こした親にも内緒の商会から、真っ当な『乾物屋』を経由して入手した『薬草』を、公爵特権の先にいる人間を用いて『魅惑のチョコレート』の複製品を用意し、占い師の格好をさせ、市井でヒロインに高額で提示した。
あまりに高すぎると出し渋るかと思ったが、すぐにでも攻略対象とその先の未来を手に入れたいのか、ヒロインは大量の金貨と引き換えにそれを受け取ると、気揚々と攻略対象を茶に誘い、彼らを文字通り虜・にしていった。
それは、人気投票万年第二位の第一王子殿下も同様だった。
厳重に守られた彼の場合は王太子の座を狙う第二王子殿下に、危険な令嬢がいると、耳元で優しくご忠告するだけでよかった。
これで、ヒロインと攻略対象が無事エンディングを迎えられなくても、一網打尽に出来る手筈は整った。
ここまで、ほぼすべての事柄が順調だった。
しかしたった一つだけ、思い通りにならないものがあった。
アリスティアだ。
彼女が自分との婚約破棄の後の事を考えて行動しようと侍女に相談していることを知った。
(僕の事が好きなのに、なぜ離れる事ばかり考えるのだろう、僕の幸せはアリスと共にある事だけなのに)
推し活をし、自分と共に甘やかな婚約者としての時間を過ごしているにもかかわらず、それ以上を望まず、ゲームシナリオ通り、潔く身を引くために準備をしているアリスティアに、僕はとても苛立ち、思い通りにならないことをゲームの難易度に置き換え楽しんだ。
「僕が直接的な愛を囁かないと縛りを決めたからだろうか……君は何故想像通りに動いてくれないんだろう……そんなところも可愛らしいけれど、僕の愛を試してどうするつもりなんだ」
ぬいぐるみのアリスティアに問うても、その答えは返ってこない。
運命を受け入れ、今だけの幸せを大切にしようと僕との時間を大切に向き合いながら未来の事を真剣に考える姿は、欲望のままにシナリオを無視し、課金アイテムに縋るヒロインより美しいが、見ず知らずの、自分よりも無能な男に彼女を奪われるのはうれしくない。
もしかしたら、その男も自分と同じように転生者で、可愛いアリスを連れ去るために準備をしていないとも限らない。
他者との無用な接触は避ける必要があった。
「そうだな、不安要因は少ないに越したことはない。義父上の知り合いの息子というモブ伯爵令息を探して叩き潰そう……あぁ、ヒロインにぶつけるのも手だな。それと、アリスを守る手立てを……」
この先、僕と共に歩く幸せな未来しかないと言うのに、それ以外のつまらない未来を想像して悩むのは、僕が学園や社交で傍にいないせいで、隙間時間があるせいだろう。
(君の心を占めるのは、僕だけでいいのに)
しかし、そんなところも、僕には可愛くて仕方がない。
アリスティアについて、こちら側が送り込んだ侍女から定期的に届く調査書を暖炉にくべると、アリスティアと自分の愛を集め閉じ込めた秘密の部屋を出、自分の部屋に戻り、母上の元へ向かった。
「母上、今、少しよろしいですか?」
「あら、どうしたの?」
「最近、とある高位貴族の令嬢の悪評が広がっているのは御存じですか?」
そういえば、母親は顔をしかめた。
「聞いていますよ。誉れ高き爵位の家に生まれながら、研鑽もせず娼婦の真似事をしている、とか。嘆かわしいこと。で、それがどうかしたのですか? 貴方には関係ないのではなくて?」
探るように聞いてくる母親に、僕は少し困ったような表情で微笑んだ。
「実は、彼女がアリスに接触しようとしているから気をつけろ、と学院の同級生に忠告を受けたのです。なんでも彼女が僕の事を狙っていて、爵位が下のアリスを害そうとしているそうなのです。調べてみれば本当にその様で……ですからアリスが不用意に彼女に接触しなくて済むよう、侯爵家に我が家の家庭教師を送り、公爵夫人の勉強をさせることで、不必要な茶会には出なくてもいいようにして頂きたいのです」
そういえば、先ほどまでの表情とは変わり、柔らかな笑みを浮かべる。
「まぁまぁ、あの汚物がアリスちゃんに接触ですって? 貴方の宝物に? それはほうってはおけないわ。わかりました、ハートランド侯爵家へ今日にでも連絡しましょう。茶会も、母親同伴のもの以外は出席しないようお願いしておきます」
「ありがとうございます、母上」
にこっと笑った自分に、母親は自分を見て微笑んだままだ。
「なにか?」
「いいえ」
たおやかに、しかし意味深長な笑みを浮かべた母親は、ソファから立ち上がると自分の頭を撫でた。
「グリッド。次期公爵として、己の力の過信せず、かといって卑下せず。自分の持てる力は正しく使いなさいね」
その言葉の真意に、僕はにこりと微笑んだ。
「はい、ご忠告痛み入ります、母上」
「アリス、これをずっとつけておいてね。決して外しては駄目だよ。これは、君が僕の婚約者たる証だからね?」
「……はい……はい。リード様も……ですよ?」
「あぁ、もちろんだよ、僕のアリス」
明日は学院の入学式だと言う日に、僕はいつものようにアリスに会いに行った。
ゲームの中では決して許さなかった『愛称』を許し、『愛称』を許された、仲睦まじい婚約者という関係性の僕たちを知らしめるため、僕の提案で注文した、揃いの婚約指輪を届けるためだ。
彼女の細く白い右の薬指に僕の瞳と同じ色の石が輝く指輪をはめてそう告げると、アリスも僕の指に彼女の瞳と同じ色の石が輝く指輪を嵌めてくれる。
「……指輪、綺麗。」
『これがあれば、婚約破棄を言い渡されても、今までの思い出を大事に生きていける』と誰にも聞こえないような声で呟いたのを、しかし僕は聞き逃さなかった。
「なにかいったかい? アリス」
「い、いいえっ。とても嬉しいです、リード様。ありがとうございます。」
揺れる瞳で、自信なげに言葉を震わせてそう笑う。
そんな彼女に、僕の心はツキンと痛む。
(あぁ、可愛い……泣いて起きた彼女を心配して声をかけた侍女に、僕に捨てられる夢を見たと不安を漏らしていたと報告が来ていたけれど、君はゲームの強制力か何かで、僕があんな女のために君を捨てると思っているんだね? そんなこと、絶対にありえないのに。……あぁ、けれど)
ぞくっと震えそうになる身を押さえる。
(こうして、不安で目元を赤く染め、泣きだしそうな顔で微笑む君も、可愛らしい)
不安からよく眠れていないのか、赤い目をしているアリス。
明日の入学式で、ヒロインが僕に接触し、その結果シナリオ通りの運命の恋(笑)に落ちて、晴れやかな夜会の場で自分が捨てられるという未来を何度も思い出し苦しんでいるのだろう。
(そんなことには決してならないと言うのに、こんなにも泣きそうな顔をして……あぁ、今すぐ抱きしめて、大丈夫だよと言って、その瞼に口づけ出来ればいいのに……君が、一言でも相談してくれれば、僕を愛していると言ってくれれば、すぐにでもそうしてあげられるのに)
歪んだ考えが頭をよぎりはするけれど、大抵はそんなことばかり考える。
アリスティアが自分にそれを訴えてきてくれれば、いつでも自分の不利益になる事以外のすべて(それは自分が転生者であることも含む)を説明し、安心を与えられる言葉を、その耳元で甘く囁いてあげられる。
けれど彼女は一度もそんな弱音や思いを吐露することなく、ともすれば『ヒロインと幸せになってほしい』とでもいうような行動を、出会ってから今日の日までとり続けている。
最初はそれがいつまで続くのかと楽しんでいた。
自分の性格が悪いのは百も承知だが、純粋に推し活をする気持ちもわかるし、こちらを振り向かせる自信があったため、ずっと黙っていた。
しかしいつからか、そうされるたびに気持ちが苛つくことに気が付いた。
決してそんなことはしないと、言葉にしなくても態度で示し続けた。
アリスティアさえ僕に愛を囁いてくれれば、助けてくれと言ってくれれば、このシナリオがすでに破綻していて、そんな心配はないと安心させられるのに、自分が作った縛りのせいで、黙っている事しかできない。
(僕は、調子に乗って、馬鹿なことをした……)
自分が自分に強いた『縛り』が、こんなに自分を苦しめるとは思わなかった。
しかも途中で縛りプレイを止めようとアリスティアに自分の事を話そうとした時、その言葉が口から出てこず、ヒロインが選んだSSRハッピーエンドに対して監視システムが作動し、縛りは強制に変わったことに気が付いた。
当然と言えば当然だ。
自分が用意した偽課金アイテム『魅惑のチョコレート』を使い、攻略対象をどんどん骨抜きにしたヒロインを、もはや止める者はいない。
彼女の父母は、幼いながらに女性優位のハーレムを築き上げた娘の、そのハーレムの中に第一王子殿下がいることに歓喜し、金をばら撒いて周囲を黙らせている。
国王と王妃は、第二王子殿下が『自ら目を覚まさなければ意味がない。学生の間に兄上が目を覚ますことにかけましょう。僕が、兄上をお支えしますから』という言葉に騙され、口を閉ざし、他の側近候補者の親もそれに準じた形だ。
いまさらそれに気づいて足掻いても、何が出来るはずもない。
長期にわたる媚薬の過剰摂取で彼らはもう表舞台に立てない状況だからだ。
(可哀想に)
そうは思うが彼らに罪悪感はない。
アリスティアを守るために必要な事だったし、政を司る王族や高位貴族なら『甘言から我が身を守る術』を怠った時点で貴族として終わりなのだ。
それよりも大切なことは、アリスティアが悲しまないようにこのゲームを終わらせ、結婚し、その先の未来に向かって歩む事だけだ。
(ヒロインは僕がなびかないことでかなり焦っているらしいから、そろそろ仕掛けてくるだろう。ヒロインが払った課金アイテムの代金で僕の懐も潤っているし、アリスを迎える新居を建てる場所も王都の一等地の権利もすでに手は打った。あとは、しびれを切らしたヒロインが自爆し、早めにすべてが終わるよう、少しだけ誘い道を用意しよう……いや、でも今はアリスとの時間を大切にしなければ)
思考を止めると、自分の隣に座り、嬉しさと不安に瞳を揺らしながら己の指で輝く指輪を眺めるアリスティアに微笑んだ。
「アリス? 今日は何も作らないの? 先ほどまで作っていた作品があるのだろう?」
「……よろしいのですか?」
「もちろん、いいに決まっているよ? 君が物を作る姿を見ているのがとても好きなんだ」
「……では、お言葉に甘えて」
そう言うと、彼女ははにかんだように微笑み、傍にあった籠を手に取り、刺繍を始める。
それは、明日の入学式で、僕の胸元を飾るためのハンカチだと知っている。
(幸せだ……)
彼女と共に過ごす時間が、僕の唯一の癒しだ。
先程の不安の表情から一転、女神のように穏やかな微笑みを浮かべ、せっせと手を動かすアリスティアの姿は穢れなく美しい。
(この幸せのために、最後の大舞台を整えなければならない)
彼女の歩む道筋を少しずつ僕の道に近づけ、邪魔な者を排除する。
彼女が気が付いた時には後戻りが出来ぬよう、そして傷一つつけぬために自らの手で守れるよう、ゲームの舞台となる学院に彼女も入学させた。
あとは、このゲームのヒロインを名乗るこの世界の異物を、物理的に抹消するだけだ。
(あの女が、最難関のSSRハッピーエンドを狙っていてくれて助かったよ)
ティーカップを傾けながら、僕は微笑む。
(だって、最後の判定は、彼女ではなく僕にゆだねられている。正義の天秤は正反対に傾けられるんだ。今まで金を稼がせてもらったとはいえ、さんざん迷惑をこうむってきたんだ。その瞬間が待ち遠しいな)
学院の入学式には二人そろって出席した。
アリスティアはいつも以上に瞳を揺らし、不安げだった。
大丈夫と言いながらも、身を震わせ、周囲を見渡し、誰かを(おそらくはヒロイン)を探していた。
その様があまりにも可愛らしく、しかし可哀想に思え声をかけても、彼女は気丈に微笑み、大丈夫だと繰り返す。
細い肩を震わせ、自分の傍で今か今かと、ヒロインが現れることに怯えているようだった。
「アリス、本当に大丈夫かい?」
(そろそろ、言ってくれてもいいのに。自分は転生者だと、ヒロインが現れるのが怖い、と)
そう思いながら震える手を握ると、指先はツンと冷たくなっていて、破れない縛りを作った自分を忌々しく思い苦しくなる。
そんな僕に、アリスティアは恐る恐る告げた。
「リード様。お願いを聞いてくださいますか?」
(あぁ、アリス。ようやく……)
その瞬間が来たと歓喜しながらも、いつも通りすました顔で頷いて、彼女が欲しいであろう言葉を紡ぐ。
「なんだい? アリスの願いなら、ひとつと言わず、いくらでもかなえてあげるよ」
そう告げれば、アリスはふるふるっとと小さく頭を振り、美しい新緑の瞳で僕を見上げ、震える声で願いを告げる。
あぁ、そんな。
そんな今にも泣き出しそうな顔をしないで。
泣き出しそうな顔で、微笑まないで。
アリス。
僕のアリス。
さぁ、お願いを言ってごらん?
「……式の間だけでいいので、ずっと手を繋いで離さないでいてくださいますか?」
背筋に氷水を浴びせられた気がして、ぎゅっとアリスの手を握る。
アリスティアの言葉に、僕は溢れ出しそうになる感情を抑えるために少しばかり眉間に力を入れ、目の前のアリスに微笑む。
「アリス、式の間だけなんて言わないでほしい。僕は君の手をずっと繋いでいるよ」
心の奥底から沸き上がる、自分に対する怒りを出すように小さく息を吐き出しながら、僕はアリスティアを見つめる。
「死が二人を分かつことがあっても、絶対にこの手は離さない」
「……ありがとう、ございます」
(違う、違うんだ……僕が、卑怯者で、君を苦しめているんだ……)
どこかで相反する気持ちが立ち上がるのに気が付かないまま、柔らかな微笑みを浮かべて安堵するアリスティアを抱き締めたい衝動を押さえつけ、僕は彼女が自ら僕への未来を踏み出せるための最後の一歩を早めるために動こうと静かに決意した。
最後の瞬間の事は、あれ以上でもあれ以下はでもない。
用意した断罪の場に現れたあの女に、僕は最後の審判たる断罪を叩きつけ、自分がヒロインだと信じで疑わなかった女は、この世の裏の支配者の妻となるためにこちらの世界での生を終えた。
今頃あちらの世界で、続編として出された魔界無双編のヒロインとして、人外の貴公子たち相手に同じことを繰り返しているだろうが、あっちは完全に大人の女性向けのゲームであるため知識はないし、正直そんなものに興味はない。
そして、一人の虚言癖のある公爵令嬢に『魅惑のチョコレート』という、少量であれば痛みを緩和する大切な医薬品だが、大量に飲めばその心を奪われ、いずれは身も心も壊れてしまう薬物の中毒にされた第一王子殿下と側近候補11名は、表向きは重大な流行病に罹ったとされ、療養目的で国外の病院に収監されらしいが、おおもとの事件が王命でなかったことにされたため、表立っては誰も、何も口にしなくなった。
彼らの婚約者たちは、王家によって新しい縁談が組まれたと言うし、第二王子殿下は無事立太子の儀を終え、忙しくしている。
側近にならないかと声をかけられたが、それはお互いのために丁寧にお断りした。
そして。
僕とアリスティアは、今日も穏やかな日々を過ごしている。
ヒロインが消えたあの日、ハートランド侯爵家に向かう馬車の中で、アリスティアはボロボロと涙を流しながら話してくれた。
この世界が乙女ゲームの中であること。
彼女は間違いなくヒロインであったこと。
自分は僕に婚約破棄されるモブ令嬢であったこと。
そしてゲームをプレイしていた自分の推しが僕であり、推しが幸せならそれでいいと、僕と婚約破棄するのを受け入れていたこと。
けれど、それが途中から苦しく思えたこと、それは、『推し』ではなく目の前にいる『僕』を愛してしまっていたからだと気が付いたこと。
それらを、たくさんの涙とたくさんの言葉で話してくれた。
その瞬間、僕は僕にかけた縛りから解放された。
僕は心の奥底から、今までの分も、精いっぱい彼女に愛を囁き、これからの将来を共にあり続けると誓い合い、抱きしめることが出来た。
ようやく思いを交わすことが出来、僕たちは本来にはない、新たなSSRハッピーエンドに向け、進んでいけると思った。
が。
僕は、自分がそうであることを話さなかった。
あの事件は、僕の心に小さな苦しみの種を落としていたのに気が付いたからだ。
断罪の時。
アリスはヒロインが最悪のSSRバッドエンドに向かわぬよう、必死に手を伸ばし彼女が暴走するのを止めようとし、僕に断罪の言葉を吐かないように乞うた。
その姿が僕の心に治らない小さな傷を作り、じわじわと苦しめた。
(僕以外のために必死になる姿を見たくはなかった)
可愛いアリス。
僕だけのために心を乱してほしかった。
あんな必死な表情を、他の人のためにしてほしくなかった。
君の心を揺さぶるのは、僕だけでいい。
ようやく君から愛の言葉を貰って、君に愛を囁くことが出来るようになったのに。
こんな苦しみは、必要ないのに。
この先、君が僕以外の誰かに心動かされる日々があるのではないかと、気が気ではなくなったのだ。
彼女の心は僕の物で、それは絶対にそうであって、決して変わらないと自信があったのに。
彼女の心は彼女の物で、決して僕だけのものではないことを思い知った。
あぁ、アリス。
僕のアリス。
結婚に向けた穏やかな日々を送っていると言うのに、僕の心はかき乱されて苦しい。
僕を見て。
僕を愛して。
僕だけを愛して。
焦燥感で体の奥が焼けるようで、そうすると、心の奥底からじわりじわりとあの手が近づいてくる気がした。
人ではなくなってしまうかもしれない。
焦りから、君の作ったもの、身につけた物、君のまなざしが増える秘密の部屋にいた。
けれど、チクチクと痛む傷は苦しい。
本当に欲しい、あの真に美しい若草色の輝きが、いつか僕からそれてしまう事が怖くて仕方がない。
神の前で永遠を誓い、互いの気持ちを確かめ合うように体をつなげ、抱きしめあって眠った。
それなのに、不安は消えてなくならなかった。
どうか、僕の、僕一人のアリスでいてほしい。
僕の愛に気付いてほしい。
僕以外の人間をその瞳に映してほしくない。
僕以外の人間のために、心を動かしてほしくない。
だから。
僕の気持ちに気付けば、君は優しいから、他に心を動かすことをやめ、僕の事を見てくれると思ったから。
扉を開けて、身を隠した。
さぁ、気付いてアリス。
僕の愛の重さに。
そして同じだけの愛を、安心を、僕に頂戴?
ゆっくりとその部屋に入り、僕の心の内を知り、青ざめ、震えるアリスをそっと抱き締めて。
僕は、永遠に続くであろう愛を吐露することで、君を僕に縛り付けることに成功した。
これが、僕たちのSSRハッピーエンド。
*****
関係者各位には―!
心よりお詫び申し上げます――――!!!
この話はいらなかった、蛇足だった、これのお陰で全部ぶち壊しなどの
苦情などは受け付けておりませんー!
茶苦茶気持ち悪く高速で捲し立てる感じですので
ここまでお読みいただきありがとうございます!
気合のもとになりますので、いいね、評価、ブックマーク等、していただけると作者は大変に嬉しいです! 張り切って踊ります!(このお話はこれ以上躍れませんが)
『史上最強のクーデレ』
ゲーム内ではそう評されていた自分が、『言葉にしないまでも』しっかりとした好意を態度で示し、なおかつ婚約者として礼節をもって接すればアリスティアがどんな反応を示すのか試したのだ。
もしかしたら、ヒロインたちと同じように攻略対象に溺れ、愛に胡坐をかき、自分に愛を押し付け、愛を要求してくるかもしれないという懸念があったからだったのだが。
(やはり、僕のアリスは違った……)
目の前のアリスティアの姿に、僕の胸は熱くなる。
彼女は、ゲームとは違う態度をとるグリッドに戸惑いつつも、淡く頬を染めながら自分を出迎えてくれ、自分のために、こちらの世界にはない手芸の技法を用いた繊細かつ芸術的な作品を惜しげもなく披露し、贈ってくれるのだ。
よく知るゲームとは様子が違う『推し』である僕を前に、せっせと自分に贈るものを作り、恥ずかしそうに話しかけ、その作品を使ってほしいと手渡してくれる。
推しに対するあふれ出る好意を隠しきれていない姿がたまらなく可愛らしく、そして愛おしい。
そのたびに自分は決意するのだ。
グリッド・レオンハートではなく『僕』を愛してほしい。
そして、この乙女ゲームの世界に確実に存在する醜悪な者から彼女を絶対に守りきらなければ、と。
そのため、ずっと忌避していた茶会にも積極的にとは言わないまでも、最低限以上には出席をするようにした。
「グリッド、今日は中立派の貴族を集めた茶会があるわ。同席して頂戴」
「はい、母上」
朝食の場で、母にそう言われ素直に頷くと、その事に驚いた母はカトラリーを持つ手を止めた。
「あら、あんなに嫌いだったのに、今日は嫌がらないのね?」
「えぇ。アリスを守るためですから」
そう言い切る息子を、母親は優しい目で見守る。
窮屈で退屈な茶会に行けば、しだれかかるように椅子に座り、甘えるように花に掛かった声を出す令嬢達が、最近参加した茶会の様子を教えてくれる
「カキンアイテムを売っている占い師を探しているが知らないかと詰め寄っておいででした。それも強気で、公爵令嬢が知りたいと言っているのに逆らうのか、と。正直、皆困惑しておりましたわ。こんなお話ですが、参考になりまして?」
「えぇ、大変興味深いお話でした。ありがとう、ノターリン嬢」
そう礼を言い微笑めば、令嬢は勘違いしたかのように頬を染め、席を立ちこちらに近づいてくる。
「グリッド様の為でしたらこれくらいのお話はいくらでも。それより、この後、よろしければわたくしのお部屋に……」
「いえ、結構」
隣に座った令嬢から身をかわし席を立つと、先ほどまでの微笑みはそのままに冷たく言い放つ。
「この後は婚約者と茶会の予定ですので失礼します。……あぁそれと。貴女も高位貴族のご令嬢であるのなら、若いうちから、しかも茶会でそのように肌を曝すドレスを着ない方がいい。マナー違反で実に不愉快だ。次にお会いするときには、家格に恥じぬ素晴らしい令嬢になっていらっしゃることを期待しますよ」
羞恥で顔を染める令嬢を冷たく一瞥し、その場を離れた僕に侍従は刺繍入りのハンカチ差し出してくれる。それを受け取り鼻と口を押さえ2、3と深呼吸すると、柔らかな香りが香水で馬鹿になった鼻を癒してくれる。
ハンカチからほのかに香る優しいにおいは、愛する女性の首筋に顔を埋めている錯覚を起こさせ、その甘い感覚に感嘆の息が漏れる。
相変わらず、以前より少し成長した体を自覚し、女の武器を前面に、自分の婚約者の座を得ようと乗り込んでくる令嬢達を、情報だけ聞き出してはうまくかわすだけの茶会。
「あぁ、ただいま、アリス。僕の女神」
自宅に帰り、腹心と言える人間だけ残し人払いをすると、僕は、僕が自ら整えた隠し部屋へと入り、深呼吸をする。
唯一置かれたソファに置いた人形を抱きしめ、新しく書きあがった姿絵を視線を確認しながら飾り、ハートランド侯爵家から取り寄せた羊毛フェルトで作った等身大のアリスティアの手の甲にキスをする。
「アリスに会えない日は苦しくて、死んでしまいそうだ……」
アリスティアが使って廃棄となった柔らかなひざ掛けを抱き締め、被り、深呼吸をする。
そうして心を落ち着けてから、茶会から持ち帰った情報を精査する。
今後の活動に生かせるよう、多くの書籍をあさり、有識者に文を書き、時には父を欺きながら、その奥の、いずれ自分のものになる公爵特権を使用する。
「しかし、馬鹿な女だ。シナリオ通りに自分が動いていないのに、なぜシナリオ通りに進むと思っているのか」
この時期のヒロインは病弱で、静養として領地に篭り、その間に公爵令嬢として必要な勉学とマナー以上の教養を身に付けている最中だ。しかしこの世界のヒロイン未満の女は、鼻先にぶら下げられた夢女垂涎の世界に目がくらみ、自己研鑽を怠り、爵位を盾に『攻略対象』に会いに行き、好感度が上がらないことにいら立ち、好感度上昇のための課金アイテム『魅惑のチョコレート』を探している。
心底馬鹿ではないかと疑ってしまう。
本来であれば学園入学後の『学園祭』で初めて現れる『占い師』からしか買えないそれを、何故学園前に手に入れようと市井を探すのか。
まともにゲームを進める気すらないのに、その先のハッピーエンドだけを求める様は余りにも滑稽だ。
「まぁいい。それならば自爆してくれるよう、別のそれを用意してやる」
にやりと笑うと、僕は手配を進めた
将来アリスが望むものを望むままにプレゼントできるよう、前世の記憶チートで起こした親にも内緒の商会から、真っ当な『乾物屋』を経由して入手した『薬草』を、公爵特権の先にいる人間を用いて『魅惑のチョコレート』の複製品を用意し、占い師の格好をさせ、市井でヒロインに高額で提示した。
あまりに高すぎると出し渋るかと思ったが、すぐにでも攻略対象とその先の未来を手に入れたいのか、ヒロインは大量の金貨と引き換えにそれを受け取ると、気揚々と攻略対象を茶に誘い、彼らを文字通り虜・にしていった。
それは、人気投票万年第二位の第一王子殿下も同様だった。
厳重に守られた彼の場合は王太子の座を狙う第二王子殿下に、危険な令嬢がいると、耳元で優しくご忠告するだけでよかった。
これで、ヒロインと攻略対象が無事エンディングを迎えられなくても、一網打尽に出来る手筈は整った。
ここまで、ほぼすべての事柄が順調だった。
しかしたった一つだけ、思い通りにならないものがあった。
アリスティアだ。
彼女が自分との婚約破棄の後の事を考えて行動しようと侍女に相談していることを知った。
(僕の事が好きなのに、なぜ離れる事ばかり考えるのだろう、僕の幸せはアリスと共にある事だけなのに)
推し活をし、自分と共に甘やかな婚約者としての時間を過ごしているにもかかわらず、それ以上を望まず、ゲームシナリオ通り、潔く身を引くために準備をしているアリスティアに、僕はとても苛立ち、思い通りにならないことをゲームの難易度に置き換え楽しんだ。
「僕が直接的な愛を囁かないと縛りを決めたからだろうか……君は何故想像通りに動いてくれないんだろう……そんなところも可愛らしいけれど、僕の愛を試してどうするつもりなんだ」
ぬいぐるみのアリスティアに問うても、その答えは返ってこない。
運命を受け入れ、今だけの幸せを大切にしようと僕との時間を大切に向き合いながら未来の事を真剣に考える姿は、欲望のままにシナリオを無視し、課金アイテムに縋るヒロインより美しいが、見ず知らずの、自分よりも無能な男に彼女を奪われるのはうれしくない。
もしかしたら、その男も自分と同じように転生者で、可愛いアリスを連れ去るために準備をしていないとも限らない。
他者との無用な接触は避ける必要があった。
「そうだな、不安要因は少ないに越したことはない。義父上の知り合いの息子というモブ伯爵令息を探して叩き潰そう……あぁ、ヒロインにぶつけるのも手だな。それと、アリスを守る手立てを……」
この先、僕と共に歩く幸せな未来しかないと言うのに、それ以外のつまらない未来を想像して悩むのは、僕が学園や社交で傍にいないせいで、隙間時間があるせいだろう。
(君の心を占めるのは、僕だけでいいのに)
しかし、そんなところも、僕には可愛くて仕方がない。
アリスティアについて、こちら側が送り込んだ侍女から定期的に届く調査書を暖炉にくべると、アリスティアと自分の愛を集め閉じ込めた秘密の部屋を出、自分の部屋に戻り、母上の元へ向かった。
「母上、今、少しよろしいですか?」
「あら、どうしたの?」
「最近、とある高位貴族の令嬢の悪評が広がっているのは御存じですか?」
そういえば、母親は顔をしかめた。
「聞いていますよ。誉れ高き爵位の家に生まれながら、研鑽もせず娼婦の真似事をしている、とか。嘆かわしいこと。で、それがどうかしたのですか? 貴方には関係ないのではなくて?」
探るように聞いてくる母親に、僕は少し困ったような表情で微笑んだ。
「実は、彼女がアリスに接触しようとしているから気をつけろ、と学院の同級生に忠告を受けたのです。なんでも彼女が僕の事を狙っていて、爵位が下のアリスを害そうとしているそうなのです。調べてみれば本当にその様で……ですからアリスが不用意に彼女に接触しなくて済むよう、侯爵家に我が家の家庭教師を送り、公爵夫人の勉強をさせることで、不必要な茶会には出なくてもいいようにして頂きたいのです」
そういえば、先ほどまでの表情とは変わり、柔らかな笑みを浮かべる。
「まぁまぁ、あの汚物がアリスちゃんに接触ですって? 貴方の宝物に? それはほうってはおけないわ。わかりました、ハートランド侯爵家へ今日にでも連絡しましょう。茶会も、母親同伴のもの以外は出席しないようお願いしておきます」
「ありがとうございます、母上」
にこっと笑った自分に、母親は自分を見て微笑んだままだ。
「なにか?」
「いいえ」
たおやかに、しかし意味深長な笑みを浮かべた母親は、ソファから立ち上がると自分の頭を撫でた。
「グリッド。次期公爵として、己の力の過信せず、かといって卑下せず。自分の持てる力は正しく使いなさいね」
その言葉の真意に、僕はにこりと微笑んだ。
「はい、ご忠告痛み入ります、母上」
「アリス、これをずっとつけておいてね。決して外しては駄目だよ。これは、君が僕の婚約者たる証だからね?」
「……はい……はい。リード様も……ですよ?」
「あぁ、もちろんだよ、僕のアリス」
明日は学院の入学式だと言う日に、僕はいつものようにアリスに会いに行った。
ゲームの中では決して許さなかった『愛称』を許し、『愛称』を許された、仲睦まじい婚約者という関係性の僕たちを知らしめるため、僕の提案で注文した、揃いの婚約指輪を届けるためだ。
彼女の細く白い右の薬指に僕の瞳と同じ色の石が輝く指輪をはめてそう告げると、アリスも僕の指に彼女の瞳と同じ色の石が輝く指輪を嵌めてくれる。
「……指輪、綺麗。」
『これがあれば、婚約破棄を言い渡されても、今までの思い出を大事に生きていける』と誰にも聞こえないような声で呟いたのを、しかし僕は聞き逃さなかった。
「なにかいったかい? アリス」
「い、いいえっ。とても嬉しいです、リード様。ありがとうございます。」
揺れる瞳で、自信なげに言葉を震わせてそう笑う。
そんな彼女に、僕の心はツキンと痛む。
(あぁ、可愛い……泣いて起きた彼女を心配して声をかけた侍女に、僕に捨てられる夢を見たと不安を漏らしていたと報告が来ていたけれど、君はゲームの強制力か何かで、僕があんな女のために君を捨てると思っているんだね? そんなこと、絶対にありえないのに。……あぁ、けれど)
ぞくっと震えそうになる身を押さえる。
(こうして、不安で目元を赤く染め、泣きだしそうな顔で微笑む君も、可愛らしい)
不安からよく眠れていないのか、赤い目をしているアリス。
明日の入学式で、ヒロインが僕に接触し、その結果シナリオ通りの運命の恋(笑)に落ちて、晴れやかな夜会の場で自分が捨てられるという未来を何度も思い出し苦しんでいるのだろう。
(そんなことには決してならないと言うのに、こんなにも泣きそうな顔をして……あぁ、今すぐ抱きしめて、大丈夫だよと言って、その瞼に口づけ出来ればいいのに……君が、一言でも相談してくれれば、僕を愛していると言ってくれれば、すぐにでもそうしてあげられるのに)
歪んだ考えが頭をよぎりはするけれど、大抵はそんなことばかり考える。
アリスティアが自分にそれを訴えてきてくれれば、いつでも自分の不利益になる事以外のすべて(それは自分が転生者であることも含む)を説明し、安心を与えられる言葉を、その耳元で甘く囁いてあげられる。
けれど彼女は一度もそんな弱音や思いを吐露することなく、ともすれば『ヒロインと幸せになってほしい』とでもいうような行動を、出会ってから今日の日までとり続けている。
最初はそれがいつまで続くのかと楽しんでいた。
自分の性格が悪いのは百も承知だが、純粋に推し活をする気持ちもわかるし、こちらを振り向かせる自信があったため、ずっと黙っていた。
しかしいつからか、そうされるたびに気持ちが苛つくことに気が付いた。
決してそんなことはしないと、言葉にしなくても態度で示し続けた。
アリスティアさえ僕に愛を囁いてくれれば、助けてくれと言ってくれれば、このシナリオがすでに破綻していて、そんな心配はないと安心させられるのに、自分が作った縛りのせいで、黙っている事しかできない。
(僕は、調子に乗って、馬鹿なことをした……)
自分が自分に強いた『縛り』が、こんなに自分を苦しめるとは思わなかった。
しかも途中で縛りプレイを止めようとアリスティアに自分の事を話そうとした時、その言葉が口から出てこず、ヒロインが選んだSSRハッピーエンドに対して監視システムが作動し、縛りは強制に変わったことに気が付いた。
当然と言えば当然だ。
自分が用意した偽課金アイテム『魅惑のチョコレート』を使い、攻略対象をどんどん骨抜きにしたヒロインを、もはや止める者はいない。
彼女の父母は、幼いながらに女性優位のハーレムを築き上げた娘の、そのハーレムの中に第一王子殿下がいることに歓喜し、金をばら撒いて周囲を黙らせている。
国王と王妃は、第二王子殿下が『自ら目を覚まさなければ意味がない。学生の間に兄上が目を覚ますことにかけましょう。僕が、兄上をお支えしますから』という言葉に騙され、口を閉ざし、他の側近候補者の親もそれに準じた形だ。
いまさらそれに気づいて足掻いても、何が出来るはずもない。
長期にわたる媚薬の過剰摂取で彼らはもう表舞台に立てない状況だからだ。
(可哀想に)
そうは思うが彼らに罪悪感はない。
アリスティアを守るために必要な事だったし、政を司る王族や高位貴族なら『甘言から我が身を守る術』を怠った時点で貴族として終わりなのだ。
それよりも大切なことは、アリスティアが悲しまないようにこのゲームを終わらせ、結婚し、その先の未来に向かって歩む事だけだ。
(ヒロインは僕がなびかないことでかなり焦っているらしいから、そろそろ仕掛けてくるだろう。ヒロインが払った課金アイテムの代金で僕の懐も潤っているし、アリスを迎える新居を建てる場所も王都の一等地の権利もすでに手は打った。あとは、しびれを切らしたヒロインが自爆し、早めにすべてが終わるよう、少しだけ誘い道を用意しよう……いや、でも今はアリスとの時間を大切にしなければ)
思考を止めると、自分の隣に座り、嬉しさと不安に瞳を揺らしながら己の指で輝く指輪を眺めるアリスティアに微笑んだ。
「アリス? 今日は何も作らないの? 先ほどまで作っていた作品があるのだろう?」
「……よろしいのですか?」
「もちろん、いいに決まっているよ? 君が物を作る姿を見ているのがとても好きなんだ」
「……では、お言葉に甘えて」
そう言うと、彼女ははにかんだように微笑み、傍にあった籠を手に取り、刺繍を始める。
それは、明日の入学式で、僕の胸元を飾るためのハンカチだと知っている。
(幸せだ……)
彼女と共に過ごす時間が、僕の唯一の癒しだ。
先程の不安の表情から一転、女神のように穏やかな微笑みを浮かべ、せっせと手を動かすアリスティアの姿は穢れなく美しい。
(この幸せのために、最後の大舞台を整えなければならない)
彼女の歩む道筋を少しずつ僕の道に近づけ、邪魔な者を排除する。
彼女が気が付いた時には後戻りが出来ぬよう、そして傷一つつけぬために自らの手で守れるよう、ゲームの舞台となる学院に彼女も入学させた。
あとは、このゲームのヒロインを名乗るこの世界の異物を、物理的に抹消するだけだ。
(あの女が、最難関のSSRハッピーエンドを狙っていてくれて助かったよ)
ティーカップを傾けながら、僕は微笑む。
(だって、最後の判定は、彼女ではなく僕にゆだねられている。正義の天秤は正反対に傾けられるんだ。今まで金を稼がせてもらったとはいえ、さんざん迷惑をこうむってきたんだ。その瞬間が待ち遠しいな)
学院の入学式には二人そろって出席した。
アリスティアはいつも以上に瞳を揺らし、不安げだった。
大丈夫と言いながらも、身を震わせ、周囲を見渡し、誰かを(おそらくはヒロイン)を探していた。
その様があまりにも可愛らしく、しかし可哀想に思え声をかけても、彼女は気丈に微笑み、大丈夫だと繰り返す。
細い肩を震わせ、自分の傍で今か今かと、ヒロインが現れることに怯えているようだった。
「アリス、本当に大丈夫かい?」
(そろそろ、言ってくれてもいいのに。自分は転生者だと、ヒロインが現れるのが怖い、と)
そう思いながら震える手を握ると、指先はツンと冷たくなっていて、破れない縛りを作った自分を忌々しく思い苦しくなる。
そんな僕に、アリスティアは恐る恐る告げた。
「リード様。お願いを聞いてくださいますか?」
(あぁ、アリス。ようやく……)
その瞬間が来たと歓喜しながらも、いつも通りすました顔で頷いて、彼女が欲しいであろう言葉を紡ぐ。
「なんだい? アリスの願いなら、ひとつと言わず、いくらでもかなえてあげるよ」
そう告げれば、アリスはふるふるっとと小さく頭を振り、美しい新緑の瞳で僕を見上げ、震える声で願いを告げる。
あぁ、そんな。
そんな今にも泣き出しそうな顔をしないで。
泣き出しそうな顔で、微笑まないで。
アリス。
僕のアリス。
さぁ、お願いを言ってごらん?
「……式の間だけでいいので、ずっと手を繋いで離さないでいてくださいますか?」
背筋に氷水を浴びせられた気がして、ぎゅっとアリスの手を握る。
アリスティアの言葉に、僕は溢れ出しそうになる感情を抑えるために少しばかり眉間に力を入れ、目の前のアリスに微笑む。
「アリス、式の間だけなんて言わないでほしい。僕は君の手をずっと繋いでいるよ」
心の奥底から沸き上がる、自分に対する怒りを出すように小さく息を吐き出しながら、僕はアリスティアを見つめる。
「死が二人を分かつことがあっても、絶対にこの手は離さない」
「……ありがとう、ございます」
(違う、違うんだ……僕が、卑怯者で、君を苦しめているんだ……)
どこかで相反する気持ちが立ち上がるのに気が付かないまま、柔らかな微笑みを浮かべて安堵するアリスティアを抱き締めたい衝動を押さえつけ、僕は彼女が自ら僕への未来を踏み出せるための最後の一歩を早めるために動こうと静かに決意した。
最後の瞬間の事は、あれ以上でもあれ以下はでもない。
用意した断罪の場に現れたあの女に、僕は最後の審判たる断罪を叩きつけ、自分がヒロインだと信じで疑わなかった女は、この世の裏の支配者の妻となるためにこちらの世界での生を終えた。
今頃あちらの世界で、続編として出された魔界無双編のヒロインとして、人外の貴公子たち相手に同じことを繰り返しているだろうが、あっちは完全に大人の女性向けのゲームであるため知識はないし、正直そんなものに興味はない。
そして、一人の虚言癖のある公爵令嬢に『魅惑のチョコレート』という、少量であれば痛みを緩和する大切な医薬品だが、大量に飲めばその心を奪われ、いずれは身も心も壊れてしまう薬物の中毒にされた第一王子殿下と側近候補11名は、表向きは重大な流行病に罹ったとされ、療養目的で国外の病院に収監されらしいが、おおもとの事件が王命でなかったことにされたため、表立っては誰も、何も口にしなくなった。
彼らの婚約者たちは、王家によって新しい縁談が組まれたと言うし、第二王子殿下は無事立太子の儀を終え、忙しくしている。
側近にならないかと声をかけられたが、それはお互いのために丁寧にお断りした。
そして。
僕とアリスティアは、今日も穏やかな日々を過ごしている。
ヒロインが消えたあの日、ハートランド侯爵家に向かう馬車の中で、アリスティアはボロボロと涙を流しながら話してくれた。
この世界が乙女ゲームの中であること。
彼女は間違いなくヒロインであったこと。
自分は僕に婚約破棄されるモブ令嬢であったこと。
そしてゲームをプレイしていた自分の推しが僕であり、推しが幸せならそれでいいと、僕と婚約破棄するのを受け入れていたこと。
けれど、それが途中から苦しく思えたこと、それは、『推し』ではなく目の前にいる『僕』を愛してしまっていたからだと気が付いたこと。
それらを、たくさんの涙とたくさんの言葉で話してくれた。
その瞬間、僕は僕にかけた縛りから解放された。
僕は心の奥底から、今までの分も、精いっぱい彼女に愛を囁き、これからの将来を共にあり続けると誓い合い、抱きしめることが出来た。
ようやく思いを交わすことが出来、僕たちは本来にはない、新たなSSRハッピーエンドに向け、進んでいけると思った。
が。
僕は、自分がそうであることを話さなかった。
あの事件は、僕の心に小さな苦しみの種を落としていたのに気が付いたからだ。
断罪の時。
アリスはヒロインが最悪のSSRバッドエンドに向かわぬよう、必死に手を伸ばし彼女が暴走するのを止めようとし、僕に断罪の言葉を吐かないように乞うた。
その姿が僕の心に治らない小さな傷を作り、じわじわと苦しめた。
(僕以外のために必死になる姿を見たくはなかった)
可愛いアリス。
僕だけのために心を乱してほしかった。
あんな必死な表情を、他の人のためにしてほしくなかった。
君の心を揺さぶるのは、僕だけでいい。
ようやく君から愛の言葉を貰って、君に愛を囁くことが出来るようになったのに。
こんな苦しみは、必要ないのに。
この先、君が僕以外の誰かに心動かされる日々があるのではないかと、気が気ではなくなったのだ。
彼女の心は僕の物で、それは絶対にそうであって、決して変わらないと自信があったのに。
彼女の心は彼女の物で、決して僕だけのものではないことを思い知った。
あぁ、アリス。
僕のアリス。
結婚に向けた穏やかな日々を送っていると言うのに、僕の心はかき乱されて苦しい。
僕を見て。
僕を愛して。
僕だけを愛して。
焦燥感で体の奥が焼けるようで、そうすると、心の奥底からじわりじわりとあの手が近づいてくる気がした。
人ではなくなってしまうかもしれない。
焦りから、君の作ったもの、身につけた物、君のまなざしが増える秘密の部屋にいた。
けれど、チクチクと痛む傷は苦しい。
本当に欲しい、あの真に美しい若草色の輝きが、いつか僕からそれてしまう事が怖くて仕方がない。
神の前で永遠を誓い、互いの気持ちを確かめ合うように体をつなげ、抱きしめあって眠った。
それなのに、不安は消えてなくならなかった。
どうか、僕の、僕一人のアリスでいてほしい。
僕の愛に気付いてほしい。
僕以外の人間をその瞳に映してほしくない。
僕以外の人間のために、心を動かしてほしくない。
だから。
僕の気持ちに気付けば、君は優しいから、他に心を動かすことをやめ、僕の事を見てくれると思ったから。
扉を開けて、身を隠した。
さぁ、気付いてアリス。
僕の愛の重さに。
そして同じだけの愛を、安心を、僕に頂戴?
ゆっくりとその部屋に入り、僕の心の内を知り、青ざめ、震えるアリスをそっと抱き締めて。
僕は、永遠に続くであろう愛を吐露することで、君を僕に縛り付けることに成功した。
これが、僕たちのSSRハッピーエンド。
*****
関係者各位には―!
心よりお詫び申し上げます――――!!!
この話はいらなかった、蛇足だった、これのお陰で全部ぶち壊しなどの
苦情などは受け付けておりませんー!
茶苦茶気持ち悪く高速で捲し立てる感じですので
ここまでお読みいただきありがとうございます!
気合のもとになりますので、いいね、評価、ブックマーク等、していただけると作者は大変に嬉しいです! 張り切って踊ります!(このお話はこれ以上躍れませんが)
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