【完結】悪役令嬢だった僕は、蛮族の国で拳で人生を切り拓く(予定)

緑虫

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52 アーネス対ハル

 地響きのような歓声の中、真っ先にエンジが準決勝へと勝ち進んだ。

 エンジは余裕そうな笑みを浮かべて舞台下で応援していた僕の前まで来ると、スッと拳を突き出す。僕も拳を出すと、グータッチを交わした。

 僕の頭をグシャグシャに撫でてから「報告をしてくる、待っていろ」と爽やかに立ち去っていくエンジの後ろ姿は、これぞ漢。

 あー、盛り上がった背筋も堪らない。筋肉の間にある溝に指をツーッてやりたい!

 許されるものなら、エンジの出身を蔑んでいる王宮関係者に向かって「僕の恋人は、世界一格好いい漢なんだよ!」と大声で言ってやりたい。エンジが恥ずかしがるだろうから、やめておくけど。

 エンジは思ったよりも照れ屋なのに、時折物凄く大胆になるところが読めなくて――そんなエンジも最高だと思っているくらいには、僕はエンジに夢中になっている自覚はあった。

 祖国ヘルム王国を捨てると決めたあの時の咄嗟の判断は、後にゴウワン王国でエンジに出会う為のものだったと思ってしまうほどに。

 ハルさんは、そんなエンジが「ぶちのめせ」と僕に言ってきた相手だ。同じ挑戦者として舞台に上がったサキョウを対等に見ず軽くあしらってしまったことで、僕の中で彼の評価はだだ下がりになった。

 絶対勝ってやる。勝ってサキョウのやるせなさを払拭するんだ――。

「――よし!」

 気合いを入れるべく、パン! と頬を叩いた。

 次の試合の後は、僕とハルさんの番だ。試合の開始を告げる太鼓の音が響き歓声が上がる中、この場で柔軟体操を始める。身体の強張りを解していくと、徐々に闘志が満ち溢れてきた。

 双子の為にも、ベストを尽くさないとだ。

 昨日で敗退してしまった双子は、もうここには入れない。なので、今日は観客席から僕たちの試合を観てくれることになっていた。

 ミカゲさんやお祖父様といった国王経験者は受付を通ってこられるけど、同じく今日はいない。だから僕を守るようにして隣にいるのは、今はベニだけだ。ある意味最恐だけどね。

 ちなみになんで元国王チームもいないかというと。

 今朝闘技場に向かっていると、元老院メンバーのひとりに、今年から元老院入りしているミカゲさんが捕まっちゃったんだよね。

「ようやく見つけたぞ! まあ飽きもせずフラフラと! 明日の王者決定前夜祝賀会の準備でこっちはバタバタなんだよ! お前もちっとは手伝え!」

 と、老齢ながら筋肉隆々な元老院の屈強な男がミカゲさんを掴んで離さなくなってしまった。一瞬の隙に逃げようとしたら、背後から腕を回されて首を絞められる。

「グフ……ッ、分かった、分かったから……!」

 窒息しかけて顔が真っ赤になったミカゲさんが、腕をタップして負けを認めた。

「王宮に着いたら離してやるよ」
「くそう……!」

 悲しそうな目でこちらを見られても、どうしてあげられることもできない。エンジが軽く手を上げて「じゃ」とだけ言うと、ミカゲさんががっくりと項垂れた。

 すると、自分は関係ないとばかりにさっさと逃げようとしたお祖父様の襟首を、ミカゲさんが「エーリッヒ、逃げられると思うなよ」と掴んだ。

「わ、儂は今日はユリアーネちゃんの応援をっ!」
「うるせえ。俺だってエンジの応援がしたかったわ!」

 騒ぐ歴代王者を尻目にエンジは僕の頭をスポッと片手で掴むと、「さ、行こうか」と背中を向けてしまった。後ろから二人の物悲しい叫び声が聞こえて、暫く耳に残っていたよ……。

 という訳で、今日は舞台の近くで僕を応援してくれるのはエンジしかいない。ベニもいるけど。エンジに恥ずかしいところを見せないように、頑張らないとだ。

「イチ、ニ……!」

 少し身体が温まってきたところで、受付に勝利の報告をしてきたエンジが戻ってきた。

「軽く打ち合おうか」
「はい!」

 最初の頃はへなちょこ過ぎた僕の拳も、連日エンジに稽古を付けてもらったお陰でエンジ曰く「それなりに見られる」型になってきたらしい。

「いい動きだぞ、アーネス!」

 軽く足踏みしながら拳を突き出すと、エンジにするりと躱される。『力の腕輪』に魔力をガンガン注いでいてスピードがおかしなことになっているにも関わらず、だ。

「また読まれてますけどねっ!」

 エンジの強さの正体。勿論大前提として、鍛え上げられた肉体に日々欠かさない鍛錬の存在はある。だけどそこにエンジの優れた動体視力と実戦経験が積み上げられたことによる相手の動きを予測する能力が、エンジを最強の王者たらしめていた。

 どれもが、一朝一夕には得られないものだ。弛まぬ努力によってエンジは頂点に立っているんだ。――僕の恋人はやっぱり最高の漢だよ!

「そこは経験だ、経験」

 エンジが、男臭くも爽やかな笑みを浮かべる。キラリと光る白い歯に、今にもノックアウトされそうだ。

「ですよねー!?」

 打ち合いは続く。朝稽古の時、エンジが零したことがあった。「ハルは強い。だが、本気でこちらを殺そうとしてくる奴と戦ったことがないが故に弱い」と。

 僕はそれを聞いた時、何も返してあげることができなかった。

 スラム街で生きていた時分、エンジは常に死と背中合わせの状態で生きてきた。

 盗みを働くのは生きる為。ひとつ間違えば命を落とすこともあるくらい、スラム街での生活は厳しいものだった。実際、家族だと思っていた子どもも何人も殺された。大人たちの手によって。

 だからこそ、エンジは強い。本気で対処しなければ死ぬ。恐怖にも近い感覚が極限まで研ぎ澄まされた結果が、今に繋がっている。

 もしかしたら、僕が前世を思い出したのも似たようなものだったのかもしれない。死にたくないという思いは、人を強くするから。

「――ハッ!」
「……!」

 狙い澄ました一発が、エンジの脇腹を掠る。エンジがニヤリと笑った。

「いいじゃねえか。この調子で勝ち登ってこい。上で待ってるぞ」

 僕の頭をポンと撫でたエンジに、僕は満面の笑みを浮かべて頷いた。



 そしていよいよ、試合の開始を告げる太鼓が鳴る。

 地面を揺らすような歓声の中、ゆっくりと壇上に上がっていく。僕と対面側にある階段からはハルさんが上がってきていて、目が合うと微笑みながら会釈をされた。

 僕は笑わないまま、小さく会釈を返す。どんなにハルさんがいい人だろうと、サキョウは僕の大切な友人だ。友人の矜持を傷付けた人に笑いかけられるほど、僕の心は広くない。

 かつては相手がどんなに嫌な奴であろうがアルカイックスマイルを浮かべていた過去から考えると、僕も随分と感情に素直になったものだ。エンジの影響は、多分にある。

 そして僕は、それを誇らしく思うんだ。

「両者、構え!」

 審判が声を張り上げた。途端、しん、と静まり返る闘技場は、これぞ正に嵐の前の静けさだ。

 目の前のエンジの兄弟子であり、エンジの悩みを増長させてきた人を見据える。

 こうなる前に、きちんと腹を割って話し合えばよかったんだ。動かないまま悲しそうな顔をしたって、それはあまりにも勝手だよ。

「――はじめ!」

 審判の合図と共に、一気に前に飛び出す!

 予想通り、サキョウの時と同じようにハルさんが飛び出してきた。僕のヒョロガリな見た目で、僕のこともまともに相手にしないと見てたんだ。

 くそう! 嫌でも戦わせてやる!

 一瞬でハルさんの顎下に入り込むと、狙いを定めて右手の拳を突き上げた。

「!」

 ハルさんは仰け反って後ろに回転すると、地面に片手を突く。彼が構えを取る前に目前に迫ると、回し蹴りを一発。鼻先に掠めて鼻血がパッと飛び散った。

 ハルさんのしゃがんだままの回し蹴りが、ブオンッ! と風を切る。素早く後方へ跳躍して構えを取り直すと、立ち上がったハルさんも同じように構えを取った。

 ドワアアアッ! と言う歓声が降ってくる。とんでもない圧だ。

 大きな身体で軽やかにリズムを取りながら、ハルさんが僕にだけ聞こえるくらいの小声で言った。

「……貴方はどうやってあのエンジに取り入ったのですか」
「――はい?」

 エンジだけでなく僕も侮辱する言い方に、カチンとくる。あのエンジってどういうことだよ? エンジが頑なになったのは、変えようのない過去を掘り返して蔑む人に囲まれたからじゃないか。

 僕に関しては、まるでエンジを懐柔しようと近付いたかのような言い方。普通に失礼だろ。

「僕は取り入ってなんていないです」

 ギロリと睨むと、ハルさんが例の困ったような笑みを浮かべる。

「アーネスさん、私はエンジを心配しているのです」
「だとしても、試合中に聞くことじゃないですよ――ね!」

 再び前に飛び出し、一気に間合いに入った。拳を連続で打ち込んでいくと、躱しながら徐々に後退していくハルさんが、苦々しげな表情に変わっていく。

「まるで昔のエンジを見ているような動きですね……! 仕方ない」

 次の瞬間、ハルさんは僕の腕を取ると、なんと『力の腕輪』を鷲掴みにして一気に引っこ抜いたじゃないか!

 そのまま、腹に強烈な蹴りが飛んできた!

「ウッ!?」

 一瞬、何が起きたか分からなかった。衝撃に息が止まっている間に、僕の身体は宙を舞い、数秒後に地面に激しく激突する。そのまま何度か回転すると、ようやく動きが止まった。

「アーネス!」

 エンジの焦り声が、どこからか聞こえてくる。だけど、顔を上げられるだけの余裕はなかった。

 カランッと音を立てて、僕の横に投げられたであろう『力の腕輪』が転がってくるのをただ視界に収める。

「勝者、ハル!」

 審判の声が響き渡った。闘技場が大歓声に包まれる。

「ど、どうして……?」

『力の腕輪』に震える手を伸ばして引き寄せた。ブルブル震えながら、腕に装着し魔力を補填する。と、痛みは変わらないけれど、起き上がれるだけの力が湧いてきた。

 肘で身体を起こすと、読めない表情を浮かべたハルさんが僕をじっと見下ろしているのに気が付く。何故かゾッとしてしまい、ブルッと身体が震えた。

 ハルさんはふい、と背中を向けると、ハルさんが上がってきた方の階段から下りていく。

 どうして。

 どうしてこれの存在をハルさんが――?

「アーネス! 大丈夫か!」

 エンジとベニが飛んできても、僕は暫くハルさんがいた場所から目を逸らすことができずにいた。
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