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3 キリルの苦悩

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 苦しさしかない、毎日。

 だけどそんな日々も、魔窟に入ってからは変わった。

 さすがにエリザベータだって、休息場所である結界陣内でパーティーメンバーがぎゅうぎゅう詰めな中、キリルを堂々と襲えはしない。

 それを幸いにキリルはさりげなくルスランの横を陣取り、エリザベータから距離を置いて眠るようになった。ルスランの寝顔を見て思わず微笑むと、薄く目を開けたルスランが気付いて微笑み返してくれることもあった。

 初めて心に幸福感が満ちた瞬間だった。

 でも、これには誤算もあった。

 キリルがエリザベータを避けようとしているのは、誰の目から見ても明白だ。だったら自分がキリルの代わりにエリザベータの隣りにいけるんじゃ、と考えたに違いない。

 気が付けばルスランは、エリザベータの隣にいることが増えてしまった。

 悔しい――。そういう気持ちを覚えたのも、初めての経験だった。

 だけど、ルスランがエリザベータに引っ付いているお陰で、エリザベータが寄ってこないという利点はある。外面のいいエリザベータは、みんなの前では決して我儘を言わないし、負の感情も見せないからだ。

 相手に何かをしてもらいたい時は、自分の美しさと狡猾な話術を武器に、させたい方に持っていき、相手に言わせる。さも、相手がそう選択したかのように。誰もがエリザベータの手のひらの上で操られていた。

 だけど。

 残りがルスランとキリルとエリザベータの三人となって、その手が効かなくなった。

 エリザベータが、困ったように頬に手を当てる。

「この奥にまだ何かあるのかしら? まだこれと似たような物があったら危険だわ。確認した方がいいんじゃないかしら」

 魔界の門の後ろ方面には、黒々とした空間が続いている。魔界の門がこれひとつならば解決だけど、ひとつだけとは限らない。だから誰か行って見てきてくれ。暗にそう言っていた。

 だけど、ルスランがあっさり断る。

「今はもう俺たち三人しか残っていない。危険過ぎるから、今は撤退すべきだろう」

 エリザベータのこめかみがピクリと反応した。見慣れたキリルにしか分からないような、小さな動きだ。だからお前に見てこいって言ってんだよ! という心の声が聞こえた気がした。

 怯えたように、自分の二の腕を抱き寄せるエリザベータ。

「でも、撤退している時に背後から襲われたら……!」
「仮にまだ奥にあるとしても、これ以上は王国の討伐隊に任せた方が賢明だ」
「そんな……っ!」

 ルスランの正論に、エリザベータは泣き崩れたふりをした。大体みんな、エリザベータが困ると「自分がやろう」と手を挙げることを熟知しているから。

 だけどルスランは手は挙げず、代わりに「さあ、立とう」とエリザベータに手を貸し、立たせた。渋々重ねられたエリザベータの手をしっかり掴むルスランを見て、「やっぱりエリザベータが大事なんだ」と胸が痛くなる。

 でも、ひとりで勝手に傷付いている場合じゃない。エリザベータの狡猾な目つきは、ルスランに何かをやらせようと考えているのがありありと分かるからだ。

 キリルは必死で挽回策を考えた。とにかく、絶対ルスランをひとりで奥に向かわせちゃ駄目だ。そんなことをしたら、まずルスランの命はない。キリルの唯一の心の支えだったルスランが死んだら、きっともう二度と立ち上がれなくなる。

 そんなことになったら最後、エリザベータと二人きりになって、唯々諾々と従うだけの生きる屍に成り果てる未来しか見えなかった。

 死んでも御免だった。死ぬことすらエリザベータに妨害されている身だけど、もう身も心も理不尽に奪われたくない。

 だからキリルは、勇気を振り絞って発言した。

「エリザベータ、俺もルスランの意見に賛成だよ」
「……キリル? 何言ってんの」

 普段滅多に意見を述べないキリルが意見を述べたことで、エリザベータの醜い本当の顔が一瞬覗いた。分かるでしょ、ルスランをうまく使いたいのよ、と言外に言っている。

 だから、せいぜい喜びそうな言葉を選んだ。

「エリザベータが怪我したら、俺は嫌だよ……!」

 普段にないキリルの怯えた様子に、エリザベータの気持ちがぐらりと揺らいだように見えた。

 ルスランに死なれたくない。その為に潤んでいた涙が功を奏したのか、エリザベータは渋々だけど頷いた。

「……分かったわ、戻りましょう」
「ありがとう、エリザベータ!」

 精一杯感謝するふりをして、キリルは涙ぐんだ。

 そんな二人を見て、ルスランはよく読めない表情を浮かべながら指示を出す。

「……戻ろう。先頭は俺が行くから、キリルとエリザベータは後ろに」
「うん……!」

 自分とキリルへの危険が減る分には、エリザベータは文句は言わない。そうして元きた道を辿ると、やがて最初に武曽のセルゲイがやられた場所まで戻ってこられた。ここまで来たら、あと少しだ。

 日頃はほぼ笑わないキリルの顔にも、思わず笑みが溢れる。

「あとちょっとだね!」

 外に出ればまたエリザベータと過ごす地獄の日々が待っているけど、ルスランが生きている。だからそれだけでもいいと思えた。

 いつか、いつの日か、劣化したキリルに嫌気が差してエリザベータの執着が他の男に移ったら。その時にもしまだルスランがキリルの隣にいてくれているのなら――。

 夢物語のような淡い期待だ。でも、それだけでこの先何年も耐えていける気がした。

「キリル、まだ気を抜くなよ――」

 ルスランが振り返った、次の瞬間。ルスランの顔が、驚愕の表情に変わった。
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