宝珠の神子は優しい狼とスローライフを送りたい

緑虫

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37 怒り

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 コンコン、とドアが小さくノックされて、誰かが入ってきた。

「エリン、ヨウタ様のご様子は?」

 セドリックだった。窓の方に身体を傾けているから、ドアの方は見えない。見えないままでよかった。目が合って、話しかけられたくない。

 エリンが何か動作で答えたのか、セドリックの小さな溜息が聞こえてくる。決して大きな声じゃないけど、同じ室内でのヒソヒソ声は案外拾うことができた。

 セドリックとエリンの会話から、ここのところの天候の変化に不信感を覚えた帝都の住民が、少しずつ獣王城にやってきていることが分かる。

 へえ、でも来たところでどうしたいんだろうね。

「住民たちは何と?」
「神子様ご降臨後は天候に恵まれていたというのに、神子様を獣王城にお迎えした途端の大雨。更に獣王様とのご婚約を公示した日からこの天気だからな。獅子族が神子様に無体を強いたのではないかと訴える者が続々と訪れているらしい」
「実際にその通りじゃないですか!」
「しっ、エリン、神子様がお休み中だぞ」
「だってお兄様……! あんなにも表情豊かだったヨウタ様が抜け殻のようになってしまわれているんですよ! お可哀そうに、あんなにも想い合っている二人を引き裂くなど、悪魔の所業としか言えません!」
「エリン! それこそ誰が聞いているか、」
「お兄様はヨウタ様の味方だったのではないのですか!」

 さめざめと泣き出したエリンの声は、聞いていて胸がぎゅっとなるから嫌だった。

 やめろよ、もう俺のことはいいんだから。俺はこの先、ただ生きて獣王の子供を生むだけの道具。道具には感情は不要だよ。だからもう何も言わないで、憐れまないでほしい。もう何も聞きたくない、感じたくないんだ。

「それで……お前が気にしていた狼族の行方なのだが」

 ぴく、と俺の耳が反応した。行方? どういうこと?

「部下にも調べさせたのだが、あの後狼族の者を帝都内で見かけた者がいないんだ」
「宰相の手下が帝都の外に移送した可能性は?」
「それも一切形跡がない。せめて彼の無事をヨウタ様にご報告できればと思ったのだが、あの夜以降ぱったりと消息が分からないんだ」

 エリンの声が震える。

「まさか……ねえお兄様! 宰相にはお尋ねしたのですか!」
「ああ。のらりくらりと避けられていたので、さきほどようやく獣王様を捕まえて聞いていただいたんだが……」

 セドリックの声の暗さに、ぞくりと不吉な考えに襲われた。

「――セドリック、どういうこと?」

 むくりと起き上がって、セドリックに尋ねる。部屋の入口付近で俺に背中を向けながらひそひそ話をしていた二人が、ビクッと反応した。そろりと窺うように振り返る。

「ヨウタ様、起きていらっしゃったのですか」
「質問に答えてよ。なに? どういうこと? 宰相は約束だからグイードに手を出さないって言ってたんだけど」

 これまで無しかなかった心の奥に、怒りの炎が灯った。

 エリンが早く答えろとばかりに隣の兄の脇腹を肘で突く。セドリックは俺の方に歩いてくると、床に片膝を突いて背筋を伸ばした。

「ご報告申し上げます、ヨウタ様。私では埒が明かなかった為、獣王様に狼族グイードをどう対処したのかを尋ねていただきました。宰相ははじめへらへらとしまともに答えなかったのですが、獣王様が闇魔法をチラつかせると慌てて『儂は一切手を出していない、いつでも出ていけと言ってある』と答えたのです」
「は? 出ていけと言ってある? 一体どういう意味だよ」

 嫌な想像がどんどん膨らんでいく。出ていけと言ってるってことは、まだグイードは城の中にいるってことだよな? 儂は一切手を出してないって、『儂は』ってまさか――。

 自分の顔からどんどん血の気がなくなっていくのが分かった。セドリックが、憐れみを孕んだ眼差しで俺を見上げる。

「もしやと思い、急ぎ部下に城内を確認させております。確認が終わり次第私に報告が入ることになっておりますが――、」

 セドリックの言葉が終わらない内に、外からバタバタと騒々しい足音が響いてきた。ドアの向こうから、「騎士団長、いらっしゃいますか!」という切羽詰まった声が聞こえてくる。

 セドリックはパッと立ち上がると、ドアを開けて外へ出て行ってしまった。落ち着いて待ってるなんてことができなくて、急いで布団から出て靴を履く。

「ヨウタ様、こちらを」

 今にも泣き出しそうな目をしたエリンが、俺の肩に羽織りを掛けてくれた。お礼の代わりに小さく頷くと、エリンの頬をポロリと涙が伝う。――思えば、エリンには心配ばっかり掛けてるね。ごめん、本当に悪いと思ってる。

 急ぎ足でドアを開けると、セドリックの「なんだって!」という声が耳に飛び込んできた。ドアが内側から開かれたことに気付いた部下の人が、ギョッとして俺を見る。次いで、セドリックもすぐさま気付いて、俺を振り返った。

「ヨ、ヨウタ様……! 今のをお聞きに、」
「教えて。グイードはどうなってんの」

 セドリックをじっと見つめる。セドリックは迷っていたようだけど、唇をぐっと噛み締めた後、観念したように口を開いた。

「……城内を探索したところ、現在使われていない地下牢の鍵がこじ開けられているのが確認できたそうです。人数を集め乗り込んだところ、中にいた宰相の私兵と思わしき奴らと戦闘になったとのことです」
「それで? それでグイードはいたの?」

 どうしてセドリックが泣きそうな顔になってるんだよ。そんな顔をしたら、最悪な想像をするからやめてよ。

 セドリックが深く頷いた。

「宰相の私兵は全員捕らえましたが、中に入ると……確かに扉は開かれた状態でしたが、狼族の者は手足を折られ、とても歩ける状態では……」
「――は? なに冗談言ってんの?」

 怒りで全身が震えてくる。宰相自身は手を出してないからオッケー? いつでも出て行っていいって、手足を折っておいて言った訳?

「ヨウタ様……」

 セドリックが申し訳なさそうに目を伏せた。

「意識が混濁しているのか、狼族の者の錯乱が酷く、寄越した医師も近寄れない状態だそうで……このままでは……」
「セドリック」
「はい!」

 セドリックが姿勢を正す。

「俺をグイードの所に連れて行って。俺が話すから。それと」

 怒りで無表情になっている自覚と共に、セドリックに命じた。

「宰相は約束を破った。一国の宰相としてあるまじき行為だと思う」
「――仰る通りです」
「俺を案内した後、何が何でも宰相を捕まえて」

 セドリックは驚いた顔をしたけど、すぐに表情を引き締めると敬礼する。

「はい、必ずや!」
「じゃあ案内よろしく」

 俺の言葉にセドリックは大きく頷くと、足早に俺をグイードの元へと連れて行ってくれたのだった。
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