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56 ファトマ
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ワドナンさんが、見張りをしている三人に近付いていく。
三人は中での騒動を知っているのか、ワドナンさんを見て驚いた様子だった。だけど、ワドナンさんに武器を向けていいものか考えあぐねているのか。じりじりとワドナンさんを囲もうとしているけど、槍の先端を向けたり弓を構えたりはしていない。
ワドナンさんが、入り口から村の中の方へと後退していく。見張りの三人の注意は完全にワドナンさんに向けられていて、外壁と彼らの間にうまい具合に空間が作られ始めていた。さすがはワドナンさんだ。
僕を抱きかかえたユグが、慎重に近付いていく。
ワドナンさんが、手に持った心張り棒をくるくると回し始めた。内容までは聞こえないけど、見張りの三人に向かって何かを言っている。挑発的なことを言われたのか、三人が殺気立ち、各々武器を構えた。
ワドナンさんの視界の端には僕らが映っていることだろう。だけど彼は一度も僕らの方を見ようとはしなかった。本当にもうこの人は凄いとしかいいようがない。
ザッ、とワドナンさんが構えを取る。
そして、腹からの大声を出した。
「――いくぞ!」
ワドナンさんが軽快な足取りで三人に向かって駆け出す。彼らは応戦することにしたらしく、ワドナンさんを囲ってしまった。
「過去の族長候補風情が! お前ら、やるぞ!」
「おおっ!」
「お前らに負けるほど朦朧しておらんわっ!」
「何をーっ!」
ワドナンさんは押されている風を装いながら、どんどん彼らを入り口から引き離していく。
僕はユグに短く伝えた。
「ユグ、今だ!」
「うん!」
少し興奮した様子で、ユグが目の端にワドナンさんを捉え続けながら一気に駆け出す。囁き声で、教えてくれた。
「父さまは、強い。族長には強さも必要だから、父さまは大丈夫」
「――うん!」
わああっ! という怒声と、武器が打ち合わさる音が篝火の向こうで響く中、僕らは作戦通り入り口を通り抜ける。
「出られた!」
嬉しくなって、思わず言ってしまった。
ユグは立ち止まると、村を振り返る。後ろ髪を引かれている様子に、どう言ったらいいのか分からなくなった。
でも、ユグは自分で心の整理を付けたみたいだ。
「父さまは……大丈夫!」
僕に見せた笑顔は、明るいものだった。
「うん、僕たちは僕たちのやるべきことをしないとね!」
ワドナンさんを置いてきてしまったことに不安が残らないかと言うと、嘘になる。だけどユグが信じてようとしているんだから、僕も信じて先に進まないとだ。
この先ユグを導くのは、古代語を解読した僕の役割なんだから。
「じゃあ、お家に戻ろうか!」
「うん!」
村に背を向けた、その時だった。
「――ッ!」
ブオンッ! と何かが風を切る音がして、ユグが大きく飛び退る。すぐ横に、カランカランと木の枝か何かが落ちた音が聞こえた。
「えっ!? なに!?」
篝火に目が慣れてしまって、僕の目には真っ暗闇しか映っていない。でもユグは前方を睨みつけているから、きっとユグの目には何かが見えているんだろう。
「……まさか……」
小さな疑問の声が、ユグの唇から漏れた。何度か目を瞬いている内に、段々と僕の目が暗闇に慣れてくる。祭壇に続く道からこちらに向かってきているのは、大きな影と小さな影。
大きい方の影が、訝しげな声を発した。
「人間族代表と……お前は誰だ? 見たところ守り人の外見をしているが」
すると、月を覆い隠していた噴火の赤を未だ反射している雲が晴れ――僕にも彼らの姿をはっきり捉えることができる。
ファトマさんとシュバクくんだった。何故こんな所に?
僕の疑問が顔に出ていたんだろう。ファトマさんが飄々とした様子で喋り始めた。
「何故俺がここにいるのかという顔だな。あの場はローニャに任せて我々は明日の下見に出ていたのだが……人間族代表よ、一体どうやって外に出られた? その男が出したのか?」
ど、どうしよう! 返事をしたらいいのかも分からないよ!
でも、ひとつ分かっているのは、ファトマさんに余計なことを詮索される前にこの場を立ち去るべきだろうなってことだ。
「ユ、ユグ……ッ、逃げよう!」
「う、うん」
十年ぶりに会ったからか、ファトマさんは不思議そうにユグをジロジロと見てはいるけど、自分の弟だとはまだ気付いていないようだ。
「じゃ、じゃあ、僕たち急ぎますんで」
何となく何も言わないまま去るのもなあと思ってつい言うと、ファトマさんが「ハッ」と馬鹿にしたように小さく笑った。
「幼く間抜けそうだとは思っていたが、そこまで間抜けだとはな」
幼く見えるのは、彼らからしてみたらそうかもしれないけど! 間抜けはいくらなんでも酷すぎないか!
思わずムッとしてしまったけど、このままこの人を相手にしていたら時間がどんどん過ぎて行ってしまう。
「……ユグ、行こう」
「うん、そうだね」
ユグがじりじりと後退っていった。すると、ファトマさんが突然深く屈み、地面を蹴って一気に僕たちに駆け寄る!
「行かすか!」
数瞬前まで僕らがいた場所を、ブウンッ! と何かが切り裂いていった。ぎょっとして目を凝らして見る。太い槍のようだけど、上半分の側面が金属製の刃物なのか、ギラギラと月明かりを反射していた。なんていうものを振り回してるんだよ!
「なっ、何するんですか! 怪我をしたら危ないでしょう!」
「なに、人間族のひとりやふたり、事故で命を落としたとでも言えば済む」
「な……っ! 僕の命はそんなに軽くないですよ!」
「キャンキャンと小うるさい犬だな」
ファトマさんが耳の穴をかっぽじった。うっわー! やっぱりこいつ、あんにゃろーだ! ムカつく!
後退していくユグを、何かを思い出すような目つきで凝視するファトマさん。
と、彼の目が大きく見開かれた。
「お前……まさか『贄』か?」
ファトマさんの言葉にユグがビクリと反応する。何故か、ファトマさんの後ろにいる怯えた表情のシュバクくんも。
「はは、正解か。なるほどなるほど、やはりお前は『贄』に成り切らずにのうのうと生きてきた訳か」
にやりと笑うファトマさんの言い方があまりにもあんまりで、戸惑いを隠せていないユグの代わりに言い返した。
「弟が生きていたっていうのに言うことはそれですか!? あんたには血も涙もないんですか!?」
僕の怒鳴り声に、ファトマさんがスッと笑顔をしまう。
「人間族代表よ。我々がお前達を呼んだのは、世界樹の声を聞こえるようにする方法を探ってもらう為だ。俺たち守り人の生き方に口出しをさせる為ではない」
「だから! 僕はその方法を……」
あ、しまった。慌てて口をパッと押さえると、ファトマさんが訝しげに僕を睨んだ。
「そういえば、先程東屋でも何かを言いかけていたな。もしや本当に謎を解いたのか?」
「……っ」
ファトマさんが、一歩近付く。武器を構えたまま。
「その反応は、何かを知っているのだな。だとすれば、今ここで殺すのは惜しい」
そして。
「――連れ帰り、吐くまで拷問してやろう。それに、小さくはあるが若くて生きがよさそうだ。赤子の苗床にいいかもしれん」
「……はあっ!?」
ファトマさんは勝手に頷いている。こ、この人、ヤバい! 色々ヤバい!
ゾッとしてしまい、ユグに抱きつく腕に更に力を込めた。
「アーウィンはオレのものだ! 兄さまにはあげない!」
ユグの言葉を聞こえないとばかりに無視するファトマさん。
「他種族が孕むかは実験するしかないが、ローニャは次の子を作ることに乗り気でないから丁度よかった。世界が元に戻ったら、俺の子を孕ませてみよう」
「な、な、な……っ」
直後。
歯を剥き出しの恐ろしくも楽しそうな笑顔になったファトマさんが、僕らに襲いかかる!
拙い! ユグは僕のせいで両手が埋まっているから、戦えない!
「ユグ、逃げ……っ!」
ユグにしがみつくことしかできない僕の言葉の最中に、ガキィン! という金属同士が当たった音が響いた。――え?
顔を上げてファトマさんの方を見ると、僕らとファトマさんの間に勇ましく立っていたのは。
「ファトマよ。お前はニ度も俺の息子を殺すつもりか――ッ!?」
見張りから奪ったと思われる槍を構えたワドナンさんが、いた。
三人は中での騒動を知っているのか、ワドナンさんを見て驚いた様子だった。だけど、ワドナンさんに武器を向けていいものか考えあぐねているのか。じりじりとワドナンさんを囲もうとしているけど、槍の先端を向けたり弓を構えたりはしていない。
ワドナンさんが、入り口から村の中の方へと後退していく。見張りの三人の注意は完全にワドナンさんに向けられていて、外壁と彼らの間にうまい具合に空間が作られ始めていた。さすがはワドナンさんだ。
僕を抱きかかえたユグが、慎重に近付いていく。
ワドナンさんが、手に持った心張り棒をくるくると回し始めた。内容までは聞こえないけど、見張りの三人に向かって何かを言っている。挑発的なことを言われたのか、三人が殺気立ち、各々武器を構えた。
ワドナンさんの視界の端には僕らが映っていることだろう。だけど彼は一度も僕らの方を見ようとはしなかった。本当にもうこの人は凄いとしかいいようがない。
ザッ、とワドナンさんが構えを取る。
そして、腹からの大声を出した。
「――いくぞ!」
ワドナンさんが軽快な足取りで三人に向かって駆け出す。彼らは応戦することにしたらしく、ワドナンさんを囲ってしまった。
「過去の族長候補風情が! お前ら、やるぞ!」
「おおっ!」
「お前らに負けるほど朦朧しておらんわっ!」
「何をーっ!」
ワドナンさんは押されている風を装いながら、どんどん彼らを入り口から引き離していく。
僕はユグに短く伝えた。
「ユグ、今だ!」
「うん!」
少し興奮した様子で、ユグが目の端にワドナンさんを捉え続けながら一気に駆け出す。囁き声で、教えてくれた。
「父さまは、強い。族長には強さも必要だから、父さまは大丈夫」
「――うん!」
わああっ! という怒声と、武器が打ち合わさる音が篝火の向こうで響く中、僕らは作戦通り入り口を通り抜ける。
「出られた!」
嬉しくなって、思わず言ってしまった。
ユグは立ち止まると、村を振り返る。後ろ髪を引かれている様子に、どう言ったらいいのか分からなくなった。
でも、ユグは自分で心の整理を付けたみたいだ。
「父さまは……大丈夫!」
僕に見せた笑顔は、明るいものだった。
「うん、僕たちは僕たちのやるべきことをしないとね!」
ワドナンさんを置いてきてしまったことに不安が残らないかと言うと、嘘になる。だけどユグが信じてようとしているんだから、僕も信じて先に進まないとだ。
この先ユグを導くのは、古代語を解読した僕の役割なんだから。
「じゃあ、お家に戻ろうか!」
「うん!」
村に背を向けた、その時だった。
「――ッ!」
ブオンッ! と何かが風を切る音がして、ユグが大きく飛び退る。すぐ横に、カランカランと木の枝か何かが落ちた音が聞こえた。
「えっ!? なに!?」
篝火に目が慣れてしまって、僕の目には真っ暗闇しか映っていない。でもユグは前方を睨みつけているから、きっとユグの目には何かが見えているんだろう。
「……まさか……」
小さな疑問の声が、ユグの唇から漏れた。何度か目を瞬いている内に、段々と僕の目が暗闇に慣れてくる。祭壇に続く道からこちらに向かってきているのは、大きな影と小さな影。
大きい方の影が、訝しげな声を発した。
「人間族代表と……お前は誰だ? 見たところ守り人の外見をしているが」
すると、月を覆い隠していた噴火の赤を未だ反射している雲が晴れ――僕にも彼らの姿をはっきり捉えることができる。
ファトマさんとシュバクくんだった。何故こんな所に?
僕の疑問が顔に出ていたんだろう。ファトマさんが飄々とした様子で喋り始めた。
「何故俺がここにいるのかという顔だな。あの場はローニャに任せて我々は明日の下見に出ていたのだが……人間族代表よ、一体どうやって外に出られた? その男が出したのか?」
ど、どうしよう! 返事をしたらいいのかも分からないよ!
でも、ひとつ分かっているのは、ファトマさんに余計なことを詮索される前にこの場を立ち去るべきだろうなってことだ。
「ユ、ユグ……ッ、逃げよう!」
「う、うん」
十年ぶりに会ったからか、ファトマさんは不思議そうにユグをジロジロと見てはいるけど、自分の弟だとはまだ気付いていないようだ。
「じゃ、じゃあ、僕たち急ぎますんで」
何となく何も言わないまま去るのもなあと思ってつい言うと、ファトマさんが「ハッ」と馬鹿にしたように小さく笑った。
「幼く間抜けそうだとは思っていたが、そこまで間抜けだとはな」
幼く見えるのは、彼らからしてみたらそうかもしれないけど! 間抜けはいくらなんでも酷すぎないか!
思わずムッとしてしまったけど、このままこの人を相手にしていたら時間がどんどん過ぎて行ってしまう。
「……ユグ、行こう」
「うん、そうだね」
ユグがじりじりと後退っていった。すると、ファトマさんが突然深く屈み、地面を蹴って一気に僕たちに駆け寄る!
「行かすか!」
数瞬前まで僕らがいた場所を、ブウンッ! と何かが切り裂いていった。ぎょっとして目を凝らして見る。太い槍のようだけど、上半分の側面が金属製の刃物なのか、ギラギラと月明かりを反射していた。なんていうものを振り回してるんだよ!
「なっ、何するんですか! 怪我をしたら危ないでしょう!」
「なに、人間族のひとりやふたり、事故で命を落としたとでも言えば済む」
「な……っ! 僕の命はそんなに軽くないですよ!」
「キャンキャンと小うるさい犬だな」
ファトマさんが耳の穴をかっぽじった。うっわー! やっぱりこいつ、あんにゃろーだ! ムカつく!
後退していくユグを、何かを思い出すような目つきで凝視するファトマさん。
と、彼の目が大きく見開かれた。
「お前……まさか『贄』か?」
ファトマさんの言葉にユグがビクリと反応する。何故か、ファトマさんの後ろにいる怯えた表情のシュバクくんも。
「はは、正解か。なるほどなるほど、やはりお前は『贄』に成り切らずにのうのうと生きてきた訳か」
にやりと笑うファトマさんの言い方があまりにもあんまりで、戸惑いを隠せていないユグの代わりに言い返した。
「弟が生きていたっていうのに言うことはそれですか!? あんたには血も涙もないんですか!?」
僕の怒鳴り声に、ファトマさんがスッと笑顔をしまう。
「人間族代表よ。我々がお前達を呼んだのは、世界樹の声を聞こえるようにする方法を探ってもらう為だ。俺たち守り人の生き方に口出しをさせる為ではない」
「だから! 僕はその方法を……」
あ、しまった。慌てて口をパッと押さえると、ファトマさんが訝しげに僕を睨んだ。
「そういえば、先程東屋でも何かを言いかけていたな。もしや本当に謎を解いたのか?」
「……っ」
ファトマさんが、一歩近付く。武器を構えたまま。
「その反応は、何かを知っているのだな。だとすれば、今ここで殺すのは惜しい」
そして。
「――連れ帰り、吐くまで拷問してやろう。それに、小さくはあるが若くて生きがよさそうだ。赤子の苗床にいいかもしれん」
「……はあっ!?」
ファトマさんは勝手に頷いている。こ、この人、ヤバい! 色々ヤバい!
ゾッとしてしまい、ユグに抱きつく腕に更に力を込めた。
「アーウィンはオレのものだ! 兄さまにはあげない!」
ユグの言葉を聞こえないとばかりに無視するファトマさん。
「他種族が孕むかは実験するしかないが、ローニャは次の子を作ることに乗り気でないから丁度よかった。世界が元に戻ったら、俺の子を孕ませてみよう」
「な、な、な……っ」
直後。
歯を剥き出しの恐ろしくも楽しそうな笑顔になったファトマさんが、僕らに襲いかかる!
拙い! ユグは僕のせいで両手が埋まっているから、戦えない!
「ユグ、逃げ……っ!」
ユグにしがみつくことしかできない僕の言葉の最中に、ガキィン! という金属同士が当たった音が響いた。――え?
顔を上げてファトマさんの方を見ると、僕らとファトマさんの間に勇ましく立っていたのは。
「ファトマよ。お前はニ度も俺の息子を殺すつもりか――ッ!?」
見張りから奪ったと思われる槍を構えたワドナンさんが、いた。
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