世界樹の贄の愛が重すぎる

緑虫

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46 『贄』

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 父親であるファトマさんに腕を掴まれて、シュバクくんが怯えた目をする。

 同じく反対の手で二の腕を掴まれているローニャさんの瞳は、濡れているように見えた。

 東屋の中心に立っている中で唯一笑顔なのは、ファトマさんただひとり。異様な光景だった。

 ファトマさんが、ぐるりと周囲を見渡す。

「先程村に戻ってきた者たちの報告によると、人間族の国にある最大の湖がいよいよ枯渇するそうだ。また、小人族の国は主要河川が氾濫し、現在も復旧作業中だが状況は芳しくないという」

 先程ワドナンさんも言っていたけど、地上の国々はそんな状態に陥っていたのか。研究に明け暮れていた僕らは、世界の情勢にそこまで注意を払っていなかったから知らなかっただけなんだろうか。

 そう考えた後、すぐに思い直した。いや、こんな大きなことが、人々の噂に上らないことがそもそもおかしい。

 目敏い師匠なら、世界樹に関わる情報なら入手していて当然だ。なのでもしかしたら、王族の人たちがわざと情報を遮断していた可能性はある。

 混乱に陥って暴動でも起きたら、彼らだけでは抑えようがないだろうから。

 ファトマさんは、まるで自分が族長であるかのように胸を張って演説を続ける。隣にいるローニャさんの表情は浮かなくて、これじゃどっちが新族長なんだか分かりゃしない。まあ、ファトマさんの言ったことがあくまで本当ならば、だけど。

 僕はこの目でワドナンさんが長老の虚から出てくるところを見た。暗がりに隠れて話はしたけど、あの僅かな時間で長老からローニャさんに族長の地位を明け渡すなんていう重要な話が為されたとは、とてもじゃないけど思えない。

「だがしかし! ローニャが聞こえる世界樹の声も、かつて長老が聞いたものほどは明瞭でない!」

 ざわざわと守り人たちが騒ぎ始める。

「ローニャは本当に聞こえているのか!?」
「何故ここまで世界が滅亡に向かっているのかを説明しろ!」

 なんていう否定的な声もあれば、

「ローニャを長と認定し、体制を立て直すんだ!」
「今こそ若返りを! 守り人の復権を!」

 なんていう肯定的な声も聞こえてきた。
 
 これらの声を、あのギロリというひと睨みでワドナンさんたちはまとめ上げていたんだ。ワドナンさんの技量に拍手を送りたくなったのと同時に、族長でもないファトマさんがこの場を仕切っていることに、言いようのない違和感を覚える。

 この状況は、明らかにいびつだ。なのに何故、ファトマさんはこんなにも自信に満ちた態度を崩さないんだろう。

 ファトマさんが、ローニャさんとの間にもうけた子供、シュバクくんを見下ろす。

 そして、明らかに作り笑いと分かる胡散臭い笑みを満面にたたえた。

「皆の者! 各々の主張があることは我々も重々承知している!」

 ファトマさんの言葉に、周りと囲む守り人たちがワアワアと好き勝手に喋り始める。あまりにも騒々しすぎて、誰が何を主張しているのか聞き取れない。

 と、ファトマさんがローニャさんを掴む手を離し、スッと上げた。

 堂々たる佇まいに、ざわついていた守り人たちが徐々に黙り始める。

 笑みを浮かべたまま静まるのをじっと待っていたファトマさんが、シュバクくんを突然肩に抱き上げた。

「十年前に『贄』に捧げられた我が弟は、情けないことにその役割を果たさなかった!」
「ファトマ、お前なんということを! 実の弟だぞ!」

 後手に掴まれて身動きが取れないワドナンさんが、怒りを露わにしてファトマさんに向かって怒鳴る。

 だけど、ファトマさんはちらりとワドナンさんを見ただけで、相手にしなかった。

「その為、次期族長と定められながらも一向に世界樹の声を聞けぬここにいる我が父ワドナンは、資格がないにも関わらず権利を振りかざし、革新的な一派を古臭い掟を盾に押さえ込んた!」

 ファトマさんの言葉に、賛同と取れる雄叫びと批判と取れる怒鳴り声が響き渡る。

「その間、十年だ! 古くから伝わる口承のみを盲信し、地上を、いや守り人一族をすら滅びの道へと導かんとしたのだ!」
「ファトマ! 待て、お前の解釈は間違っている!」
「黙れ!」

 ファトマさんは怒鳴ると、クイッと顎を上げてワドナンさんを捕まえている男たちに指示を出した。

「何をする! ムガッ!」

 ワドナンさんの口に、猿ぐつわがはめられる。

「ワドナンさん!」

 拙い状況だ! とワドナンさんを掴んでいる男たちに飛びかかったけど、あっさりと腕を掴まれ、ワドナンさんの横に膝を突かされてしまった。

 ど、どうしよう! そうだ、ヨルトとドルグなら――と思ったけど、やっぱり二人の姿は見えないままだ。ああ、もう! いつもなら寄ってほしくなくてもどこからともなく飛んでくるのに!

 それにしても、この騒ぎの中で気付かないというのもおかしな話だ。まさか――、と一抹の不安を覚えながらも、懸命に身体を捩って抵抗し続ける。くそー! やっぱりこいつはあんにゃろーな奴だった!

 僕を見たファトマさんが、おかしそうに目を細める。

「人間代表は父ワドナンの古い考えに毒されたか? 新しい風になるかと思ったが、とんだ期待外れだったな」
「な……っ! 今すぐこんな馬鹿なことは止めるんだ!」

 できうる限りの大声で訴えても、ファトマさんは哀れみを込めた嘲笑の眼差しで見下ろすだけだ。

 ファトマさんに抱き抱えられたシュバクくん。

 不安そうな怯えの表情を浮かべているローニャさん。

 ここまでくれば、僕にはファトマさんが何を企んでいるのか分かってしまった。

「ファトマさん! 貴方がしようとしていることは、無駄な命の浪費なんだ!」

 ファトマさんが、うるさそうに僕を睨む。

「何も知らぬ人間族が、何を偉そうに。――黙らせろ」
「は!」

 ファトマさんのひと声で、僕を捕まえていた若めの守り人が僕にも猿ぐつわをはめてきた。

「やめろ! 話を聞くんだ! 僕は世界樹の声の謎を解め――んんんっ!」

 おえっ! 口の中に入ってきた縄が、嗚咽感をもたらす。

 今にも泣きそうなシュバクくんと、目が合った。

 その表情が、ユグの寂しそうな表情と重なる。

「んんんん! んんんーっ!」

 やめろ、言うな。そう怒鳴ったつもりだったけど、僕の声は届けられることはなく。

「明日、日の出と共に、十年ぶりの『贄』の儀を執り行う!」

 やめて。その言葉は、シュバクくんの心も、ローニャさんの信頼も全てを壊すものだから――!

 だけど、ファトマさんは艶やかな笑みを浮かべたまま、言ってしまった。

「名誉ある『贄』の役は、我が息子シュバクが務める!」

 直後、シュバクくんの顔から表情が消える。

 まるであの日、僕に恩返しする為に自分の命を捧げると伝えた時のユグの眼差しのように、生きることを諦めた者特有の諦観漂う瞳があった。――ああ。

「シュバクよ。大任だぞ。しっかりと努めよ」

 笑顔で頭を撫でるファトマさんを仰ぎ見たシュバクくんは。

「……はい、父さま」

 静かな声で答えた。
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