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43 守り人の制限
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嗚咽を漏らすワドナンさんが落ち着くのを待った。
暫くして涙を拭ったワドナンさんが、憑物が落ちたようなスッキリとした顔を僕に向ける。
「……お前の言葉を信じよう」
「ワドナンさん!」
嬉しくなって、勝手に笑みが溢れてきた。やった、ワドナンさんが信じてくれたなら、百人力だ!
「だが」
急に重々しい雰囲気に変わると、声を潜めて続ける。
「長老は『贄』制度について快く思ってはいなかった。だからあの子以降『贄』は捧げられていなかったが、長老の孫であるローニャを担ぐ奴らは、長老の抑制がなくなったら何をし始めるか分からないぞ。手を打つなら早く動かないと拙いことになる」
なんと、長老はどちらかというとワドナンさん寄りだったのか。意外だった。
僕の考えが顔に出てしまっていたのか、ワドナンさんがこれまでに見せたことのないくしゃりとした笑顔を見せる。
「お前が長老のことをどう思っていたかは知らんがな、そこまで悪い方ではない」
「そうだったんですか……それは失礼しました」
「……俺がいつまでも声を聞けないことで、暫くしてあの子が『贄』として失敗したのでは、と指摘された」
「えっ」
はは、とワドナンさんが笑い声を上げた。
「俺はその時、頭を下げて頼み込んだ。あの子の死が確認できるまで、次の対応を待ってほしいと。あの子が生きてきた全てを、失敗のひと言で無駄にしないでほしいと」
……長老は、どこまで気付いていたんだろう。是非とも聞いてみたかったけど、体調が思わしくない現在、そもそももう一度きちんと会話を交わせるかも微妙だ。
ワドナンさんが続ける。
「実際、他に『贄』にできそうな年齢の子供はいなかったからな。疑われつつも、暫くは待ってくれることになった。元があの傷だ。しかも子供ひとりで、この森の中で暮らすのは厳しいものがある。いずれは死に、さすれば自然と声が聞こえるようになるだろうとな」
即死ではなくとも、怪我を負った小さな子供がひとりで生きていけるとは通常考えられない。長老は世界の為にユグの死を望み、ワドナンさんは親の愛ゆえにユグの生を望んだのだ。
ワドナンさんは、どれほど声が聞こえないままなことを望んだんだろう。待つしかない彼が抱えていた焦燥感は、生半なものではなかった筈だ。
「守り人の中では、やっぱり『贄』の命が声を聞くのには必要だという認識だったってこと、ですよね?」
「ああ、そうだな。これまで我々はずっとそうしてきたしな」
となると、やはり現在の守り人に正しい情報は伝わってなかったんだ。世界樹が肥大することにより起きた情報の断絶は、不必要な命を求め続ける結果になった。
ワドナンさんが、眉間に皺を寄せる。
「だが、半年が経ち、一年が経ち、そして二年が経ち。長老は『贄』が正確に捧げられなかったのだと判断を下した」
「そうだったんですか……」
「俺だけでなく、声が聞こえるようになる筈の血縁のファトマも一向に声が聞こえないからな。あの子の生死を確認するにも、そもそも聖域に深く踏み入ることを禁じていた為、守り人の中で対立が起きた」
『贄』を捧げてから二年後ということは、子供の守り人が地上に現れて僕たち研究者が大騒ぎをした時期だ。僕たち研究者がはしゃいでいる間、守り人一族は大きな問題の最中にいたのだ。
そして気付く。ワドナンさんが語る中に、僕の推測と合致するものがあることを。『声が聞こえるようになる筈の血縁のファトマ』。台座に書かれていた古代語の僕の解釈が合っていた証拠だ。
ワドナンさんは淡々と続ける。
「聖域を犯すべからずという伝統を重んじる者もいれば、もっと聖域の理解を深め、且つ地上と接点をという新しい考えを積極的に推す者もいる。俺や長老がどちらかに肩入れすれば、村の均衡が崩れる恐れがある。そもそも我々守り人は地上に過剰に接触してはならない存在だから、俺は現状維持の立場を取った。あの子を探されたくない俺にとっては好都合だったからな」
「長老もですか?」
「ああ。最初はそうだった。それでもその頃から少しずつ、聖域の奥深くへと入っていく者が現れ始めた。長老の孫であるローニャは積極派でな。あやつをかわいがっていた長老は、強く反対できなかった。だから俺は……あの子が見つからないことを祈るしかなかった」
ワドナンさんが保守派側に寄った理由は、全てユグの為だったんだ。このことを、早くユグに伝えてあげたくなった。
「あの……、過剰に接触してはいけない存在、と言うと?」
「守り人は世界樹の声を聞くことができる。世界樹の声を反映させるべく伝令になるのが我々一族に課された責任だ」
聞いているという意味で、僕は無言のまま首を縦に振る。
「だが、守り人は世界樹という上位の存在の声を聞ける特権を持つが故に、地上の生き物よりも上位の存在であると驕りやすい」
「あ、僕も守り人はそう思ってるから偉そうだなって思ってました」
「全く……」
呆れたようにワドナンさんに見られてしまい、苦笑で返した。
「……その為、我々守り人には制限が課されている。実際にそれを試した者は命が惜しいのでいないがな」
「制限? そんなものがあるんですか?」
真面目な顔で頷くワドナンさん。
「それを神の定めた理と納得すればいいのだがな。馬鹿なことに、守り人の長い歴史の中で、地上の覇者たらんとした者は何度か現れたそうだ」
「覇者……」
思わず呟いた。そんなことをして何が楽しいんだろう? というのが僕の率直な意見だった。でも、世の中の人は権力が好きで仕方ない人も沢山いるらしいから、そういう人の目には地上の覇者という立場は魅力的に見えるのかもしれない。
「地上の覇者になることは、明確な越権行為にあたる。理を無視して世界を統べようとすれば、世界樹は枯れ地上は滅びの道を進む」
こくり、と僕は頷いた。ユグがスラスラと口にした守り人に伝わる言葉にもあった内容だ。
「ユグから聞きました。『天界からの使者、地上を三国に定める。均衡を破る者いれば、世界樹を枯らし種を滅ぼすと設定す』というものですよね?」
「そうだ。最大の戒めとして、これは全ての守り人に子供の頃から叩き込まれる」
元は石盤があったそうだけど、その石盤も存在が確認されなくなって久しいそうだ。危機感を覚えた当時の守り人が、絶対に守らなければならないものだと口伝に切り替えたのかもしれない。
「だが、天界より定められし規則が適用されるのは地上の生き物に対してだけじゃないか、と考える者も現れた。守り人は特別な存在だから規則の対象に含まれないのでは、ということだな」
「実際はどうなんですか?」
「さあな。どこにも確証はないが、世界を破滅に導く可能性のある行動を看過はできない」
だからそいつらは皆粛清された、と淡々と告げるワグナンさん。粛清って……そういうことだよね。う……っ。
ワドナンさんが、鼻でフンと笑う。
「そもそも守り人には制限が課せられているのだ。たとえ世界の覇者となったとして、いっときの栄華に過ぎん」
「え? それはどういう――」
僕がワドナンさんに更に尋ねようとした、その時。
ゴゴゴゴゴ……ッという地響きが聞こえた直後、地面が大きく揺れ始めた。
暫くして涙を拭ったワドナンさんが、憑物が落ちたようなスッキリとした顔を僕に向ける。
「……お前の言葉を信じよう」
「ワドナンさん!」
嬉しくなって、勝手に笑みが溢れてきた。やった、ワドナンさんが信じてくれたなら、百人力だ!
「だが」
急に重々しい雰囲気に変わると、声を潜めて続ける。
「長老は『贄』制度について快く思ってはいなかった。だからあの子以降『贄』は捧げられていなかったが、長老の孫であるローニャを担ぐ奴らは、長老の抑制がなくなったら何をし始めるか分からないぞ。手を打つなら早く動かないと拙いことになる」
なんと、長老はどちらかというとワドナンさん寄りだったのか。意外だった。
僕の考えが顔に出てしまっていたのか、ワドナンさんがこれまでに見せたことのないくしゃりとした笑顔を見せる。
「お前が長老のことをどう思っていたかは知らんがな、そこまで悪い方ではない」
「そうだったんですか……それは失礼しました」
「……俺がいつまでも声を聞けないことで、暫くしてあの子が『贄』として失敗したのでは、と指摘された」
「えっ」
はは、とワドナンさんが笑い声を上げた。
「俺はその時、頭を下げて頼み込んだ。あの子の死が確認できるまで、次の対応を待ってほしいと。あの子が生きてきた全てを、失敗のひと言で無駄にしないでほしいと」
……長老は、どこまで気付いていたんだろう。是非とも聞いてみたかったけど、体調が思わしくない現在、そもそももう一度きちんと会話を交わせるかも微妙だ。
ワドナンさんが続ける。
「実際、他に『贄』にできそうな年齢の子供はいなかったからな。疑われつつも、暫くは待ってくれることになった。元があの傷だ。しかも子供ひとりで、この森の中で暮らすのは厳しいものがある。いずれは死に、さすれば自然と声が聞こえるようになるだろうとな」
即死ではなくとも、怪我を負った小さな子供がひとりで生きていけるとは通常考えられない。長老は世界の為にユグの死を望み、ワドナンさんは親の愛ゆえにユグの生を望んだのだ。
ワドナンさんは、どれほど声が聞こえないままなことを望んだんだろう。待つしかない彼が抱えていた焦燥感は、生半なものではなかった筈だ。
「守り人の中では、やっぱり『贄』の命が声を聞くのには必要だという認識だったってこと、ですよね?」
「ああ、そうだな。これまで我々はずっとそうしてきたしな」
となると、やはり現在の守り人に正しい情報は伝わってなかったんだ。世界樹が肥大することにより起きた情報の断絶は、不必要な命を求め続ける結果になった。
ワドナンさんが、眉間に皺を寄せる。
「だが、半年が経ち、一年が経ち、そして二年が経ち。長老は『贄』が正確に捧げられなかったのだと判断を下した」
「そうだったんですか……」
「俺だけでなく、声が聞こえるようになる筈の血縁のファトマも一向に声が聞こえないからな。あの子の生死を確認するにも、そもそも聖域に深く踏み入ることを禁じていた為、守り人の中で対立が起きた」
『贄』を捧げてから二年後ということは、子供の守り人が地上に現れて僕たち研究者が大騒ぎをした時期だ。僕たち研究者がはしゃいでいる間、守り人一族は大きな問題の最中にいたのだ。
そして気付く。ワドナンさんが語る中に、僕の推測と合致するものがあることを。『声が聞こえるようになる筈の血縁のファトマ』。台座に書かれていた古代語の僕の解釈が合っていた証拠だ。
ワドナンさんは淡々と続ける。
「聖域を犯すべからずという伝統を重んじる者もいれば、もっと聖域の理解を深め、且つ地上と接点をという新しい考えを積極的に推す者もいる。俺や長老がどちらかに肩入れすれば、村の均衡が崩れる恐れがある。そもそも我々守り人は地上に過剰に接触してはならない存在だから、俺は現状維持の立場を取った。あの子を探されたくない俺にとっては好都合だったからな」
「長老もですか?」
「ああ。最初はそうだった。それでもその頃から少しずつ、聖域の奥深くへと入っていく者が現れ始めた。長老の孫であるローニャは積極派でな。あやつをかわいがっていた長老は、強く反対できなかった。だから俺は……あの子が見つからないことを祈るしかなかった」
ワドナンさんが保守派側に寄った理由は、全てユグの為だったんだ。このことを、早くユグに伝えてあげたくなった。
「あの……、過剰に接触してはいけない存在、と言うと?」
「守り人は世界樹の声を聞くことができる。世界樹の声を反映させるべく伝令になるのが我々一族に課された責任だ」
聞いているという意味で、僕は無言のまま首を縦に振る。
「だが、守り人は世界樹という上位の存在の声を聞ける特権を持つが故に、地上の生き物よりも上位の存在であると驕りやすい」
「あ、僕も守り人はそう思ってるから偉そうだなって思ってました」
「全く……」
呆れたようにワドナンさんに見られてしまい、苦笑で返した。
「……その為、我々守り人には制限が課されている。実際にそれを試した者は命が惜しいのでいないがな」
「制限? そんなものがあるんですか?」
真面目な顔で頷くワドナンさん。
「それを神の定めた理と納得すればいいのだがな。馬鹿なことに、守り人の長い歴史の中で、地上の覇者たらんとした者は何度か現れたそうだ」
「覇者……」
思わず呟いた。そんなことをして何が楽しいんだろう? というのが僕の率直な意見だった。でも、世の中の人は権力が好きで仕方ない人も沢山いるらしいから、そういう人の目には地上の覇者という立場は魅力的に見えるのかもしれない。
「地上の覇者になることは、明確な越権行為にあたる。理を無視して世界を統べようとすれば、世界樹は枯れ地上は滅びの道を進む」
こくり、と僕は頷いた。ユグがスラスラと口にした守り人に伝わる言葉にもあった内容だ。
「ユグから聞きました。『天界からの使者、地上を三国に定める。均衡を破る者いれば、世界樹を枯らし種を滅ぼすと設定す』というものですよね?」
「そうだ。最大の戒めとして、これは全ての守り人に子供の頃から叩き込まれる」
元は石盤があったそうだけど、その石盤も存在が確認されなくなって久しいそうだ。危機感を覚えた当時の守り人が、絶対に守らなければならないものだと口伝に切り替えたのかもしれない。
「だが、天界より定められし規則が適用されるのは地上の生き物に対してだけじゃないか、と考える者も現れた。守り人は特別な存在だから規則の対象に含まれないのでは、ということだな」
「実際はどうなんですか?」
「さあな。どこにも確証はないが、世界を破滅に導く可能性のある行動を看過はできない」
だからそいつらは皆粛清された、と淡々と告げるワグナンさん。粛清って……そういうことだよね。う……っ。
ワドナンさんが、鼻でフンと笑う。
「そもそも守り人には制限が課せられているのだ。たとえ世界の覇者となったとして、いっときの栄華に過ぎん」
「え? それはどういう――」
僕がワドナンさんに更に尋ねようとした、その時。
ゴゴゴゴゴ……ッという地響きが聞こえた直後、地面が大きく揺れ始めた。
応援ありがとうございます!
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