世界樹の贄の愛が重すぎる

緑虫

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41 ワドナンさんと交渉開始

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 その日の夕方には『守り人の村』に戻らないといけなくなった僕は、ユグに「また明日ね」と約束をして、自分からキスをした。

「うん。また明日、ね」

 ユグは少し元気がないように見えて心配になったけど、今はまだ連泊することはできない。僕が戻らなければ、間違いなくヨルトとドルグが探そうとするだろうからだ。

 少し前までは夜間の捜索はワドナンさんが止めただろうけど、今はファトマさんたちがいるから油断できない。彼らはこの辺りの探索に関しては、優れているに違いない。もし彼らが協力し合って本当の祭壇があるこの場所を事前情報なしに見つけてしまったら、拙いことになりかねなかった。

 ユグは、ワドナンさん以外に認識されていない筈。だからもし僕が見慣れない守り人といるところを見られてしまったら、怪しさ満載のユグを捕らえようとする可能性は高かった。

 万が一、ユグが彼らに傷つけられてしまったら。生き延びた『贄』だと知られて、僕の説明の前に祭壇にもう一度捧げられてしまったら。

 考えただけで、腹の奥底から氷のような冷たさを感じた。無理だ。ユグの寂しさはできる限り取り除いてあげたかったけど、ユグを失うかもしれない恐怖の方が遥かに強かった。

「ちゃんと食べて、寝てね」

 だから僕は、もう一度ユグを抱き締めて「今夜も一緒にいる」とは絶対に伝えないことを選ぶ。

「……ん」

 ユグは僕の肩に顔をうずめると、ごく小さな声で答えた。……ごめんね、ユグ。

 殺されることを運命付けて育てられ、父親の愛情に気付けないままひとりで必死に生き延びてきたユグ。

 ユグが僕に心を許してくれたのは、僕が守り人のことを知らないが故に何も考えずに名前を与えたからなんだろう。

 だけどもしも、ユグが『贄』で居続ける必要がないと僕が証明できたら? もしもワドナンさんを筆頭に、守り人一族が彼を『贄』でなく一人前の守り人として受け入れたなら?

 勿論、僕はユグのことが大好きだし、この先も一緒にいたいと願っている。ユグもきっと、今はそう思ってくれていると思う。

 でも、ふと考えたんだ。聖域の外で僕と暮らしていくのと、ずっと疎外してきた守り人一族に受け入れられて守り人として生きていくのと、どちらがユグにとって真の幸せなのかなって。

 守り人一族は男同士で伴侶となり、子を成す。だけど僕と人間の国に移住したら、世界樹の実がない僕等には子供を産む機会は訪れない。

 守り人として認められたユグは、果たしてその環境に満足できるんだろうか。尊厳を取り戻したユグにとって、彼から守り人たらしめる要素を全て奪ってまで僕と一緒にいてくれと願うほどの価値が僕にあるんだろうか。

 何故なら。

 『守り人の村』から追い出された形になっているのに、十年経った今もこうして彼らの営みが感じられる距離に暮らしている。それはつまり、ユグに『守り人の村』に戻りたい、という願いがあるからなんじゃないか。

 そして、もうひとつの大きな可能性に僕は気付いていた。

 もしそうなったら、ユグは聖域から出ていく選択肢すらなくなるだろう。即ち、僕とユグとの別れを意味する。

 ……できることなら、誰か他のやる気のある人に譲れないか。でも、今は弱いだろうユグの立場を守り人一族の中で高めるには、その方法が最も手っ取り早い。

 何がユグにとって最適なのか。研究者たるもの物事を冷静に判断しろ、と師匠から口を酸っぱくして言われ続けた僕は、きちんと分かっていた。

 ただ、僕の心がそれを認めたくないだけで。

 僕にしがみつくように抱きついているユグの背中を、トントンと叩く。ユグの肩で、ラータが「キッ」と鳴いた。

「さ、ユグ。また明日会えるから。ね?」
「うん……」

 ユグの頬に軽くキスをしてから、ぱっと離れる。

「じゃあね!」

 空は大分暗くなってきていてこれ以上引き伸ばすのは危険だったので、僕は一気に駆け出した。

 しょんぼりと項垂れているユグの姿を横目で捉える。心苦しくて仕方ないし僕だってずっと一緒にいてあげたかったけど、懸命に祭壇裏の緑の壁を通り抜けていった。

 背中越しに、僕の名を呼ぶ微かな声が聞こえた気がした。



『守り人の村』に戻ると、近くにヨルトとドルグの姿が見えない。

 ならばとワドナンさんを探すと、長老のうろから俯いた状態で出てきたところを発見する。

「ワドナンさん!」
「――ああ、お前か」

 強張っていたワドナンさんの表情が、僅かばかりだけど和らいだ気がした。

「あの、どうかしたんですか?」
「……長老の具合がよくないんだ。だからここの周りで騒ぐんじゃないぞ」
「え……」

 長老の具合ってそんなに悪いのか。たった一度きりだけど僕が会った時は、ヨボヨボではあったけどしゃきっとしているように見えたのに。

 ワドナンさんが、ギロリと僕を睨む。

「まさかお前、騒ぐつもりだったのか」
「ち、違います! そういう『え』じゃないですってば!」

 本当か、と如何にも疑っていそうな目で見られた。僕ってワドナンさんの中でどんな印象なんだ。子供? ……まあ、確かに逞しい守り人一族やヨルトに比べたらちびっこいし、僕より華奢なドルグの方が大人っぽく見えるだろうけどさ。

「……まあいい。それでどうした、俺を探していたのか」
「あ、そうなんです! ワドナンさんと二人で話をしたくって!」

 ワドナンさんの片眉が、怪訝そうにクイッと上がった。

「……この後、集会所の東屋でファトマらがお前たちと食事をしたいと言っている。支度があるんだが」
「あ、そうなんです?」

 あちゃー。じゃあ、今は忙しいかな。だったら食事の後に何とか時間を作ってもらわないといけないけど、一度ヨルトとドルグに会ってしまうとなかなか抜け出すのも難しくなる。

 と、ワドナンさんがぐいっと僕の二の腕を掴んで引っ張った。

「向こうで聞く。時間がない。要件をまとめて伝えろ」

 あ、聞いてくれるんだ。やっぱりこの人、一見とっつきにくくて意地悪そうだけど、実は優しい人なんだよね。

 篝火から離れたところに誘導されていく間、ワドナンさんの横顔をずっと眺めた。

 よく見てみると、ユグによく似ている。耳から顎にかけての線も、薄めの唇もスッとした鼻梁も、ユグに年を取らせたらこんな感じになるのかな、と思える顔だった。

 僕の視線に気付いたワドナンさんが、嫌そうに顔を顰める。

「ジロジロ見るな。何か付いているか」

 その瞬間、言うなら今しかない、と思った。

「――僕、貴方によく似た人を知ってます」

 ワドナンさんが、呆れたように横目で僕を見下ろす。

「当然だろう。ファトマは俺の血を濃く受け継いでいる」
「ファトマさんともよく似てます」

 ファトマさんを最初に見た時に感じた、既視感。あれはワドナンさんと似ているというのもあったとは思うけど、今なら分かる。二人とも、ユグによく似ていたんだ。

 僕の感じた既視感の正体は、そっちだった。

 ワドナンさんが、暗がりで歩を止める。篝火からは距離があり、東屋からも虚からも適度な距離があるから、ここならあえて近付かない限りは会話を聞かれる恐れはないだろう。

「……何を言っている」

 ワドナンさんは、平然としているように見えた。だけど、僕には分かる。ユグとよく似た瞼の奥の黄金色の瞳が、ユグが不安でそわそわしてしまう時と同じように泳いでいるのに気付いてしまったから。

「ワドナンさんの、四番目の息子さん。僕は、彼に会いました」

 ワドナンさんの目が、大きく見開かれた。
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