世界樹の贄の愛が重すぎる

緑虫

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39 本当の祭壇

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 受け皿の中には、『守り人の命の水を祭壇の器に捧げよ』と書いてあった。

 その後に続くのは、はっきりはしないけど祭壇に捧げた後どうなるかの説明じゃないかと推測している。だけど、不明な文字が多いので、あくまで推測の域でしかない。ここから先は、前例と見比べて解読していくしかなかった。

 日頃は興奮して止まないこの作業も、早く結論を出したい今はもどかしくて仕方ない。でも、焦りは禁物だ。性急に答えを出そうと焦ると、必ずといって見落としや重大な思い違いが発生するからだ。

 研究者に必要なのは、継続できる熱意と、経緯と結果を俯瞰的に見る冷静さ。自分が望むものだけを見出そうとしてはならない。師匠がいつも口を酸っぱくして言っていたことが、今ほど僕の心に納得と共に響いたことはなかった。

 もぐもぐと魚を咀嚼しながら、驚いた顔のユグに説明を続ける。

「台座に書いてあった内容からも、位置関係から見ても、石盤が示す祭壇はやっぱりここなんだ」

 上の祭壇には、器はない。そのことからも、あれは本当の祭壇じゃないという証明になる。

「だとすると、考えられる可能性は、長い年月の間に本来の祭壇である台座への道がなくなってしまった。そしてどこかの時代の守り人がここまで来られる道を作ったんじゃないかな」
「オレが来た道?」

 ユグが天井に目線を上げた。ユグが落ちてきた天井の穴が見える。

「そう。あの道だよ。それから更に時が流れて、これまたどこかの段階で『守り人の血を祭壇に捧げる』部分だけが残って伝わったんじゃないかと思うんだ」

『命の水』が必要だという情報がまだ残っている根拠は、『贄』のユグが刺されたことにあった。ただ『贄』の命を捧げるだけなら、首の骨を折るのでもいいからだ。

 何故『贄』を殺して身体まで落とすことになったのかについては、どこかの時代で何か問題が起きて、捧げた筈の『贄』の『命の水』が祭壇の器に落ちなかったとか、『贄』が逃げてしまったとかいう可能性が考えられた。

 こればっかりは、証明できるものが何も残っていないだろうから想像をするしかないけれど。

「ここに祭壇があるの、忘れちゃったってこと?」

 ユグの問いに、頷きつつ答えた。

「うん。そう考えるとスッキリするんだ。原因は多分、上に祭壇を作り直したからだと思う。あれは一見、ちゃんとした祭壇に見えるからね」

 ユグが考え込んだように唸る。

「……オレ、あれが祭壇って聞いてた。他の祭壇の話、聞いたことない」
「情報がどこかで途絶えてしまって、その先に本来の祭壇があることが忘れ去られたってことなんだろうね。勿論、まだ憶測の段階を出ないけど」
「オクソク」
「あ、ええと、僕がそうじゃないかって考えてるってことだよ」
「うん」

 そもそも、上の祭壇に古代語は一切刻まれていなかった。守り人の象徴でもある世界樹の祭壇に古代語がないなんて、よく考えたらおかしな話だったんだ。

「そう考えると、ユグが落ちた先が枝で詰まっていたことにも理由がつく」
「うん? どういうこと?」
「つまりね――」

 元々はここと同じ高さにあった石盤が、樹木の成長と共に遥か高い位置へと押し上げられていった。それだけの長い年月の中では、時には重要な情報が失われることもあったんじゃないか。

 特に近年では、重要な情報源となる祭壇を取り囲む石盤の存在すらあやふやだった。二番目に見つけた石盤にあったように、石盤は守り人の子が迷える時に導くものとして置かれたのに、その役割すら果たすことができなくなりつつあった。

 情報の断絶。これが世界樹の声が聞こえなくなってきた原因に間違いない。

 世界樹の声を聞く為には、本来祭壇だった筈の台座に守り人の血を捧げる必要があった。だけど台座は世界樹の成長と共に呑まれて、後世に伝達する役割を担った石盤すらも行方が知れない。

 しかも、守り人一族なのに古代語を読むことができるのは世界樹の声が聞こえる者だけ。これはワドナンさんが愚痴っぽく言っていたことだから、間違いない。

 そこにきて、守り人一族の人口を増やしてくれる世界樹の実の数が減ってしまったから、情報を持つ人数は更に限られていた。意図せず益々真実から遠のいていっていた、というのがここ数年の流れなんだろう。

 でも、何故だろう。どうして守り人は、一族全体で共有をしなかったのか。

「今の守り人は、ここに本当の祭壇があることを知らない。上の祭壇の穴がどこに繋がっているのか、何故『贄』を必要とするのかも分かってないと思う。先がどこに繋がっているか知らないから、枝が入り込んで通れなくなっていても分からなかったんじゃないかな」
「うん」
「多分これまでは、『贄』を刺して祭壇の穴に落としたら、ちゃんと世界樹の声を聞けるようになっていたんだと思う。だからこの方法が正しいんだと信じてきた」
「うん……? 本当は違うってこと?」

 ユグが分からない、といった表情で首を傾げた。僕はユグを安心させる為、微笑んでみせる。

「それをはっきりさせる為にこれから解読を進めるけど、状況証拠から考えるとその可能性が高いんだ」

 魚をもうひと口齧ってから、続けた。

「とにかく後はっきり確かめないといけないのは、なんで『命の水』である守り人の血を台座の器に捧げると世界樹の声が聞こえるようになるのか、ってことだね!」

 そこさえ明確になれば、後はどう守り人を説得するかの話になってくる。

 晴れてユグは自由の身となり、僕と共に師匠の元へと凱旋だ。

 と、ユグがぽつりと呟いた。

「……それが分かったら、アーウィンいなくなる?」
「え?」

 あまりにも寂しそうな声色に驚いてユグの方を見ると、ユグは表情の読めない顔で僕を見つめているじゃないか。

 ざわり、と不安が急に押し寄せてきた。

「ちょ、ちょっと待ってユグ! 僕はユグをひとり置いて行くつもりはないよ!?」
「……うん」

 何故か元気のないユグ。急にどうしちゃったんだろう。

 そういえば、師匠の元で一緒に暮らそうって話は僕が勝手に想像していただけで、ユグには伝えていなかったかもしれない。そっか、それで置いていかれるって不安になっちゃったのか、と慌てて思っていたことを伝えることにした。

「僕だってユグと一緒にいたいよ! だから考えてたんだけど、僕の古代語研究の師匠の所に一緒に住んだらどうかなって思ってるんだよ!?」
「アーウィンの師匠?」

 ユグが、ようやく小さく笑う。僕は安堵して、いつの間にか強張っていた身体の力を抜いた。

「そう、師匠や兄弟子がいるんだけど、二人とも僕以上の研究馬鹿だし! それに守り人のユグなら大興奮で迎え入れてくれると思うから、安心してよ!」
「……ん、ありがと」

 ユグは小さな笑顔のまま顔を伏せると、魚に齧り付いて黙ってしまったのだった。
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