世界樹の贄の愛が重すぎる

緑虫

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 リスのラータの姿が、祭壇裏にある緑の壁の中にするりと呑み込まれた。

「あっ、待ってよ!」

 背後に警戒しつつ、僕も草木を掻き分けて奥へ行く。むぎゅむぎゅと葉と枝に押し潰されながら、三歩進んだ。伸ばしていた指先に風が触れる。

「わ、」

 手首まで出たところで、手がぐいっと引っ張られた。前につんのめると、両脇を掴まれ真横に引っこ抜かれる。

「アーウィン!」

 まるで子供のように脇の下で抱え上げられ、高い高いをされた。朝も早よからキラッキラの笑顔で僕を嬉しそうに見上げているのは、まあ他にいないから当然だけどユグだ。

 緑がかった黒の長髪が風になびき、切長の黄金色の瞳に朝日が反射して煌めいていた。男に対して持つには変な感想かもしれないけど、生命力に満ちていてなんて美しいんだ、と思わずにはいられない。

 ユグはこてんと首を傾げると、口をぱくぱくさせた。ん? どうしたんだろう。

「アーウィン、お、おは、おは……っ」

 あれ、もしかして朝の挨拶をしてくれようとしているのかな、と気付く。可愛いなあと思うと同時に、おはようのひと言すら簡単に出てこない彼の境遇に胸が締め付けられた。

 昨日から、僕の庇護欲は刺激されっ放しだ。

「うん、おはようユグ!」
「! お、おはよう!」

 ぱああっとした晴れやかな笑顔が眩しい。いっそ幼いとも言える邪気のなさに、思わず笑みが漏れた。はあー、やっぱり可愛い。

 日頃は師匠と兄弟子、こっちに来ても偉そうな守り人と事ある毎に僕を半人前扱いしようとする巨人族代表と小人族代表としか接していなかったからか、見た目はしっかり男だけど中身が可愛いユグにすっかり絆されてしまっている。

 そういえば、ユグって幾つくらいなんだろう? 聞こうと思ったけど、多分本人にも正確には分からないかもしれないと思って控えた。

「よく寝られた?」
「うん!」

 何気ない質問にもユグが本当に幸せそうに微笑むから、僕も何だか嬉しくなってくる。

「アーウィンは? ぐっすり?」
「うん、よく寝られたよ。それに昨日もらった実のお陰なのかな? すっごく身体が軽いんだよね」

 ユグは僕を地面に降ろさないまま、横抱きに抱え直した。ああそっか、ここからはユグにしがみついてないと移動もままならないもんね、と素直にユグの首に抱きつく。

 と、ユグがごく自然に顔を近づけ、僕の唇にチュッと触れるだけのキスを落とした。

「えっ!?」

 驚きの声を上げる。ユグは当たり前だと言わんばかりに微笑んだ。

「おはよう、の、キス」
「え、あ、う、そ、そう……おはようのね、うん、あるよね……?」

 もしかして、守り人一族ではおはようのキスを口にするのが常識なのか。相変わらず基本的にはあのおじさん守り人しか話してくれないから、彼らの生態はいまいち分からないままだ。

 ……後でおじさん守り人に聞いてみよう。間違いなく嫌な顔はするだろうけど。

「一番近い所、の、文字、行く?」
「――行く!」

 前のめり気味に返す。ユグはにっこり笑い「ぎゅ、してて」という言葉と共に、空へ向かって大きく跳躍した。



「すっ、凄い! うおおおっ! え、見たことない文字があるぞ! あ、あっちも!」

 目下、僕は大興奮していた。

 理由は簡単。目の前に本物の古代語が記された石盤があるからだ。

 ユグが連れてきてくれたのは、昨日僕たちが出会った場所からほど近い場所、深い森の中。屈みながら緑の隧道を抜けた先に、ポッカリと空いた空間があった。上空からはまだ淡い陽光が差し込んでいて、正面の壁みたいな幹に半分呑み込まれた倒れかかった大きな石盤を照らしている。

 よく見ると、石盤の足許に蔦や枝の残骸が落ちている。そっと僕を下ろしたユグの手をまさかと思って見た。ユグの指先は、緑と茶色で汚れている。

「……ユグが綺麗にしてくれたの?」
「うん。見えにく、かったから」
「ユグ……」

 だから来るのに時間がかかったんだ、と気付いた。

 偉ぶることもなく、ただ嬉しそうに微笑むユグ。僕の心臓がキュンッと締め付けられる。見返りなんて何も求めていない、純然たる好意による行動。ユグを利用して調査を進めようとしている僕とは大違いだ。

 罪悪感で一杯になった。

「ありがとね、ユグ。でもさ、明日からは一緒にやるから」
「……嬉しく、ない?」

 悲しそうな表情になってしまった。慌てて首を横に振る。

「そんなことない! すごく嬉しかったよ!」
「じゃあ、なんで?」
「ええと……!」

 なんて伝えたらユグは分かってくれるんだろう。焦りながら考えてみた、でも、いい言葉が浮かび上がらない。

「ユグと……一緒にやりたいんだ!」
「! うん!」

 ユグの顔に笑みが戻る。再び罪悪感で胸がツキリと痛んだ。なんとか無理やり笑顔を浮かべる。

 ユグからは、明確な好意を感じた。僕だってユグのことは全然嫌いじゃないしむしろ守ってあげたいと思うくらいには可愛いと思い始めてる。

 だけど、所詮僕はこの地ではよそ者に過ぎない。

 調査が終われば、きっと追い出されるようにして立ち去ることになる。その際、守り人に『贄』として扱われて隠れ住んでいるユグを救ってあげられるほどの力は、今の僕にはない。

 どうあがいても、世界樹の声を聞く守り人一族の方が、地上の三種族よりも上の立場にいるからだ。

「チョーサ、する?」
「あ、うん! ありがとう、早速始めるね!」

 ユグが不思議そうな顔をしたので、慌てて目線を石盤に移す。

 ――どうして昨日、何も考えないで名前なんて付けてしまったんだろう。

 後先を全く考えなかった自分の浅はかな行動が、今になって悔やまれた。

 ユグに名前がないことに、腹が立った。だから名付けた、それだけのつもりだったんだ。だけど、彼にとってはきっと物凄く大きな出来事で、そのせいで彼は僕に好意を抱いたんだと思う。

 僕がいつかここからいなくなる時、ユグをひとりで置いていくことになるだろうことなんて考えもしなかった。なんて中途半端な優しさだろう。これが偽善でなくてなんなんだ。

 は、と思いつく。

 世界樹が枯れる原因が調査から判明したとする。そこで僕がユグの協力がないと成功しなかったと訴えたら、もしかしてユグは見つかっても功労者として許されるんじゃないか。

 世界を救った功労者を邪険に扱ったら、あの長老あたりが怒り出しそうな気もする。おお、なんていい考えを思いついたんだろう! これしかない! これなら、僕がここを立ち去る時にユグを再びひとりきりにせずに済む!

「ユグ!」
「うん?」

 パッとユグを振り返る。彼の逞しい二の腕を掴んだ。ユグは穏やかな表情で僕を見下ろしている。

「僕、頑張るから!」
「? うん!」

 もしもユグが『守り人の村』にいたくないと願うなら、外界での居場所を準備してあげたらいいんだ。その為にしなければいけないのは、確実に手柄を挙げること。守り人一族が文句が言えないくらいの成果を出して、ユグの自由を勝ち取ってあげなくちゃならない。

 そうと決まれば、遺跡調査とユグの生い立ち調査の開始だ。

「やるぞ……!」
「うん」

 ふんわりとしていた目標が定まり、僕の中に更なるやる気が満ち溢れた瞬間だった。
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