世界樹の贄の愛が重すぎる

緑虫

文字の大きさ
上 下
5 / 66

5 名付け

しおりを挟む
 ふわふわしたものが、鼻先を擽る。

「ふが……っ? えっぷしゅっ!」

 堪らず、くしゃみをひとつした。直後、ズキンッ! と身体中から鈍い痛みの反応が返ってくる。

「くあ……っ、痛い……っ」

 痛さに驚いて暫く呻いていた。身体の強張りが解けるにつれ、痛みが徐々に引いていく。全身が痛い。調査初日にやっちゃったなあ、というのが寝覚め一番の率直な感想だった。

「……ふう」

 閉じていた瞼をゆっくりと開く。木の虚の穴に落ちてどこかに滑り落ちた後、気絶してしまっていたんだろう。瞼の向こうに明かりを感じるので、そう長いこと気を失っていた訳ではないんじゃないか。

「戻らないと……」

 すると。

「ん?」

 視界一面に広がっているのは、柔らかそうなふわふわの茶色い毛並みだった。何だこれ。本に付いた埃を払う時に使う、何かの鳥の羽でできた埃取りみたいだ。

「キキッ」

 僕の胸の上に乗っていたふわふわが、至近距離からのくしゃみにもめげず、くるりと振り返って僕を覗き込む。

「……リス?」
「キッ」

 何となく「ふふん」という声が聞こえてきそうな顔のリスが、僕を見下ろした。立派なまろい尻尾を持ったリスだ。柔らかそう。

「可愛いなあ、ふふ」

 思わず笑みが溢れる。すると、リスが唐突に「キッキッ! キッキキッ! キキキキッ!」と小さな手をバタバタさせながら鳴きだした。あは、何かを懸命に喋ってるみたい。本当に可愛い。

「ふふ、どうしたの? 僕に何か伝えたいの?」
「キキッ! キイッ!」

 リスは怒っているのか、プイッとそっぽを向いてしまった。リスの尻尾が、僕の顔を撫でる。

「ぶわっ」

 でも分かった。この子の尻尾が僕のくしゃみの原因だったらしい。

 と、寝ている頭の上の方から枯れ葉を掻き分ける音が聞こえてきた。頭をゆっくりと向ける。幸い首はどこも問題なかったらしくて、痛みもなく動かせた。

 サラリ、と長い黒髪がカーテンのように僕の視界を奪う。

「えっ」

 何事!? と思って真上を見ると、気を失う前に見た記憶がある、守り人の若い男が僕を上から覗き込んでいた。四つん這いになって、僕をじっと見つめている。

 光が遮断された空間の中でも分かる。随分と整った顔の男だった。

 切れ長の瞳にすっとした鼻梁、薄くて温かみのある色の唇。頬はやや痩け気味だけど、僕の頭の横に突いている腕は逞しい。無駄な肉がないってこういう人のことを言うんだなあ、とぼんやりと思った。

 ……なんだけど。

 お願いだから何か喋ってほしい。

「あ、あのぉ、」

 そうだ。この人が保守派の人だと、色々と面倒くさい。とりあえず愛想を振りまこう、と引きつりながらも笑うと、男は金色の瞳を大きく開いて驚いた顔をした。え? どういう反応?

「貴方が助けてくれたんですよね? あの、ありがとうございます」

 よくよく観察してみると、僕が仰向けに寝かされているのは、植物からできたであろう編布だ。お腹から足にかけても同じような乾燥した植物の色をした布が掛けられている。横に投げ出された両腕には、薬草なのか、濡れた大きな葉が巻かれていた。

 転げ落ちてきたと思ったら気絶してしまった他人の僕を、この人が寝かせてくれた上に手当もしてくれたんだろう。悪い人じゃなさそうだ。心の中で小さな安堵の息を吐く。

 男が、口を半分開けた。何かを言いたそうにしているけど、一向に声が出てこない。どうしたんだろう?

「オ……オレ、」
「は、はい」

 男は目を落ち着きなく彷徨わせた。ふてぶてしいくらいに落ち着き過ぎた雰囲気の村の守り人たちと比べると、随分と感情豊かに見える。

「お前、た……助けた」
「あ、はい。ありがとうございます……?」

 とりあえず小刻みに頷く。男はあからさまにホッとした表情に変わった。あれ? やっぱり他の守り人とは印象がかなり違う。威張っていないというか、むしろオドオドした雰囲気だ。

 あ、もしかして革新派の人だったりして? と気付く。革新派の人なら、僕に冷たい目線を向けないのも納得できた。

「お前……な、名前」
「あ、僕ですか? 僕はアーウィンです!」

 僕が名乗ると、男は口の中で何度も「アーウィン、アーウィン……」と繰り返す。

「あの、貴方のお名前を聞いてもいいですか?」

 思ったよりも優しそうな人でよかったなあ、なんて思いながら男に尋ねると。

「……ッ」

 それまで僕から目を逸らさなかった男が、ふいっと目を逸してしまった。あれ、聞いちゃいけなかった? え、でも名前を聞いただけなんだけど。

「……あのぉ? どうかされました?」

 男の目が、泳ぎまくる。影になった顔の中で、金色の瞳だけがやけに輝いているように見えた。うわあ、綺麗だなあ。後でじっくり観察させてくれないかな。どんな虹彩か興味がある。

 下唇をぷ、と出した男が、ボソボソと答えた。

「オレ……名前、ない」
「え? そんなことないでしょ」

 驚きすぎて思わずタメ口になってしまった。だってこの人、見た目は男臭いけど、仕草が子供っぽくて可愛いから、つい。

 男は、とても言いにくそうに呟く。

「……みんな、には、……『にえ』、呼ばれてた」
「は? え、ちょっと待って、『贄』って生贄の贄? なんでそんな酷い呼び方を」

 守り人の文化は、未だ謎に包まれている。だからもしかしたら生贄文化はあるのかもしれないけど、道理を分かってそうなあの長老がそんな存在を許すものだろうか。

「だ、だから……名前、ない」

 しょんぼりとする男を見ていたら、ムカムカと腹が立ってきた。酷い、あんまりだ。例え文化的に生贄文化があったとしても、名前も与えないなんて非人道的すぎる!

「じゃあ、僕が貴方の名前を決めてもいい?」

 僕の言葉を聞いた男が、目を大きく見開く。

「――ッ、い、いい……のか?」
「だって僕は『贄』とは呼びたくないし、貴方としか呼べないのは不便だしね」
「う……うん!」

 黄金の瞳が、期待からか輝き始めた。男は僕の次の言葉を待っているのか、ジーッと食い入るように僕の目を凝視してくる。うわ、なんか……この人、可愛いなあ。

 僕は弟弟子で、僕より下に弟子はいなかった。両親とは幼い頃に死別しているし、血の繋がった兄弟もいない。

 きっと、だからだ。

 むくむくと湧き起こる庇護欲という名の正義感に満ちてしまったのは。

 絶対いい名前を考えてあげるから! という意味を込めて頷くと、僕は考えに考えた。世界樹の守り人、世界樹、ユグドラシル、ユグ……。

 うん、決めた。

「――今日から貴方の名前は『ユグ』だ」
「ユグ?」
「うん。僕たちが出会った世界樹ユグドラシルから取ってみたんだけど、どうかな?」

 短ければ、喋ることに難がありそうな彼でもすぐに名乗れるんじゃないかと思ったのもある。それに『贄』なんて酷いものじゃなくて、世界の象徴である世界樹にちなんだ名前なら、彼が卑下することもないんじゃないか。

 どうかな、気に入ったかな? ドキドキしながら返事を待っていると。

「ユグ……オレ、ユグ!」

 ユグが、大輪の花が咲いたような眩しい笑みを惜しげもなく見せた。

 一瞬、全てを忘れるほどの艶やかさだった。

 はうう……っ! か、可愛い……!

「アーウィン、名前、ありがと!」
「き、気に入ったならよか……わっ」

 ユグは突然顔を近づけたと思うと、僕の頬を大きな手でガシッと掴み。

「……へっ!?」

 逆さ向きになった状態のユグの息が、顔に吹きかかる。

「アーウィン!」
「んんんんっ!」

 ユグは呑み込みそうな勢いで、荒々しく僕の唇を奪ったのだった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

ハイスペックストーカーに追われています

たかつきよしき
BL
祐樹は美少女顔負けの美貌で、朝の通勤ラッシュアワーを、女性専用車両に乗ることで回避していた。しかし、そんなことをしたバチなのか、ハイスペック男子の昌磨に一目惚れされて求愛をうける。男に告白されるなんて、冗談じゃねぇ!!と思ったが、この昌磨という男なかなかのハイスペック。利用できる!と、判断して、近づいたのが失敗の始まり。とある切っ掛けで、男だとバラしても昌磨の愛は諦めることを知らず、ハイスペックぶりをフルに活用して迫ってくる!! と言うタイトル通りの内容。前半は笑ってもらえたらなぁと言う気持ちで、後半はシリアスにBLらしく萌えると感じて頂けるように書きました。 完結しました。

塾の先生を舐めてはいけません(性的な意味で)

ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
個別指導塾で講師のアルバイトを始めたが、妙にスキンシップ多めで懐いてくる生徒がいた。 そしてやがてその生徒の行為はエスカレートし、ついに一線を超えてくる――。

ヒロイン不在の異世界ハーレム

藤雪たすく
BL
男にからまれていた女の子を助けに入っただけなのに……手違いで異世界へ飛ばされてしまった。 神様からの謝罪のスキルは別の勇者へ授けた後の残り物。 飛ばされたのは神がいなくなった混沌の世界。 ハーレムもチート無双も期待薄な世界で俺は幸せを掴めるのか?

間違い召喚! 追い出されたけど上位互換スキルでらくらく生活

カムイイムカ(神威異夢華)
ファンタジー
僕は20歳独身、名は小日向 連(こひなた れん)うだつの上がらないダメ男だ ひょんなことから異世界に召喚されてしまいました。 間違いで召喚された為にステータスは最初見えない状態だったけどネットのネタバレ防止のように背景をぼかせば見えるようになりました。 多分不具合だとおもう。 召喚した女と王様っぽいのは何も持っていないと言って僕をポイ捨て、なんて世界だ。それも元の世界には戻せないらしい、というか戻さないみたいだ。 そんな僕はこの世界で苦労すると思ったら大間違い、王シリーズのスキルでウハウハ、製作で人助け生活していきます ◇ 四巻が販売されました! 今日から四巻の範囲がレンタルとなります 書籍化に伴い一部ウェブ版と違う箇所がございます 追加場面もあります よろしくお願いします! 一応191話で終わりとなります 最後まで見ていただきありがとうございました コミカライズもスタートしています 毎月最初の金曜日に更新です お楽しみください!

【本編完結】断罪される度に強くなる男は、いい加減転生を仕舞いたい

雷尾
BL
目の前には金髪碧眼の美形王太子と、隣には桃色の髪に水色の目を持つ美少年が生まれたてのバンビのように震えている。 延々と繰り返される婚約破棄。主人公は何回ループさせられたら気が済むのだろうか。一応完結ですが気が向いたら番外編追加予定です。

もふもふと始めるゴミ拾いの旅〜何故か最強もふもふ達がお世話されに来ちゃいます〜

双葉 鳴|◉〻◉)
ファンタジー
「ゴミしか拾えん役立たずなど我が家にはふさわしくない! 勘当だ!」 授かったスキルがゴミ拾いだったがために、実家から勘当されてしまったルーク。 途方に暮れた時、声をかけてくれたのはひと足先に冒険者になって実家に仕送りしていた長兄アスターだった。 ルークはアスターのパーティで世話になりながら自分のスキルに何ができるか少しづつ理解していく。 駆け出し冒険者として少しづつ認められていくルーク。 しかしクエストの帰り、討伐対象のハンターラビットとボアが縄張り争いをしてる場面に遭遇。 毛色の違うハンターラビットに自分を重ねるルークだったが、兄アスターから引き止められてギルドに報告しに行くのだった。 翌朝死体が運び込まれ、素材が剥ぎ取られるハンターラビット。 使われなくなった肉片をかき集めてお墓を作ると、ルークはハンターラビットの魂を拾ってしまい……変身できるようになってしまった! 一方で死んだハンターラビットの帰りを待つもう一匹のハンターラビットの助けを求める声を聞いてしまったルークは、その子を助け出す為兄の言いつけを破って街から抜け出した。 その先で助け出したはいいものの、すっかり懐かれてしまう。 この日よりルークは人間とモンスターの二足の草鞋を履く生活を送ることになった。 次から次に集まるモンスターは最強種ばかり。 悪の研究所から逃げ出してきたツインヘッドベヒーモスや、捕らえられてきたところを逃げ出してきたシルバーフォックス(のちの九尾の狐)、フェニックスやら可愛い猫ちゃんまで。 ルークは新しい仲間を募り、一緒にお世話するブリーダーズのリーダーとしてお世話道を極める旅に出るのだった! <第一部:疫病編> 一章【完結】ゴミ拾いと冒険者生活:5/20〜5/24 二章【完結】ゴミ拾いともふもふ生活:5/25〜5/29 三章【完結】ゴミ拾いともふもふ融合:5/29〜5/31 四章【完結】ゴミ拾いと流行り病:6/1〜6/4 五章【完結】ゴミ拾いともふもふファミリー:6/4〜6/8 六章【完結】もふもふファミリーと闘技大会(道中):6/8〜6/11 七章【完結】もふもふファミリーと闘技大会(本編):6/12〜6/18

美少年に転生したらヤンデレ婚約者が出来ました

SEKISUI
BL
 ブラック企業に勤めていたOLが寝てそのまま永眠したら美少年に転生していた  見た目は勝ち組  中身は社畜  斜めな思考の持ち主  なのでもう働くのは嫌なので怠惰に生きようと思う  そんな主人公はやばい公爵令息に目を付けられて翻弄される    

生贄令嬢は怠惰に生きる~小動物好き竜王陛下に日々愛でられてます~

雪野ゆきの
恋愛
叔父一家に虐げられていた少女リアはついに竜王陛下への生贄として差し出されてしまう。どんな酷い扱いをされるかと思えば、体が小さかったことが幸いして竜王陛下からは小動物のように溺愛される。そして生贄として差し出されたはずが、リアにとっては怠惰で幸福な日々が始まった―――。 感想、誤字脱字報告、エール等ありがとうございます! 【書籍化しました!】 お祝いコメントありがとうございます!

処理中です...