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5 名付け
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ふわふわしたものが、鼻先を擽る。
「ふが……っ? えっぷしゅっ!」
堪らず、くしゃみをひとつした。直後、ズキンッ! と身体中から鈍い痛みの反応が返ってくる。
「くあ……っ、痛い……っ」
痛さに驚いて暫く呻いていた。身体の強張りが解けるにつれ、痛みが徐々に引いていく。全身が痛い。調査初日にやっちゃったなあ、というのが寝覚め一番の率直な感想だった。
「……ふう」
閉じていた瞼をゆっくりと開く。木の虚の穴に落ちてどこかに滑り落ちた後、気絶してしまっていたんだろう。瞼の向こうに明かりを感じるので、そう長いこと気を失っていた訳ではないんじゃないか。
「戻らないと……」
すると。
「ん?」
視界一面に広がっているのは、柔らかそうなふわふわの茶色い毛並みだった。何だこれ。本に付いた埃を払う時に使う、何かの鳥の羽でできた埃取りみたいだ。
「キキッ」
僕の胸の上に乗っていたふわふわが、至近距離からのくしゃみにもめげず、くるりと振り返って僕を覗き込む。
「……リス?」
「キッ」
何となく「ふふん」という声が聞こえてきそうな顔のリスが、僕を見下ろした。立派なまろい尻尾を持ったリスだ。柔らかそう。
「可愛いなあ、ふふ」
思わず笑みが溢れる。すると、リスが唐突に「キッキッ! キッキキッ! キキキキッ!」と小さな手をバタバタさせながら鳴きだした。あは、何かを懸命に喋ってるみたい。本当に可愛い。
「ふふ、どうしたの? 僕に何か伝えたいの?」
「キキッ! キイッ!」
リスは怒っているのか、プイッとそっぽを向いてしまった。リスの尻尾が、僕の顔を撫でる。
「ぶわっ」
でも分かった。この子の尻尾が僕のくしゃみの原因だったらしい。
と、寝ている頭の上の方から枯れ葉を掻き分ける音が聞こえてきた。頭をゆっくりと向ける。幸い首はどこも問題なかったらしくて、痛みもなく動かせた。
サラリ、と長い黒髪がカーテンのように僕の視界を奪う。
「えっ」
何事!? と思って真上を見ると、気を失う前に見た記憶がある、守り人の若い男が僕を上から覗き込んでいた。四つん這いになって、僕をじっと見つめている。
光が遮断された空間の中でも分かる。随分と整った顔の男だった。
切れ長の瞳にすっとした鼻梁、薄くて温かみのある色の唇。頬はやや痩け気味だけど、僕の頭の横に突いている腕は逞しい。無駄な肉がないってこういう人のことを言うんだなあ、とぼんやりと思った。
……なんだけど。
お願いだから何か喋ってほしい。
「あ、あのぉ、」
そうだ。この人が保守派の人だと、色々と面倒くさい。とりあえず愛想を振りまこう、と引きつりながらも笑うと、男は金色の瞳を大きく開いて驚いた顔をした。え? どういう反応?
「貴方が助けてくれたんですよね? あの、ありがとうございます」
よくよく観察してみると、僕が仰向けに寝かされているのは、植物からできたであろう編布だ。お腹から足にかけても同じような乾燥した植物の色をした布が掛けられている。横に投げ出された両腕には、薬草なのか、濡れた大きな葉が巻かれていた。
転げ落ちてきたと思ったら気絶してしまった他人の僕を、この人が寝かせてくれた上に手当もしてくれたんだろう。悪い人じゃなさそうだ。心の中で小さな安堵の息を吐く。
男が、口を半分開けた。何かを言いたそうにしているけど、一向に声が出てこない。どうしたんだろう?
「オ……オレ、」
「は、はい」
男は目を落ち着きなく彷徨わせた。ふてぶてしいくらいに落ち着き過ぎた雰囲気の村の守り人たちと比べると、随分と感情豊かに見える。
「お前、た……助けた」
「あ、はい。ありがとうございます……?」
とりあえず小刻みに頷く。男はあからさまにホッとした表情に変わった。あれ? やっぱり他の守り人とは印象がかなり違う。威張っていないというか、むしろオドオドした雰囲気だ。
あ、もしかして革新派の人だったりして? と気付く。革新派の人なら、僕に冷たい目線を向けないのも納得できた。
「お前……な、名前」
「あ、僕ですか? 僕はアーウィンです!」
僕が名乗ると、男は口の中で何度も「アーウィン、アーウィン……」と繰り返す。
「あの、貴方のお名前を聞いてもいいですか?」
思ったよりも優しそうな人でよかったなあ、なんて思いながら男に尋ねると。
「……ッ」
それまで僕から目を逸らさなかった男が、ふいっと目を逸してしまった。あれ、聞いちゃいけなかった? え、でも名前を聞いただけなんだけど。
「……あのぉ? どうかされました?」
男の目が、泳ぎまくる。影になった顔の中で、金色の瞳だけがやけに輝いているように見えた。うわあ、綺麗だなあ。後でじっくり観察させてくれないかな。どんな虹彩か興味がある。
下唇をぷ、と出した男が、ボソボソと答えた。
「オレ……名前、ない」
「え? そんなことないでしょ」
驚きすぎて思わずタメ口になってしまった。だってこの人、見た目は男臭いけど、仕草が子供っぽくて可愛いから、つい。
男は、とても言いにくそうに呟く。
「……みんな、には、……『贄』、呼ばれてた」
「は? え、ちょっと待って、『贄』って生贄の贄? なんでそんな酷い呼び方を」
守り人の文化は、未だ謎に包まれている。だからもしかしたら生贄文化はあるのかもしれないけど、道理を分かってそうなあの長老がそんな存在を許すものだろうか。
「だ、だから……名前、ない」
しょんぼりとする男を見ていたら、ムカムカと腹が立ってきた。酷い、あんまりだ。例え文化的に生贄文化があったとしても、名前も与えないなんて非人道的すぎる!
「じゃあ、僕が貴方の名前を決めてもいい?」
僕の言葉を聞いた男が、目を大きく見開く。
「――ッ、い、いい……のか?」
「だって僕は『贄』とは呼びたくないし、貴方としか呼べないのは不便だしね」
「う……うん!」
黄金の瞳が、期待からか輝き始めた。男は僕の次の言葉を待っているのか、ジーッと食い入るように僕の目を凝視してくる。うわ、なんか……この人、可愛いなあ。
僕は弟弟子で、僕より下に弟子はいなかった。両親とは幼い頃に死別しているし、血の繋がった兄弟もいない。
きっと、だからだ。
むくむくと湧き起こる庇護欲という名の正義感に満ちてしまったのは。
絶対いい名前を考えてあげるから! という意味を込めて頷くと、僕は考えに考えた。世界樹の守り人、世界樹、ユグドラシル、ユグ……。
うん、決めた。
「――今日から貴方の名前は『ユグ』だ」
「ユグ?」
「うん。僕たちが出会った世界樹から取ってみたんだけど、どうかな?」
短ければ、喋ることに難がありそうな彼でもすぐに名乗れるんじゃないかと思ったのもある。それに『贄』なんて酷いものじゃなくて、世界の象徴である世界樹にちなんだ名前なら、彼が卑下することもないんじゃないか。
どうかな、気に入ったかな? ドキドキしながら返事を待っていると。
「ユグ……オレ、ユグ!」
ユグが、大輪の花が咲いたような眩しい笑みを惜しげもなく見せた。
一瞬、全てを忘れるほどの艶やかさだった。
はうう……っ! か、可愛い……!
「アーウィン、名前、ありがと!」
「き、気に入ったならよか……わっ」
ユグは突然顔を近づけたと思うと、僕の頬を大きな手でガシッと掴み。
「……へっ!?」
逆さ向きになった状態のユグの息が、顔に吹きかかる。
「アーウィン!」
「んんんんっ!」
ユグは呑み込みそうな勢いで、荒々しく僕の唇を奪ったのだった。
「ふが……っ? えっぷしゅっ!」
堪らず、くしゃみをひとつした。直後、ズキンッ! と身体中から鈍い痛みの反応が返ってくる。
「くあ……っ、痛い……っ」
痛さに驚いて暫く呻いていた。身体の強張りが解けるにつれ、痛みが徐々に引いていく。全身が痛い。調査初日にやっちゃったなあ、というのが寝覚め一番の率直な感想だった。
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「戻らないと……」
すると。
「ん?」
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「キキッ」
僕の胸の上に乗っていたふわふわが、至近距離からのくしゃみにもめげず、くるりと振り返って僕を覗き込む。
「……リス?」
「キッ」
何となく「ふふん」という声が聞こえてきそうな顔のリスが、僕を見下ろした。立派なまろい尻尾を持ったリスだ。柔らかそう。
「可愛いなあ、ふふ」
思わず笑みが溢れる。すると、リスが唐突に「キッキッ! キッキキッ! キキキキッ!」と小さな手をバタバタさせながら鳴きだした。あは、何かを懸命に喋ってるみたい。本当に可愛い。
「ふふ、どうしたの? 僕に何か伝えたいの?」
「キキッ! キイッ!」
リスは怒っているのか、プイッとそっぽを向いてしまった。リスの尻尾が、僕の顔を撫でる。
「ぶわっ」
でも分かった。この子の尻尾が僕のくしゃみの原因だったらしい。
と、寝ている頭の上の方から枯れ葉を掻き分ける音が聞こえてきた。頭をゆっくりと向ける。幸い首はどこも問題なかったらしくて、痛みもなく動かせた。
サラリ、と長い黒髪がカーテンのように僕の視界を奪う。
「えっ」
何事!? と思って真上を見ると、気を失う前に見た記憶がある、守り人の若い男が僕を上から覗き込んでいた。四つん這いになって、僕をじっと見つめている。
光が遮断された空間の中でも分かる。随分と整った顔の男だった。
切れ長の瞳にすっとした鼻梁、薄くて温かみのある色の唇。頬はやや痩け気味だけど、僕の頭の横に突いている腕は逞しい。無駄な肉がないってこういう人のことを言うんだなあ、とぼんやりと思った。
……なんだけど。
お願いだから何か喋ってほしい。
「あ、あのぉ、」
そうだ。この人が保守派の人だと、色々と面倒くさい。とりあえず愛想を振りまこう、と引きつりながらも笑うと、男は金色の瞳を大きく開いて驚いた顔をした。え? どういう反応?
「貴方が助けてくれたんですよね? あの、ありがとうございます」
よくよく観察してみると、僕が仰向けに寝かされているのは、植物からできたであろう編布だ。お腹から足にかけても同じような乾燥した植物の色をした布が掛けられている。横に投げ出された両腕には、薬草なのか、濡れた大きな葉が巻かれていた。
転げ落ちてきたと思ったら気絶してしまった他人の僕を、この人が寝かせてくれた上に手当もしてくれたんだろう。悪い人じゃなさそうだ。心の中で小さな安堵の息を吐く。
男が、口を半分開けた。何かを言いたそうにしているけど、一向に声が出てこない。どうしたんだろう?
「オ……オレ、」
「は、はい」
男は目を落ち着きなく彷徨わせた。ふてぶてしいくらいに落ち着き過ぎた雰囲気の村の守り人たちと比べると、随分と感情豊かに見える。
「お前、た……助けた」
「あ、はい。ありがとうございます……?」
とりあえず小刻みに頷く。男はあからさまにホッとした表情に変わった。あれ? やっぱり他の守り人とは印象がかなり違う。威張っていないというか、むしろオドオドした雰囲気だ。
あ、もしかして革新派の人だったりして? と気付く。革新派の人なら、僕に冷たい目線を向けないのも納得できた。
「お前……な、名前」
「あ、僕ですか? 僕はアーウィンです!」
僕が名乗ると、男は口の中で何度も「アーウィン、アーウィン……」と繰り返す。
「あの、貴方のお名前を聞いてもいいですか?」
思ったよりも優しそうな人でよかったなあ、なんて思いながら男に尋ねると。
「……ッ」
それまで僕から目を逸らさなかった男が、ふいっと目を逸してしまった。あれ、聞いちゃいけなかった? え、でも名前を聞いただけなんだけど。
「……あのぉ? どうかされました?」
男の目が、泳ぎまくる。影になった顔の中で、金色の瞳だけがやけに輝いているように見えた。うわあ、綺麗だなあ。後でじっくり観察させてくれないかな。どんな虹彩か興味がある。
下唇をぷ、と出した男が、ボソボソと答えた。
「オレ……名前、ない」
「え? そんなことないでしょ」
驚きすぎて思わずタメ口になってしまった。だってこの人、見た目は男臭いけど、仕草が子供っぽくて可愛いから、つい。
男は、とても言いにくそうに呟く。
「……みんな、には、……『贄』、呼ばれてた」
「は? え、ちょっと待って、『贄』って生贄の贄? なんでそんな酷い呼び方を」
守り人の文化は、未だ謎に包まれている。だからもしかしたら生贄文化はあるのかもしれないけど、道理を分かってそうなあの長老がそんな存在を許すものだろうか。
「だ、だから……名前、ない」
しょんぼりとする男を見ていたら、ムカムカと腹が立ってきた。酷い、あんまりだ。例え文化的に生贄文化があったとしても、名前も与えないなんて非人道的すぎる!
「じゃあ、僕が貴方の名前を決めてもいい?」
僕の言葉を聞いた男が、目を大きく見開く。
「――ッ、い、いい……のか?」
「だって僕は『贄』とは呼びたくないし、貴方としか呼べないのは不便だしね」
「う……うん!」
黄金の瞳が、期待からか輝き始めた。男は僕の次の言葉を待っているのか、ジーッと食い入るように僕の目を凝視してくる。うわ、なんか……この人、可愛いなあ。
僕は弟弟子で、僕より下に弟子はいなかった。両親とは幼い頃に死別しているし、血の繋がった兄弟もいない。
きっと、だからだ。
むくむくと湧き起こる庇護欲という名の正義感に満ちてしまったのは。
絶対いい名前を考えてあげるから! という意味を込めて頷くと、僕は考えに考えた。世界樹の守り人、世界樹、ユグドラシル、ユグ……。
うん、決めた。
「――今日から貴方の名前は『ユグ』だ」
「ユグ?」
「うん。僕たちが出会った世界樹から取ってみたんだけど、どうかな?」
短ければ、喋ることに難がありそうな彼でもすぐに名乗れるんじゃないかと思ったのもある。それに『贄』なんて酷いものじゃなくて、世界の象徴である世界樹にちなんだ名前なら、彼が卑下することもないんじゃないか。
どうかな、気に入ったかな? ドキドキしながら返事を待っていると。
「ユグ……オレ、ユグ!」
ユグが、大輪の花が咲いたような眩しい笑みを惜しげもなく見せた。
一瞬、全てを忘れるほどの艶やかさだった。
はうう……っ! か、可愛い……!
「アーウィン、名前、ありがと!」
「き、気に入ったならよか……わっ」
ユグは突然顔を近づけたと思うと、僕の頬を大きな手でガシッと掴み。
「……へっ!?」
逆さ向きになった状態のユグの息が、顔に吹きかかる。
「アーウィン!」
「んんんんっ!」
ユグは呑み込みそうな勢いで、荒々しく僕の唇を奪ったのだった。
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