1 / 56
1 最悪なバースデイ・イブ
しおりを挟む
柔らかい、かき氷みたいな雪がシンシンと降る夜。
俺はボストンバッグを肩掛けにしつつ、当て所なく街を彷徨っていた。
今日、どこで寝よう。
目下の悩みは、それだった。
付き合って三年になる恋人の涼真と暮らす家に予定より早く帰宅した俺の目に飛び込んできたのは、涼真が若い男を抱いている場面だった。
誰だろう。知らない奴だ。そう考えた後、涼真の知り合いなんて元々紹介されてなかったな、と気付く。
あまりの光景に寝室のドアの前から動けないでいると、抱かれている方の男が甘えた声を出す。
「ねえ、いつになったらあの子と別れる訳?」
あの子って誰のこと。
涼真が苦笑混じりに返した。
「あいつさ、元は家出少年だったし、バイト生活だからさ。家を借りるのも大変だろうしって考えたら、なかなか言い出せなくてさ」
思わず「え」と声が出そうになって、慌てて口を押さえた。
そう……だったのか。じゃあ昨日俺を抱いたのは、義理だったってことか? 恋人って思ってたのは、もしかして俺だけ?
突然知る事実に足は動かず、俺はそのまま聞きたくない二人の会話を聞き続ける。
「元はノンケだったのに開発しちゃったの俺だしさあ」
「うわあ、酷い男。でも今も抱いてるんでしょ?」
「家賃だって、家賃」
「サイテー」
喘ぎ声の合間にくすくすと笑う男の声が、耳障りだった。
「あいつだって、行く所がないから俺といるだけだと思うぜ」
何言ってんの。困ってた俺に手を差し伸べてくれた唯一の人だったから、その優しさに絆されて好きになったのに。
そんなことを思われてたんだ。
俺といるのは同情からだったんだ。
俺を抱くのは家賃代わりだったんだ。
目の前で他の男を抱いている涼真に、家賃代わりだといって抱かれたくはない。あれは、俺の中では大好きな涼真を満足させてあげようっていう精一杯の想いからきた行為だったから。
愕然として、この場から立ち去りたくなった。でも、俺の持ち物は寝室のクローゼットの中にある。大した量じゃないけど、あれは俺の貴重な私財だ。
置いていって捨てられるのは嫌だ。だったら取りに入るしかない。
でも、どんな顔をして涼真を見たらいいのか分からない。
だから、伸びてしまった前髪を指でぐしゃぐしゃにして、目を隠した。
「ちょっと失礼」
ドアを大きく開けて、スタスタとクローゼットの方に向かう。
「え……!? うわっ!」
「え!? なになに、誰!」
繋がったままの二人が、ベッドの上から俺を見て驚いた顔を見せた。なんて間抜け面だ。ザマアミロ。
「荷物取るだけだから」
そう言って、ボストンバッグに自分の荷物を詰めていく。
「り、陸?」
「出ていってほしいんだろ? お望み通り出ていってやるよ」
背中を向けたまま、苛立ちを隠さずに吐き捨てるように言った。
ジッとジッパーを閉じると、左肩に背負う。
「ま、待ってくれ陸! 違うんだ、これはそういうつもりじゃなくって……!」
涼真は慌てて男から離れると、床に落ちていた下着を履こうとして失敗し、床に転がった。
「家賃代は昨日払ったね。バイバイ」
「陸! 待ってくれ、ごめん、嘘なんだ!」
浮気者が何かを言っているけど、俺は許す気はもうなかった。
ドアの前で振り返る。
「その人とお幸せに」
「陸! 違うんだ! 待っ――!」
バタンと勢いよくドアを閉めると、食卓の上に鍵を置いた。先程俺がバイト先で買ってきたショートケーキがふたつ置かれている横に。
俺はそのまま家を飛び出した。
そして目下、今宵の宿はどこにすべきかと悩んでいるところだ。
ネカフェもいいけど、連日となると費用が嵩む。バイト代はほぼ貯金に回してたからすぐに無一文になることはなかったけど、でもネカフェ住民になれるほどの資金はない。
そこでふと思いつく。
バイト先のコンビニの休憩室。今日一日だけでも、あそこで寝させてもらえないかと。
「――よし!」
降りしきる雪の中、俺はバイト先へと向かうことにした。
明日は俺の誕生日。だから早く上がらせてもらって、人気ですぐ売り切れるいちごのショートケーキを買って帰った。
十二時を超えたら二人で食べようと思って。
身を切るような冷たい雪を、目からとめどなく溢れる涙が溶かしていく。
「……ハッピーバースデートゥーユー、ハッピーバースデートゥーユー♪ ハッピーバースデーディアりーくー♪ ハッピーバースデートゥーユー」
少し早いけど。
おめでとう、俺。
袖でグシグシと涙を拭うと、俺は雪の中を走り出した。
俺はボストンバッグを肩掛けにしつつ、当て所なく街を彷徨っていた。
今日、どこで寝よう。
目下の悩みは、それだった。
付き合って三年になる恋人の涼真と暮らす家に予定より早く帰宅した俺の目に飛び込んできたのは、涼真が若い男を抱いている場面だった。
誰だろう。知らない奴だ。そう考えた後、涼真の知り合いなんて元々紹介されてなかったな、と気付く。
あまりの光景に寝室のドアの前から動けないでいると、抱かれている方の男が甘えた声を出す。
「ねえ、いつになったらあの子と別れる訳?」
あの子って誰のこと。
涼真が苦笑混じりに返した。
「あいつさ、元は家出少年だったし、バイト生活だからさ。家を借りるのも大変だろうしって考えたら、なかなか言い出せなくてさ」
思わず「え」と声が出そうになって、慌てて口を押さえた。
そう……だったのか。じゃあ昨日俺を抱いたのは、義理だったってことか? 恋人って思ってたのは、もしかして俺だけ?
突然知る事実に足は動かず、俺はそのまま聞きたくない二人の会話を聞き続ける。
「元はノンケだったのに開発しちゃったの俺だしさあ」
「うわあ、酷い男。でも今も抱いてるんでしょ?」
「家賃だって、家賃」
「サイテー」
喘ぎ声の合間にくすくすと笑う男の声が、耳障りだった。
「あいつだって、行く所がないから俺といるだけだと思うぜ」
何言ってんの。困ってた俺に手を差し伸べてくれた唯一の人だったから、その優しさに絆されて好きになったのに。
そんなことを思われてたんだ。
俺といるのは同情からだったんだ。
俺を抱くのは家賃代わりだったんだ。
目の前で他の男を抱いている涼真に、家賃代わりだといって抱かれたくはない。あれは、俺の中では大好きな涼真を満足させてあげようっていう精一杯の想いからきた行為だったから。
愕然として、この場から立ち去りたくなった。でも、俺の持ち物は寝室のクローゼットの中にある。大した量じゃないけど、あれは俺の貴重な私財だ。
置いていって捨てられるのは嫌だ。だったら取りに入るしかない。
でも、どんな顔をして涼真を見たらいいのか分からない。
だから、伸びてしまった前髪を指でぐしゃぐしゃにして、目を隠した。
「ちょっと失礼」
ドアを大きく開けて、スタスタとクローゼットの方に向かう。
「え……!? うわっ!」
「え!? なになに、誰!」
繋がったままの二人が、ベッドの上から俺を見て驚いた顔を見せた。なんて間抜け面だ。ザマアミロ。
「荷物取るだけだから」
そう言って、ボストンバッグに自分の荷物を詰めていく。
「り、陸?」
「出ていってほしいんだろ? お望み通り出ていってやるよ」
背中を向けたまま、苛立ちを隠さずに吐き捨てるように言った。
ジッとジッパーを閉じると、左肩に背負う。
「ま、待ってくれ陸! 違うんだ、これはそういうつもりじゃなくって……!」
涼真は慌てて男から離れると、床に落ちていた下着を履こうとして失敗し、床に転がった。
「家賃代は昨日払ったね。バイバイ」
「陸! 待ってくれ、ごめん、嘘なんだ!」
浮気者が何かを言っているけど、俺は許す気はもうなかった。
ドアの前で振り返る。
「その人とお幸せに」
「陸! 違うんだ! 待っ――!」
バタンと勢いよくドアを閉めると、食卓の上に鍵を置いた。先程俺がバイト先で買ってきたショートケーキがふたつ置かれている横に。
俺はそのまま家を飛び出した。
そして目下、今宵の宿はどこにすべきかと悩んでいるところだ。
ネカフェもいいけど、連日となると費用が嵩む。バイト代はほぼ貯金に回してたからすぐに無一文になることはなかったけど、でもネカフェ住民になれるほどの資金はない。
そこでふと思いつく。
バイト先のコンビニの休憩室。今日一日だけでも、あそこで寝させてもらえないかと。
「――よし!」
降りしきる雪の中、俺はバイト先へと向かうことにした。
明日は俺の誕生日。だから早く上がらせてもらって、人気ですぐ売り切れるいちごのショートケーキを買って帰った。
十二時を超えたら二人で食べようと思って。
身を切るような冷たい雪を、目からとめどなく溢れる涙が溶かしていく。
「……ハッピーバースデートゥーユー、ハッピーバースデートゥーユー♪ ハッピーバースデーディアりーくー♪ ハッピーバースデートゥーユー」
少し早いけど。
おめでとう、俺。
袖でグシグシと涙を拭うと、俺は雪の中を走り出した。
20
お気に入りに追加
407
あなたにおすすめの小説

家事代行サービスにdomの溺愛は必要ありません!
灯璃
BL
家事代行サービスで働く鏑木(かぶらぎ) 慧(けい)はある日、高級マンションの一室に仕事に向かった。だが、住人の男性は入る事すら拒否し、何故かなかなか中に入れてくれない。
何度かの押し問答の後、なんとか慧は中に入れてもらえる事になった。だが、男性からは冷たくオレの部屋には入るなと言われてしまう。
仕方ないと気にせず仕事をし、気が重いまま次の日も訪れると、昨日とは打って変わって男性、秋水(しゅうすい) 龍士郎(りゅうしろう)は慧の料理を褒めた。
思ったより悪い人ではないのかもと慧が思った時、彼がdom、支配する側の人間だという事に気づいてしまう。subである慧は彼と一定の距離を置こうとするがーー。
みたいな、ゆるいdom/subユニバース。ふんわり過ぎてdom/subユニバースにする必要あったのかとか疑問に思ってはいけない。
※完結しました!ありがとうございました!
Take On Me
マン太
BL
親父の借金を返済するため、ヤクザの若頭、岳(たける)の元でハウスキーパーとして働く事になった大和(やまと)。
初めは乗り気でなかったが、持ち前の前向きな性格により、次第に力を発揮していく。
岳とも次第に打ち解ける様になり…。
軽いノリのお話しを目指しています。
※BLに分類していますが軽めです。
※他サイトへも掲載しています。

【完結】ぎゅって抱っこして
かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。
でも、頼れる者は誰もいない。
自分で頑張らなきゃ。
本気なら何でもできるはず。
でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。
【完結】愛執 ~愛されたい子供を拾って溺愛したのは邪神でした~
綾雅(要らない悪役令嬢1巻重版)
BL
「なんだ、お前。鎖で繋がれてるのかよ! ひでぇな」
洞窟の神殿に鎖で繋がれた子供は、愛情も温もりも知らずに育った。
子供が欲しかったのは、自分を抱き締めてくれる腕――誰も与えてくれない温もりをくれたのは、人間ではなくて邪神。人間に害をなすとされた破壊神は、純粋な子供に絆され、子供に名をつけて溺愛し始める。
人のフリを長く続けたが愛情を理解できなかった破壊神と、初めての愛情を貪欲に欲しがる物知らぬ子供。愛を知らぬ者同士が徐々に惹かれ合う、ひたすら甘くて切ない恋物語。
「僕ね、セティのこと大好きだよ」
【注意事項】BL、R15、性的描写あり(※印)
【重複投稿】アルファポリス、カクヨム、小説家になろう、エブリスタ
【完結】2021/9/13
※2020/11/01 エブリスタ BLカテゴリー6位
※2021/09/09 エブリスタ、BLカテゴリー2位
【完結】極貧イケメン学生は体を売らない。【番外編あります】
紫紺
BL
貧乏学生をスパダリが救済!?代償は『恋人のフリ』だった。
相模原涼(さがみはらりょう)は法学部の大学2年生。
超がつく貧乏学生なのに、突然居酒屋のバイトをクビになってしまった。
失意に沈む涼の前に現れたのは、ブランドスーツに身を包んだイケメン、大手法律事務所の副所長 城南晄矢(じょうなんみつや)。
彼は涼にバイトしないかと誘うのだが……。
※番外編を公開しました(10/21)
生活に追われて恋とは無縁の極貧イケメンの涼と、何もかもに恵まれた晄矢のラブコメBL。二人の気持ちはどっちに向いていくのか。
※本作品中の公判、判例、事件等は全て架空のものです。完全なフィクションであり、参考にした事件等もございません。拙い表現や現実との乖離はどうぞご容赦ください。
※4月18日、完結しました。ありがとうございました。
学院のモブ役だったはずの青年溺愛物語
紅林
BL
『桜田門学院高等学校』
日本中の超金持ちの子息子女が通うこの学校は東京都内に位置する野球ドーム五個分の土地が学院としてなる巨大学園だ
しかし生徒数は300人程の少人数の学院だ
そんな学院でモブとして役割を果たすはずだった青年の物語である
日本一のイケメン俳優に惚れられてしまったんですが
五右衛門
BL
月井晴彦は過去のトラウマから自信を失い、人と距離を置きながら高校生活を送っていた。ある日、帰り道で少女が複数の男子からナンパされている場面に遭遇する。普段は関わりを避ける晴彦だが、僅かばかりの勇気を出して、手が震えながらも必死に少女を助けた。
しかし、その少女は実は美男子俳優の白銀玲央だった。彼は日本一有名な高校生俳優で、高い演技力と美しすぎる美貌も相まって多くの賞を受賞している天才である。玲央は何かお礼がしたいと言うも、晴彦は動揺してしまい逃げるように立ち去る。しかし数日後、体育館に集まった全校生徒の前で現れたのは、あの時の青年だった──
聖女召喚されて『お前なんか聖女じゃない』って断罪されているけど、そんなことよりこの国が私を召喚したせいで滅びそうなのがこわい
金田のん
恋愛
自室で普通にお茶をしていたら、聖女召喚されました。
私と一緒に聖女召喚されたのは、若くてかわいい女の子。
勝手に召喚しといて「平凡顔の年増」とかいう王族の暴言はこの際、置いておこう。
なぜなら、この国・・・・私を召喚したせいで・・・・いまにも滅びそうだから・・・・・。
※小説家になろうさんにも投稿しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる