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32 視察

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 このまま問題なく冬季休暇が終わる筈だった。

 だけど残すところあと二週間になった時、状況が変わった。

 今日もお城の図書室でゆったりした時間を過ごして、ゲロルドさんにネムリバナを分けてもらった帰り道。噴水前でアリが急に立ち止まったので僕も足を止めると、アリが言いにくそうに「実は――」と言い出したんだ。

「――え? バルツァー子爵家の領地に視察? アリも同行? なんでまたこんな急に」
「バルツァー子爵家の領地は王都より北にある海沿いの土地なんだが、最近雪の中で咲く花から良質な油が取れることが判明したそうだ。そこでどれくらいの規模で継続的に供給ができそうかといった調査の為の視察に向かうことになったんだ」
「なるほど」

 交易は国の重要な資金源だ。新規取引を始めるにあたって、事業規模を事前調査するのはまあ当然のことなんだろうな。僕はフムフムと頷いた。

「ここのところ、交易では隣国にしてやられているばかりだったからな。この国特有の希少な交易品のひとつとして加えたいという宰相の思惑があるらしい」

 アリの話では、宰相は現在交易の新たな目玉となる物を血眼になって探しているんだとか。宰相補佐のユーネル侯爵だけでなく、宰相府に所属する事務官に片っ端から可能性がありそうな物への視察命令が下されているらしい。大変そうだなあ。

「そうなんだ。でも、なんでアリまで?」
「父様が、『ユーネル家の嫡男として、そろそろ少しずつ経験を積んでいった方がいいだろう』と仰ってくれて……」

 アリはいつもなら、僕と離れるとなると不安でいっぱいな様子になる。だけど今回は、不安と期待とが半々な雰囲気が、アリのどこか興奮した表情から伝わってきていた。

 どうしてだろう? と考えて、すぐにピンとくる。

 アリの睡眠障害の原因のひとつは、ユーネル侯爵からの重圧に対しアリが「期待に応えられないかもしれない」と常に不安に思っているからだと僕は考えている。裏を返せば、つまりアリは父親に認められたい。だからユーネル侯爵が自分を嫡男として認識し、将来の為にと声をかけてくれたと受け取れる今回の誘いは、アリにとって喜ばしいことなんだろう。

 だけど、僕と離れると眠れなくなるかもしれない。その葛藤から、今の複雑な表情になっていると推測した。

 ――だったら僕は、アリを励ますしかない!

「アリ、凄いじゃないか!」
「……ルカ?」

 アリが、驚いたように目を開く。

「ユーネル侯爵は、これまでのアリの頑張りを見て、嫡男に相応しいから色々見て覚えてほしいって思ったんでしょ!?」
「そ……そうなんだろうか?」

 アリはやっぱり不安そうだけど、僕の言葉に「そうかも?」と思い始めたみたいだ。青褪めていた頬が少しずつ熱を帯び、赤らんでいく。うんうん、いい感じに気分が上がっていってるよ!

「そうだよ! それにさ、今回の冬季休暇はネムリバナを使わなくても寝られてるじゃないか! 去年とは大違いだよ! アリはものすごく成長してるんだ、もっと自信を持って!」
「い、言われてみれば確かに……?」

 きっとアリに必要なのは、「自分ならできる」という自信だ。自信は、成功体験を重ねていくことで徐々についていくものだと僕は思っている。

 野菜の栽培で、初年度は枯らしたり虫食いだらけになって収穫がゼロの失敗になっても、めげずに二年目も植えたら小さいけど実が成った。三年目で大分コツを掴んだからか、たわわに実った時には、「僕は育てるのが上手いんだ!」てとっても自信がついたもんね!

「アリ、人間誰しも最初は失敗だらけだよ!」
「ん? あ、ああ……?」
「だけど少しずつできることが増えていって、気が付けばできるのが当たり前になっている、それが自信につながるんだ! だから大丈夫、アリは着実に寝られるようになってるから、とにかく身体を温めるようにすればきっと乗り越えられるよ!」

 僕はそう言うと、ポケットから母様お手製の手袋を取り出した。もう何年も愛用しているものだから毛玉が凄いけど、太い毛糸で編まれているからとっても温かいんだ。

 手袋をアリの手に握らせると、そのまま手をぎゅっと握り込む。

「アリ、これを視察のお守りとして持っていってよ! ボロボロだから見栄えはあれかもしれないけど凄く温かいから、ポケットに入れておいて寒くなったら手を突っ込めばいいと思うんだよね!」
「ルカ……!? え、いいのか!?」

 アリが、嬉しそうに目を細めた。

「勿論だよ! あと、念の為ネムリバナの花びらも持って行ったらいいよ! 今なら戻って摘ませてもらえるよ、ね!」
「ルカ……! 俺の天使様――いや、太陽はなんて心優しいんだ……!」

 うん、言い直さなくていいよ! 

 しかし、こうも事あるごとにポロッと出てくるってことは、アリってもしかして心の中ではいつも僕のことを『俺の天使様』って呼んでない?

「アリ、ユーネル侯爵と二人きりで過ごすのは久々でしょ? これは沢山親子の会話をするいい機会だと思う! だからさ、沢山話しておいでよ!」
「ああ! ルカ……ありがとう……!」

 アリは涙ぐみながら僕の身体を引き寄せると、すっぽりと僕の身体を腕で包み込む。

「……ちゃんと温かくするようにする。約束する」
「うん、絶対だよ!」

 僕が見上げると、アリは感極まった様子で真っ直ぐに僕を見つめていた。祈るような眼差しに、庇護欲がブワッと溢れ出す。

「……アリならできる、大丈夫」
「ルカ……」

 寒風吹き荒ぶ、花園の噴水前で。

 僕たちはどちらからともなく顔を近付け瞼を閉じると、そっと唇を重ね合わせたのだった。
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