20 / 107
20 眠れない原因
しおりを挟む
それからというもの、くっつき合いながらの質問の時間が、僕たちの寝る前の恒例行事になった。
図らずもずっと溜め込んでいたものを吐き出せて、アリは気が楽になったのかもしれない。入眠までの時間が以前より早くなり、目の下のクマも大分薄くなった。
まだ根本的解決までは至ってないけど、こうして話を聞くだけでもかなりの効果があるみたいだ。やってよかったと、心底思う。
アリから色々な話を聞いた僕は、確信していた。アリの睡眠障害は、やっぱりお父さんであるユーネル侯爵からの容赦ない重圧が原因だと。
だって、聞けば聞くほど凄いんだ。小さい頃から家庭教師がついていて、朝から晩まで勉強漬け。食事の時間はその日学んだことを報告し、理解していないと判断されたら「そんなことでは侯爵位は継げないぞ」と叱責される。
「侯爵家の名に恥じぬように」。呪詛のように言われ続けたアリは、人一倍失敗を恐れるようになってしまった。そりゃそうなるよ……。
せめてアリに息抜きできる場所があればよかったんだと思う。だけどアリには、それがなかった。
アリは五歳の時に、母親を亡くしている。現在のユーネル侯爵夫人は、後妻だ。グスタフ殿下の十歳の生誕パーティーの少し前に、十歳違いの腹違いの弟を産んでいる。
あの日アリは、「不甲斐ないままだと生まれたばかりの弟に家督を奪われるかもしれないぞ。しっかりやるように」とユーネル侯爵に脅されていたんだ。勿論、アリ本人には脅されているつもりは一切ない。困ったことに。
にしても、これって普通に酷くない? 聞いた時は、開いた口が塞がらなかった。そりゃあ重圧で台詞を噛みもする訳だよ。僕ならパーティー自体を辞退すると思う。
ちなみにユーネル公爵夫人はどんな人かというと、かなり大人しめの人だとか。アリに何か言ってきたりすることもない代わり、親しくもないまま現在に至っているんだって。
「――アリはいつから眠れなくなったの?」
明日は前期の修了式という今夜、僕はずっと気になっていた質問をアリにした。最初に聞いてもよかったけど、アリの背景にあることを理解しないまま聞いても意味がない。だから満を持しての今日の質問だった。
アリは僕の額にコツンと額をつけると、小さく唸る。最近は、夜話す時はもうずっとこの距離だ。
「うーん……具体的にはよく覚えていないんだが……。侍者の言うことには、母様が亡くなられた辺りから眠りが浅くなっていったと聞いた」
「……アリのお母さんはどんな人だったの?」
「明るい人だったよ。いつも笑っていて、お転婆で」
「お転婆? 意外」
アリが懐かしそうに目を細める。
「庭の木登りの方法を教えてくれたのも母様だし、忙しくて殆ど家にいない父様に代わり剣術の初歩を教えてくれたのも母様だ」
「ええ? それは凄いね」
貴族の女性は貞淑でたおやかであれ、が一般的である中、それは相当なお転婆具合だ。
「元は騎士団を目指していたが、家同士の約束で卒業と共に父様の元に嫁いだと聞いた。女性で騎士科を選考した最初の人だったらしいぞ」
「ふふ、格好いいね」
「だろう」
アリの目が、優しい弧を描いた。きっと、母親のことが大好きだったんだろうな。
「……母様が亡くなられた原因は、町で馬車に轢かれそうになっていた平民の子を助けたからだ」
「え……っ」
突然の衝撃の告白に、僕は思わず息を呑んだ。
「馬に正面から蹴られた上、倒れた馬車の下敷きになった。子どもが助かったのが幸いだったが――」
触れ合う額が、小刻みに揺れる。
「アリ……!」
アリは苦しそうに、全身を震わせていた。今すぐ抱き締めてあげなくちゃ。溢れんばかりの庇護欲を抑え切れなくて、すぐさまアリの背中に腕を回す。アリも縋るように、僕の身体を引き寄せた。
「母様は立派だったと俺は思う。人の為になるようにと常日頃から言っていたから、最期まで信念を貫いたんだと思った」
「うん……」
「だけど……瞼を閉じると、母様が血溜まりの中で動かなくなる姿が浮かび上がって……っ」
本当は、もう語らせたくない。だけど同時に、言わせてあげたいと思ったんだ。
「アリ、僕がいる。だから大丈夫、何でも言っていいよ」
「ルカ……ッ」
アリはぎゅうう、と僕を抱く腕に力を込めると、涙声で続けた。
「先ほどまで笑っていた人の中から血が流れていき抜け殻になっていく様は、悪夢だった……! あんなにも大好きだった母様を、俺は恐ろしいと思ってしまったんだ……駆け寄ることもせず、悲鳴を上げているばかりで!」
アリの口から、嗚咽が漏れ始める。息苦しそうに震える身体は、やっぱり冷たい。
「葬儀の際……父様に、お前はあの女のような愚かな行動を取るなと言われた」
「は……!? なにそれ……っ!」
これまでは、なるべく余計な口を挟まず聞くことに徹していた。だけどこれはない。あまりにも酷すぎる。目の前で無惨な事故で母親を亡くした子どもに向かって言う言葉じゃ、絶対ないから!
「……瞼を閉じると、あの場面が目の前に浮かぶ。だから俺は母様は本当に愚かだったのか、怖がった俺は駄目息子なのかと自問自答を繰り返している内に……気が付けば眠れなくなっていた」
「アリ……」
アリの眠れない原因は、お母さんの死とお父さんからの重圧とが複雑に絡み合ったものだったんだ。
抱き締める以外、僕にしてあげられることは何もない。だからただひたすらに、腕に力を込める。
アリが、震え声で囁いた。
「こうして抱き締めてもらうのは、母様以来なんだ……」
「! 僕ならいくらでも抱き締めてあげられるから! だから遠慮しないで!」
こんな顔をしたら絶対アリが気にするから嫌なのに、僕の涙腺は勝手に崩壊して、どんどんアリの肌を濡らしていく。
僕の涙に気付いたアリが、息を呑み、顔を引いて僕の顔を見た。青い目を大きく見開くと、僕の涙を親指の腹で優しく拭う。
「……涙さえも、ルカは温かいな」
アリは潤んだ瞳を緩ませると、そっと唇同士を重ねた。
いつもは軽く触れて終わるキスは、今日は暫く離れることがなかった。
図らずもずっと溜め込んでいたものを吐き出せて、アリは気が楽になったのかもしれない。入眠までの時間が以前より早くなり、目の下のクマも大分薄くなった。
まだ根本的解決までは至ってないけど、こうして話を聞くだけでもかなりの効果があるみたいだ。やってよかったと、心底思う。
アリから色々な話を聞いた僕は、確信していた。アリの睡眠障害は、やっぱりお父さんであるユーネル侯爵からの容赦ない重圧が原因だと。
だって、聞けば聞くほど凄いんだ。小さい頃から家庭教師がついていて、朝から晩まで勉強漬け。食事の時間はその日学んだことを報告し、理解していないと判断されたら「そんなことでは侯爵位は継げないぞ」と叱責される。
「侯爵家の名に恥じぬように」。呪詛のように言われ続けたアリは、人一倍失敗を恐れるようになってしまった。そりゃそうなるよ……。
せめてアリに息抜きできる場所があればよかったんだと思う。だけどアリには、それがなかった。
アリは五歳の時に、母親を亡くしている。現在のユーネル侯爵夫人は、後妻だ。グスタフ殿下の十歳の生誕パーティーの少し前に、十歳違いの腹違いの弟を産んでいる。
あの日アリは、「不甲斐ないままだと生まれたばかりの弟に家督を奪われるかもしれないぞ。しっかりやるように」とユーネル侯爵に脅されていたんだ。勿論、アリ本人には脅されているつもりは一切ない。困ったことに。
にしても、これって普通に酷くない? 聞いた時は、開いた口が塞がらなかった。そりゃあ重圧で台詞を噛みもする訳だよ。僕ならパーティー自体を辞退すると思う。
ちなみにユーネル公爵夫人はどんな人かというと、かなり大人しめの人だとか。アリに何か言ってきたりすることもない代わり、親しくもないまま現在に至っているんだって。
「――アリはいつから眠れなくなったの?」
明日は前期の修了式という今夜、僕はずっと気になっていた質問をアリにした。最初に聞いてもよかったけど、アリの背景にあることを理解しないまま聞いても意味がない。だから満を持しての今日の質問だった。
アリは僕の額にコツンと額をつけると、小さく唸る。最近は、夜話す時はもうずっとこの距離だ。
「うーん……具体的にはよく覚えていないんだが……。侍者の言うことには、母様が亡くなられた辺りから眠りが浅くなっていったと聞いた」
「……アリのお母さんはどんな人だったの?」
「明るい人だったよ。いつも笑っていて、お転婆で」
「お転婆? 意外」
アリが懐かしそうに目を細める。
「庭の木登りの方法を教えてくれたのも母様だし、忙しくて殆ど家にいない父様に代わり剣術の初歩を教えてくれたのも母様だ」
「ええ? それは凄いね」
貴族の女性は貞淑でたおやかであれ、が一般的である中、それは相当なお転婆具合だ。
「元は騎士団を目指していたが、家同士の約束で卒業と共に父様の元に嫁いだと聞いた。女性で騎士科を選考した最初の人だったらしいぞ」
「ふふ、格好いいね」
「だろう」
アリの目が、優しい弧を描いた。きっと、母親のことが大好きだったんだろうな。
「……母様が亡くなられた原因は、町で馬車に轢かれそうになっていた平民の子を助けたからだ」
「え……っ」
突然の衝撃の告白に、僕は思わず息を呑んだ。
「馬に正面から蹴られた上、倒れた馬車の下敷きになった。子どもが助かったのが幸いだったが――」
触れ合う額が、小刻みに揺れる。
「アリ……!」
アリは苦しそうに、全身を震わせていた。今すぐ抱き締めてあげなくちゃ。溢れんばかりの庇護欲を抑え切れなくて、すぐさまアリの背中に腕を回す。アリも縋るように、僕の身体を引き寄せた。
「母様は立派だったと俺は思う。人の為になるようにと常日頃から言っていたから、最期まで信念を貫いたんだと思った」
「うん……」
「だけど……瞼を閉じると、母様が血溜まりの中で動かなくなる姿が浮かび上がって……っ」
本当は、もう語らせたくない。だけど同時に、言わせてあげたいと思ったんだ。
「アリ、僕がいる。だから大丈夫、何でも言っていいよ」
「ルカ……ッ」
アリはぎゅうう、と僕を抱く腕に力を込めると、涙声で続けた。
「先ほどまで笑っていた人の中から血が流れていき抜け殻になっていく様は、悪夢だった……! あんなにも大好きだった母様を、俺は恐ろしいと思ってしまったんだ……駆け寄ることもせず、悲鳴を上げているばかりで!」
アリの口から、嗚咽が漏れ始める。息苦しそうに震える身体は、やっぱり冷たい。
「葬儀の際……父様に、お前はあの女のような愚かな行動を取るなと言われた」
「は……!? なにそれ……っ!」
これまでは、なるべく余計な口を挟まず聞くことに徹していた。だけどこれはない。あまりにも酷すぎる。目の前で無惨な事故で母親を亡くした子どもに向かって言う言葉じゃ、絶対ないから!
「……瞼を閉じると、あの場面が目の前に浮かぶ。だから俺は母様は本当に愚かだったのか、怖がった俺は駄目息子なのかと自問自答を繰り返している内に……気が付けば眠れなくなっていた」
「アリ……」
アリの眠れない原因は、お母さんの死とお父さんからの重圧とが複雑に絡み合ったものだったんだ。
抱き締める以外、僕にしてあげられることは何もない。だからただひたすらに、腕に力を込める。
アリが、震え声で囁いた。
「こうして抱き締めてもらうのは、母様以来なんだ……」
「! 僕ならいくらでも抱き締めてあげられるから! だから遠慮しないで!」
こんな顔をしたら絶対アリが気にするから嫌なのに、僕の涙腺は勝手に崩壊して、どんどんアリの肌を濡らしていく。
僕の涙に気付いたアリが、息を呑み、顔を引いて僕の顔を見た。青い目を大きく見開くと、僕の涙を親指の腹で優しく拭う。
「……涙さえも、ルカは温かいな」
アリは潤んだ瞳を緩ませると、そっと唇同士を重ねた。
いつもは軽く触れて終わるキスは、今日は暫く離れることがなかった。
1,788
お気に入りに追加
2,791
あなたにおすすめの小説
実はαだった俺、逃げることにした。
るるらら
BL
俺はアルディウス。とある貴族の生まれだが今は冒険者として悠々自適に暮らす26歳!
実は俺には秘密があって、前世の記憶があるんだ。日本という島国で暮らす一般人(サラリーマン)だったよな。事故で死んでしまったけど、今は転生して自由気ままに生きている。
一人で生きるようになって数十年。過去の人間達とはすっかり縁も切れてこのまま独身を貫いて生きていくんだろうなと思っていた矢先、事件が起きたんだ!
前世持ち特級Sランク冒険者(α)とヤンデレストーカー化した幼馴染(α→Ω)の追いかけっ子ラブ?ストーリー。
!注意!
初のオメガバース作品。
ゆるゆる設定です。運命の番はおとぎ話のようなもので主人公が暮らす時代には存在しないとされています。
バースが突然変異した設定ですので、無理だと思われたらスッとページを閉じましょう。
!ごめんなさい!
幼馴染だった王子様の嘆き3 の前に
復活した俺に不穏な影1 を更新してしまいました!申し訳ありません。新たに更新しましたので確認してみてください!
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
嫌われ公式愛妾役ですが夫だけはただの僕のガチ勢でした
ナイトウ
BL
BL小説大賞にご協力ありがとうございました!!
CP:不器用受ガチ勢伯爵夫攻め、女形役者受け
相手役は第11話から出てきます。
ロストリア帝国の首都セレンで女形の売れっ子役者をしていたルネは、皇帝エルドヴァルの為に公式愛妾を装い王宮に出仕し、王妃マリーズの代わりに貴族の反感を一手に受ける役割を引き受けた。
役目は無事終わり追放されたルネ。所属していた劇団に戻りまた役者業を再開しようとするも公式愛妾になるために偽装結婚したリリック伯爵に阻まれる。
そこで仕方なく、顔もろくに知らない夫と離婚し役者に戻るために彼の屋敷に向かうのだった。
【完結】薄幸文官志望は嘘をつく
七咲陸
BL
サシャ=ジルヴァールは伯爵家の長男として産まれるが、紫の瞳のせいで両親に疎まれ、弟からも蔑まれる日々を送っていた。
忌々しい紫眼と言う両親に幼い頃からサシャに魔道具の眼鏡を強要する。認識阻害がかかったメガネをかけている間は、サシャの顔や瞳、髪色までまるで別人だった。
学園に入学しても、サシャはあらぬ噂をされてどこにも居場所がない毎日。そんな中でもサシャのことを好きだと言ってくれたクラークと言う茶色の瞳を持つ騎士学生に惹かれ、お付き合いをする事に。
しかし、クラークにキスをせがまれ恥ずかしくて逃げ出したサシャは、アーヴィン=イブリックという翠眼を持つ騎士学生にぶつかってしまい、メガネが外れてしまったーーー…
認識阻害魔道具メガネのせいで2人の騎士の間で別人を演じることになった文官学生の恋の話。
全17話
2/28 番外編を更新しました
婚約者の態度が悪いので婚約破棄を申し出たら、えらいことになりました
神村 月子
恋愛
貴族令嬢アリスの婚約者は、毒舌家のラウル。
彼と会うたびに、冷たい言葉を投げつけられるし、自分よりも妹のソフィといるほうが楽しそうな様子を見て、アリスはとうとう心が折れてしまう。
「それならば、自分と妹が婚約者を変わればいいのよ」と思い付いたところから、えらいことになってしまうお話です。
登場人物たちの不可解な言動の裏に何があるのか、謎解き感覚でお付き合いください。
※当作品は、「小説家になろう」、「カクヨム」にも掲載しています
兄たちが弟を可愛がりすぎです
クロユキ
BL
俺が風邪で寝ていた目が覚めたら異世界!?
メイド、王子って、俺も王子!?
おっと、俺の自己紹介忘れてた!俺の、名前は坂田春人高校二年、別世界にウィル王子の身体に入っていたんだ!兄王子に振り回されて、俺大丈夫か?!
涙脆く可愛い系に弱い春人の兄王子達に振り回され護衛騎士に迫って慌てていっもハラハラドキドキたまにはバカな事を言ったりとしている主人公春人の話を楽しんでくれたら嬉しいです。
1日の話しが長い物語です。
誤字脱字には気をつけてはいますが、余り気にしないよ~と言う方がいましたら嬉しいです。
番を辞めますさようなら
京佳
恋愛
番である婚約者に冷遇され続けた私は彼の裏切りを目撃した。心が壊れた私は彼の番で居続ける事を放棄した。私ではなく別の人と幸せになって下さい。さようなら…
愛されなかった番
すれ違いエンド
ざまぁ
ゆるゆる設定
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる