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10 学校の温室
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暫しの抱擁の後。
アリは抱き締めていた僕を唐突に離すと、踵を返して廊下に向かい始めた。――え? なに!? どういうこと!?
僕の混乱にはお構いなく、アリはちらりと一瞥をくれると涼やかな声で告げる。
「ルカ、温室に案内する」
「え!? あ、う、うんっ」
正直「さっきの抱擁は何!?」と困惑していたけど、アリがスタスタ先に行ってしまうので、急いで追いかける以外の選択肢はない。
アリに続いて部屋の外に出た。アリは、首からぶら下げていた太めのチェーンのネックレスを手繰り寄せる。先端に付いている銀色の鍵を手に持ち、僕に見せてくれた。
「これはこの部屋の鍵だ。基本、鍵は二人に付きひとつだけ渡される。無くした場合はジョアンが予備を持っているが、一ヶ月間の調理場の手伝いか風呂掃除の懲罰を課される。絶対なくさないように」
「わ、分かった」
ちなみに万が一鍵を無くしてしまった場合は、安全性を鑑みて鍵が付け替えられることになっているそうな。さすがは貴族専用の寄宿学校だ。
アリが真顔で尋ねる。
「鍵はどちらが持つ?」
「ええと……じゃあアリが持っていてくれるかな? 僕が持ってると、温室で落としたりするかもしれないし」
つい夢中になって気付いたら落としていた、なんてことも十分にあり得る。アリはあっさり「分かった」と返すと、部屋の鍵を閉めて鍵を胸元にしまった。
「温室は男子寮の裏側にある。こっちだ」
「はいっ!」
姿勢良くきびきびとした動きで歩き出すアリの隣に慌てて追いつくと、僕たちは温室に向かった。
◇
ネムリバナを植える為にわざわざ新築された温室は、アルの言う通り男子寮の裏側にあった。
「――えっ!?」
そこにいたのは、作業用の麦わら帽子を被った、がっしりとした体格の中年男性だった。彼の姿を目にした瞬間、僕の顔に大きな笑みが広がる。
「――ゲロルドさんっ!」
「おおルカ坊ちゃん、到着しましたか。お待ちしてましたよ」
僕の園芸の師である、宮廷庭師のゲロルドさんだ。整えられた焦げ茶の顎髭を撫でながら、笑顔で手を振ってくれた。尊敬して止まないゲロルドさんの逞しい胸に、大喜びで飛び込む。
「本物だ! 出発前に挨拶に行ったらいなくて寂しかったんですよ!」
抱きついたまま、ゲロルドさんを見上げる。よく日に焼けた顔が、優しい横皺をたたえて穏やかに見つめ返していた。
「あはは、ほらルカ坊ちゃん。折角の制服が汚れてしまいますから」
くーっ! 格好いい! 僕もゲロルドさんの年くらいになったら、こんな風に健康的で素敵な横皺ができる男になりたい! ゲロルドさんて渋くて寡黙で芯が通っていて、素敵な大人なんだよね!
「だって……っ! 冬まで会えないかもしれないって思ってたから嬉しくて!」
「これはこれは、嬉しいことを仰ってくれますね」
ゲロルドさんは装着していた軍手を脱ぐと、僕の頭をさらりと撫でてくれた。嬉しくて、ついクフフと笑いが漏れる。
「ゲロルドさんはいつからここに?」
「数日前からですね。植え替えてすぐは定着しないので、早めに来て様子を見ていたんですよ」
「そうだったんですか! なんだ、知ってたらもっと早く来たのに!」
準備もあったけど、なんせ兄様が「ギリギリまで行かないでくれえ!」と泣きつくものだから、入寮可能期間の最終日まで引き伸ばされていたんだよね。引き継ぎと挨拶も兼ねてお城の花園に行ったら、ゲロルドさんは出張中だって部下の人に言われて凹んでいた。なのにまさかここで会えるなんて!
僕がゲロルドさんとの再会を喜んでいると、ふとゲロルドさんが顔を上げる。僕たちの様子を少し離れた場所で佇みながら眺めていたアリに気付き、会釈をした。
どこか硬い表情のアリが、尋ねる。
「……二人は随分と仲がいいのだな」
「うん! ゲロルドさんは僕の園芸のお師匠様なんだ!」
「……そうか」
ゲロルドさんは僕の肩をそっと押して僕から距離を置くと、アリに向かって深々と頭を下げた。
「アルフレート様、お気に触ったのなら申し訳ございません」
「いや、そういうつもりでは」
アリが気不味そうに目線を落とす。ここで僕はようやく気付いた。僕は普段貴族と過ごすことの方が珍しいから気にもしていなかったけど、ゲロルドさんは平民だ。平民の彼に僕が懐きまくっていることに、生粋の高位貴族であるアリは違和感満載だったに違いない。
「その、随分と親しげだったので驚いただけだ。気にしなくていい」
「……では、そのように」
ゲロルドさんはもう一度頭を下げると、目元だけ小さく綻ばせる。僕の頭に大きくて分厚い手をぽんと乗せた。
「では温室を案内しましょうか」
「――はい!」
ゲロルドさんの言葉に、僕は文字通り飛び跳ねて喜んだのだった。
アリは抱き締めていた僕を唐突に離すと、踵を返して廊下に向かい始めた。――え? なに!? どういうこと!?
僕の混乱にはお構いなく、アリはちらりと一瞥をくれると涼やかな声で告げる。
「ルカ、温室に案内する」
「え!? あ、う、うんっ」
正直「さっきの抱擁は何!?」と困惑していたけど、アリがスタスタ先に行ってしまうので、急いで追いかける以外の選択肢はない。
アリに続いて部屋の外に出た。アリは、首からぶら下げていた太めのチェーンのネックレスを手繰り寄せる。先端に付いている銀色の鍵を手に持ち、僕に見せてくれた。
「これはこの部屋の鍵だ。基本、鍵は二人に付きひとつだけ渡される。無くした場合はジョアンが予備を持っているが、一ヶ月間の調理場の手伝いか風呂掃除の懲罰を課される。絶対なくさないように」
「わ、分かった」
ちなみに万が一鍵を無くしてしまった場合は、安全性を鑑みて鍵が付け替えられることになっているそうな。さすがは貴族専用の寄宿学校だ。
アリが真顔で尋ねる。
「鍵はどちらが持つ?」
「ええと……じゃあアリが持っていてくれるかな? 僕が持ってると、温室で落としたりするかもしれないし」
つい夢中になって気付いたら落としていた、なんてことも十分にあり得る。アリはあっさり「分かった」と返すと、部屋の鍵を閉めて鍵を胸元にしまった。
「温室は男子寮の裏側にある。こっちだ」
「はいっ!」
姿勢良くきびきびとした動きで歩き出すアリの隣に慌てて追いつくと、僕たちは温室に向かった。
◇
ネムリバナを植える為にわざわざ新築された温室は、アルの言う通り男子寮の裏側にあった。
「――えっ!?」
そこにいたのは、作業用の麦わら帽子を被った、がっしりとした体格の中年男性だった。彼の姿を目にした瞬間、僕の顔に大きな笑みが広がる。
「――ゲロルドさんっ!」
「おおルカ坊ちゃん、到着しましたか。お待ちしてましたよ」
僕の園芸の師である、宮廷庭師のゲロルドさんだ。整えられた焦げ茶の顎髭を撫でながら、笑顔で手を振ってくれた。尊敬して止まないゲロルドさんの逞しい胸に、大喜びで飛び込む。
「本物だ! 出発前に挨拶に行ったらいなくて寂しかったんですよ!」
抱きついたまま、ゲロルドさんを見上げる。よく日に焼けた顔が、優しい横皺をたたえて穏やかに見つめ返していた。
「あはは、ほらルカ坊ちゃん。折角の制服が汚れてしまいますから」
くーっ! 格好いい! 僕もゲロルドさんの年くらいになったら、こんな風に健康的で素敵な横皺ができる男になりたい! ゲロルドさんて渋くて寡黙で芯が通っていて、素敵な大人なんだよね!
「だって……っ! 冬まで会えないかもしれないって思ってたから嬉しくて!」
「これはこれは、嬉しいことを仰ってくれますね」
ゲロルドさんは装着していた軍手を脱ぐと、僕の頭をさらりと撫でてくれた。嬉しくて、ついクフフと笑いが漏れる。
「ゲロルドさんはいつからここに?」
「数日前からですね。植え替えてすぐは定着しないので、早めに来て様子を見ていたんですよ」
「そうだったんですか! なんだ、知ってたらもっと早く来たのに!」
準備もあったけど、なんせ兄様が「ギリギリまで行かないでくれえ!」と泣きつくものだから、入寮可能期間の最終日まで引き伸ばされていたんだよね。引き継ぎと挨拶も兼ねてお城の花園に行ったら、ゲロルドさんは出張中だって部下の人に言われて凹んでいた。なのにまさかここで会えるなんて!
僕がゲロルドさんとの再会を喜んでいると、ふとゲロルドさんが顔を上げる。僕たちの様子を少し離れた場所で佇みながら眺めていたアリに気付き、会釈をした。
どこか硬い表情のアリが、尋ねる。
「……二人は随分と仲がいいのだな」
「うん! ゲロルドさんは僕の園芸のお師匠様なんだ!」
「……そうか」
ゲロルドさんは僕の肩をそっと押して僕から距離を置くと、アリに向かって深々と頭を下げた。
「アルフレート様、お気に触ったのなら申し訳ございません」
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「……では、そのように」
ゲロルドさんはもう一度頭を下げると、目元だけ小さく綻ばせる。僕の頭に大きくて分厚い手をぽんと乗せた。
「では温室を案内しましょうか」
「――はい!」
ゲロルドさんの言葉に、僕は文字通り飛び跳ねて喜んだのだった。
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