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1 腹が減った

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 ギュルルルル、と俺の腹が鳴った。

 うーん、我ながらいい音だ。

 覚醒と共に、瞼の向こうがすでに明るいことを知る。

 自分の腹の音で目が覚めるって悲しくね? と思ったけど、事実だから仕方ない。

 重ったるい瞼を無理やり開けると、見慣れたボロアパートの木目の天井がぼやけて見えた。手探りで枕元の眼鏡を掴み、装着する。

 どこかから雨漏りしたんだろう、シミになった一角がちょっぴり顔っぽくて嫌な感じなところも何ひとつ変わらない。ザ・貧乏って感じがふんだんに出ているよな。

 布団の上に大の字になって寝転がっている自分の腹を見た。悲しいくらいに凹んでいる。腹減ったよ。なんか食べたい。

「……大地、いるか?」

 大して広くない空間に向かって声を掛ける。でも返事はなかった。

「……あいつ帰らなかったのか?」

 ガリガリと頭を掻きながら身体を起こす。狭いワンルームのアパートの一室に、同居人の大井大地だいちの姿は見当たらなかった。

 溜息を吐きながらぺたんこの腹を押さえると、再び腹がキュルルル、と「なんか食わせろ」と訴えてくる。ちょっと待てよ、腹の虫。大地が帰ればきっとなんか食えるから、と撫でて慰めた。

 俺、大島そらの同居人、大井大地は高校時代からの親友だ。キッカケは、入学して席が前後になったからという、どこにでもあるような単純なものだった。

 明るくてパッと華やかな見た目の大地が、よく俺なんかみたいな地味男と友達になったもんだと思う。

 黒髪に黒縁眼鏡に、高くも低くもない身長。顔はどっちかっていうと童顔だから、パーカーのフードを被ってると女に間違われることもしばしばある俺とは、見た目からして釣り合わない。クラスの奴らにも、いつも凸凹コンビって言われてた。

 だけど大地はいつも俺に話しかけてくれたし、俺も大地といると楽しかったから結局はつるんでた。

 二年生、三年生と一緒のクラスになり、ずっとつるんだまま高校を卒業。学部は違うものの、都内の同じ大学への進学も決まった時、大地から提案があったんだ。

「このままだと親に学生寮に入れられそうなんだ。自由ほしいからさ、そら、一緒に住まない?」と。

 なんでも、大地の話だと学生寮は朝食は出るものの、夜は門限があったりとなかなかに規則が厳しいらしい。

「ようやく親元を離れて自由に遊べるってのにさ!」

 という大地の意見には俺も賛成だったので、俺も親を説得した。結果、「まあ大地くんが一緒ならいいか」と外面が最高にいい大地の人徳のお陰で、二人暮らしが決まった。

 ちなみに大地の方は「そらくんなら遊ばなそうだものねえ」ということで即オッケーが出たらしい。確かに外で遊び回ったりしないよ、だってどっちかって言わなくても俺はインドア派だし。

 ということで、ひとり暮らしには少し広い、だけどふたり暮らしにはちょっと狭いワンルームの木造アパートでの共同生活が始まって、もうすぐ夏休みという頃。

 俺の貯金が途絶えた。
 
 原因は、親の仕送り漏れだ。

 当然、俺はすぐに親に電話した。だけどなんと二人で船で海外旅行に行っていて、しかも今どきネットバンキングをやってないからすぐに振り込めないときた。

『あんたもアルバイトしたら?』

 なんて返ってきたけど、今後はそうするけど当座の金がねえんだよ! とブチ切れそうになった。

 ということで、頼れるのは大地だけ。でも大地の家は母子家庭で下に高校生の妹もいて、ちょっぴり生活が苦しいのも俺は知っている。

 大地は見目がいいからか、あっさりとカフェ店員のバイト先を見つけてきた。でも、初月給の振込はまだだ。これはいよいよ日雇いバイトをと思って昨夜スマホを使って必死で探したら、通信料が一定量を超えてしまい超スローになってしまった。フリーワイファイ付けてよ大家さん、お願いだから。

 ということで、十時までのバイトを終えて帰ってくる筈の大地を空腹のまま待っている間に、いつの間にか寝てしまっていたらしい。

 横に並べられた大地の布団を見ると、寝た形跡はあった。ということは、俺が寝ている間に帰ってきてまたどこかに行ったってことだ。でも、どこに?

 すると、芳しい香りが俺の鼻孔をくすぐる。はっ、これは――!

 急いで四つん這いのまま台所に向かう。眼鏡のレンズが曇った。なんと炊飯器のランプが炊飯中になっていて、湯気が立ち昇り始めてるじゃないか!

「……米!」

 これは大地が炊いていったものに間違いない。炊飯器の残り炊飯時間を食い入るように見つめた。あと十分。うわ、早く炊けないかな。

 あまりにも楽しみで、肘を突きながら四つん這いになったままのケツを振っていると、ガチャリと玄関のドアが開く音がした。

「……なにケツ振ってんの」

 しまった、恥ずかしいところを見られた。

 俺は腰振りを止めると、ぎこちない笑みを浮かべながらギギギ、と鳴りそうな固さで振り返った。玄関でサンダルを脱いで上がってきているのは、当然だけど大地だ。

 ダボッとした黒いTシャツにハーフパンツを履いてるだけのラフな格好なのに、様になってんのが相変わらず腹立たしい。まあ、自慢の親友なんだけどな!

「見たな」

 恨みがましい視線を向けながら唸ると、大地はこめかみから流れる汗を手の甲で拭き取りながら爽やかに笑った。

「なに、米が炊けるのが待ち遠しいの? かっわいーの」
「うっせ、かわいい言うな」

 炊飯器に向かって胡座を掻く。大地は俺のすぐ横にしゃがみ込むと、エコバッグから卵を取り出してみせた。

「うおっ! 卵じゃん! どうしたのこれ!」

 目を輝かせる俺を見て、大地が微笑む。

「俺も今金欠だからさ、寝ながら腹をぐうぐう言わせまくっているそらをどうやったら腹一杯にさせてやれるだろうって考えたわけ」
「俺の腹、そんなにうるさかった?」
「うん。悲壮だった」

 そんなにか。いや、今も盛大に鳴ってるけどね。

 大地が卵を見つめながら言った。

「幸い、米ならまだ少しある。だけど、二人が腹一杯食うほどは残されていない」
「お、おお」

 大地の真剣な眼差しに、俺は居住まいを正して正座になった。大地ってば、そんなに色々と考えてくれてたのか。さすが俺の大親友。頼りになる。

「ということで、おかゆを作ることにした」
「おお! 頭いいじゃん!」
「だろ?」

 へへ、と笑う大地は、ちょっぴり誇らしげだ。

「そこで俺は以前聞いたことを思い出した。貧乏で食うものに困ったら、栄養素的に卵を食っとけ……という話を」
「まさか、卵とじ!?」

 思わず人差し指を立てると、大地も卵を持っていない方の手で人差し指を立てる。

「そう、その通り!」
「すげえ大地!」
「……そらっていつもすごく褒めてくれるよね、ほんと」

 ボソリと大地が呟いたけど、卵とじに思考を全て持っていかれていた俺は聞いていなかった。

「ん? なにか言った?」
「え? ううん。空耳じゃない?」

 大地がにっこりと笑った。

「ということで、駅前の朝七時から開いているスーパーに行って、売れ残りの卵を買ってきた!」
「偉い、大地! 最高っ!」
「いつ聞いてもいいなあこれ……」
「ん?」
「いや、なんでもないよー」
 
 そうして俺と大地は、狭い台所の床で身体を寄せ合い、炊飯器が炊けた合図を鳴らすまでわくわくと待ち続けたのだった。
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