42 / 89
42 変化
しおりを挟む
今日もぼんやりと無駄に豪奢な天蓋の中心点を眺めていると、これまた豪奢な両開きの扉をコンコン、と叩く音が聞こえた。
俺が出ることが許されていない部屋の外からくる人間なんて、ひとりしかいない。
俺は答えず、顔を窓の方、つまり背中を扉の方に向けた。どうせオリヴィアに違いないからだ。オリヴィア以外でこの部屋に入っていいのは、侍女として雇われているらしい老婆だけだった。
全部が全部、ロイクの采配なんだそうだ。オリヴィアは「ロイクが全部整えてくれたのよ」と言っていたけど、俺は聞かずとも知っている。あいつは俺が男としか関係したことがないのを知った上で、それでも若い女を近付けたくないと思っていることを。
こういうのを作為って言うんだろ。これまでは世間知らずで物事を別の方向から見ることを知らなかった俺に、立場が違えば見え方も違うのだと教えてくれたのはセルジュだった。
セルジュは色んな思惑が渦巻くこの国の中枢で、騎士団長まで上り詰めた男だ。うまく泳いでいく方法を知っていて、当然だった。
だから俺には分かる。ロイクは俺にその気がなくても、相手が俺に少しでも恋心を抱くのを許さないんだ。
オリヴィアはロイクにべた惚れだ。だから俺にセルジュの言う『懸想』をすることはあり得ない。老婆を侍女に選んだのは、恋心なんて枯れているだろうって考えからだろう。あいつの考えそうなことだ。
ちなみに、屋敷内を警護している兵こそ若い男だけど、俺が顔を見ることができたのは露台から飛び降りようとした一回だけだった。
ロイクは、俺に惚れている人間がロイク以外に存在することをよしとしない。そういうのを、狭量っていうんだろ。俺はもうそういうのだって知ってる。
だから、俺が直接知らなかった奴らも前線送りだって集められて、まとめて始末された。
俺を噴水の前で拾い上げたロイクの言葉は、今も悪夢となって毎晩俺を苦しめている。弱い人間は、皆俺より先に死んでしまう。この世で俺より強いのは、ロイクだけ。ロイクだけが、俺の隣にいていい。
とんでもない理屈だけど、ロイクがそう仕組んだ。そして実際、その通りに全てが運ばれている。
俺の世界は、今やロイクの手のひらの上だった。
「――ファビアン? 寝てるの?」
入ってきたのは、やっぱりオリヴィアだった。
腹が立つことに、怪我が治って以降も日々繰り返される治癒のせいで、俺の身体は着実に体力を取り戻しつつあった。
もう来るなよ。何度言っても、オリヴィアは来る。多分ロイクのことだから、俺にやったみたいにオリヴィアの腰にしがみついて「お願いだ」って懇願してるんだろう。オリヴィアはお人好しだから、多分ロイクの良心を信じてしまっている。
ああ、反吐が出そうだ――。
俺はセルジュみたいに眉間に皺を寄せると、ギュッと目を瞑った。話したくない時は寝たふりをするに限る。それでも食事の時間になると起こされるから、ささやかな抵抗にすぎないけど。
すると。
モゾ、と足元からなにやら音が聞こえてきた。……え、なに。
モゾモゾは、俺の足元の両脇を登ってきている。まるで覆い被さる時の手の動きに思えて、ゾゾゾ、と鳥肌が立ってきた。
まさかロイクが来たんじゃないだろうな。一瞬ものすごく嫌な想像が脳裏を過っていったけど、よく考えたらオリヴィアがいる前で俺に覆い被さるなんて絶対やらない。だからこれはロイクじゃない。ちょっとホッとした。
でも、だったらなんだ? なんでオリヴィアは何も言わずにいる?
俺はハッとした。まさか、セルジュの亡霊が現れてくれたんじゃ!? どんな理由か知らないけど、オリヴィアには見えてないんじゃないか?
アルバンの霊魂は昇天してしまったのを目の前で見たから、もう現れてくれないのは分かっている。だけどセルジュの魂が今どこにいるのか、俺は知らなかった。
だから心の隅で、亡霊の姿でいいから俺の元に来てくれないかと願っていた。
セルジュ、会いに来てくれたのか。このまま俺を一緒に連れて行ってよ。俺はもう、セルジュがいない世界にいたくないよ。
期待を胸に、でもセルジュじゃなかったらと思うと怖くて、俺はきつく瞑った目を開けることができないでいた。
モゾモゾは、どんどん上がってくる。
俺の頭の前後に、何かがいた。
すると。
ペチン! ペチペチ!
――は?
何か小さな物が、俺の頭を叩く。
「あっ! こら! 駄目でしょう!」
オリヴィアの声が聞こえた。え? なに、どういうこと?
と、頭をペチペチ叩くのとは別の小さな物が、ぐにぐにと俺の眉間の皺を伸ばし始めたじゃないか。は? なになに、何が起きてるんだよ。
「にーちゃ、いたいの?」
「へ……」
「よしよしなの」
「え? なに?」
耐え切れずに目を開けると、俺の前にぽてんと座って俺の眉間の皺を伸ばしていたのは、金髪碧眼の小さい男の子だった。
次いで、バッと後ろを振り返る。
俺の頭を叩いている、本人曰く「よしよし」しているのは――黒髪のこれまた小さな男の子だった。
俺が出ることが許されていない部屋の外からくる人間なんて、ひとりしかいない。
俺は答えず、顔を窓の方、つまり背中を扉の方に向けた。どうせオリヴィアに違いないからだ。オリヴィア以外でこの部屋に入っていいのは、侍女として雇われているらしい老婆だけだった。
全部が全部、ロイクの采配なんだそうだ。オリヴィアは「ロイクが全部整えてくれたのよ」と言っていたけど、俺は聞かずとも知っている。あいつは俺が男としか関係したことがないのを知った上で、それでも若い女を近付けたくないと思っていることを。
こういうのを作為って言うんだろ。これまでは世間知らずで物事を別の方向から見ることを知らなかった俺に、立場が違えば見え方も違うのだと教えてくれたのはセルジュだった。
セルジュは色んな思惑が渦巻くこの国の中枢で、騎士団長まで上り詰めた男だ。うまく泳いでいく方法を知っていて、当然だった。
だから俺には分かる。ロイクは俺にその気がなくても、相手が俺に少しでも恋心を抱くのを許さないんだ。
オリヴィアはロイクにべた惚れだ。だから俺にセルジュの言う『懸想』をすることはあり得ない。老婆を侍女に選んだのは、恋心なんて枯れているだろうって考えからだろう。あいつの考えそうなことだ。
ちなみに、屋敷内を警護している兵こそ若い男だけど、俺が顔を見ることができたのは露台から飛び降りようとした一回だけだった。
ロイクは、俺に惚れている人間がロイク以外に存在することをよしとしない。そういうのを、狭量っていうんだろ。俺はもうそういうのだって知ってる。
だから、俺が直接知らなかった奴らも前線送りだって集められて、まとめて始末された。
俺を噴水の前で拾い上げたロイクの言葉は、今も悪夢となって毎晩俺を苦しめている。弱い人間は、皆俺より先に死んでしまう。この世で俺より強いのは、ロイクだけ。ロイクだけが、俺の隣にいていい。
とんでもない理屈だけど、ロイクがそう仕組んだ。そして実際、その通りに全てが運ばれている。
俺の世界は、今やロイクの手のひらの上だった。
「――ファビアン? 寝てるの?」
入ってきたのは、やっぱりオリヴィアだった。
腹が立つことに、怪我が治って以降も日々繰り返される治癒のせいで、俺の身体は着実に体力を取り戻しつつあった。
もう来るなよ。何度言っても、オリヴィアは来る。多分ロイクのことだから、俺にやったみたいにオリヴィアの腰にしがみついて「お願いだ」って懇願してるんだろう。オリヴィアはお人好しだから、多分ロイクの良心を信じてしまっている。
ああ、反吐が出そうだ――。
俺はセルジュみたいに眉間に皺を寄せると、ギュッと目を瞑った。話したくない時は寝たふりをするに限る。それでも食事の時間になると起こされるから、ささやかな抵抗にすぎないけど。
すると。
モゾ、と足元からなにやら音が聞こえてきた。……え、なに。
モゾモゾは、俺の足元の両脇を登ってきている。まるで覆い被さる時の手の動きに思えて、ゾゾゾ、と鳥肌が立ってきた。
まさかロイクが来たんじゃないだろうな。一瞬ものすごく嫌な想像が脳裏を過っていったけど、よく考えたらオリヴィアがいる前で俺に覆い被さるなんて絶対やらない。だからこれはロイクじゃない。ちょっとホッとした。
でも、だったらなんだ? なんでオリヴィアは何も言わずにいる?
俺はハッとした。まさか、セルジュの亡霊が現れてくれたんじゃ!? どんな理由か知らないけど、オリヴィアには見えてないんじゃないか?
アルバンの霊魂は昇天してしまったのを目の前で見たから、もう現れてくれないのは分かっている。だけどセルジュの魂が今どこにいるのか、俺は知らなかった。
だから心の隅で、亡霊の姿でいいから俺の元に来てくれないかと願っていた。
セルジュ、会いに来てくれたのか。このまま俺を一緒に連れて行ってよ。俺はもう、セルジュがいない世界にいたくないよ。
期待を胸に、でもセルジュじゃなかったらと思うと怖くて、俺はきつく瞑った目を開けることができないでいた。
モゾモゾは、どんどん上がってくる。
俺の頭の前後に、何かがいた。
すると。
ペチン! ペチペチ!
――は?
何か小さな物が、俺の頭を叩く。
「あっ! こら! 駄目でしょう!」
オリヴィアの声が聞こえた。え? なに、どういうこと?
と、頭をペチペチ叩くのとは別の小さな物が、ぐにぐにと俺の眉間の皺を伸ばし始めたじゃないか。は? なになに、何が起きてるんだよ。
「にーちゃ、いたいの?」
「へ……」
「よしよしなの」
「え? なに?」
耐え切れずに目を開けると、俺の前にぽてんと座って俺の眉間の皺を伸ばしていたのは、金髪碧眼の小さい男の子だった。
次いで、バッと後ろを振り返る。
俺の頭を叩いている、本人曰く「よしよし」しているのは――黒髪のこれまた小さな男の子だった。
14
お気に入りに追加
181
あなたにおすすめの小説

アルファな俺が最推しを救う話〜どうして俺が受けなんだ?!〜
車不
BL
5歳の誕生日に階段から落ちて頭を打った主人公は、自身がオメガバースの世界を舞台にしたBLゲームに転生したことに気づく。「よりにもよってレオンハルトに転生なんて…悪役じゃねぇか!!待てよ、もしかしたらゲームで死んだ最推しの異母兄を助けられるかもしれない…」これは第二の性により人々の人生や生活が左右される世界に疑問を持った主人公が、最推しの死を阻止するために奮闘する物語である。

鬼上司と秘密の同居
なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳
幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ…
そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた…
いったい?…どうして?…こうなった?
「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」
スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか…
性描写には※を付けております。
日本一のイケメン俳優に惚れられてしまったんですが
五右衛門
BL
月井晴彦は過去のトラウマから自信を失い、人と距離を置きながら高校生活を送っていた。ある日、帰り道で少女が複数の男子からナンパされている場面に遭遇する。普段は関わりを避ける晴彦だが、僅かばかりの勇気を出して、手が震えながらも必死に少女を助けた。
しかし、その少女は実は美男子俳優の白銀玲央だった。彼は日本一有名な高校生俳優で、高い演技力と美しすぎる美貌も相まって多くの賞を受賞している天才である。玲央は何かお礼がしたいと言うも、晴彦は動揺してしまい逃げるように立ち去る。しかし数日後、体育館に集まった全校生徒の前で現れたのは、あの時の青年だった──

飼われる側って案外良いらしい。
なつ
BL
20XX年。人間と人外は共存することとなった。そう、僕は朝のニュースで見て知った。
なんでも、向こうが地球の平和と引き換えに、僕達の中から選んで1匹につき1人、人間を飼うとかいう巫山戯た法を提案したようだけれど。
「まあ何も変わらない、はず…」
ちょっと視界に映る生き物の種類が増えるだけ。そう思ってた。
ほんとに。ほんとうに。
紫ヶ崎 那津(しがさき なつ)(22)
ブラック企業で働く最下層の男。悪くない顔立ちをしているが、不摂生で見る影もない。
変化を嫌い、現状維持を好む。
タルア=ミース(347)
職業不詳の人外、Swis(スウィズ)。お金持ち。
最初は可愛いペットとしか見ていなかったものの…?

【短編】乙女ゲームの攻略対象者に転生した俺の、意外な結末。
桜月夜
BL
前世で妹がハマってた乙女ゲームに転生したイリウスは、自分が前世の記憶を思い出したことを幼馴染みで専属騎士のディールに打ち明けた。そこから、なぜか婚約者に対する恋愛感情の有無を聞かれ……。
思い付いた話を一気に書いたので、不自然な箇所があるかもしれませんが、広い心でお読みください。
【完結】愛執 ~愛されたい子供を拾って溺愛したのは邪神でした~
綾雅(ヤンデレ攻略対象、電子書籍化)
BL
「なんだ、お前。鎖で繋がれてるのかよ! ひでぇな」
洞窟の神殿に鎖で繋がれた子供は、愛情も温もりも知らずに育った。
子供が欲しかったのは、自分を抱き締めてくれる腕――誰も与えてくれない温もりをくれたのは、人間ではなくて邪神。人間に害をなすとされた破壊神は、純粋な子供に絆され、子供に名をつけて溺愛し始める。
人のフリを長く続けたが愛情を理解できなかった破壊神と、初めての愛情を貪欲に欲しがる物知らぬ子供。愛を知らぬ者同士が徐々に惹かれ合う、ひたすら甘くて切ない恋物語。
「僕ね、セティのこと大好きだよ」
【注意事項】BL、R15、性的描写あり(※印)
【重複投稿】アルファポリス、カクヨム、小説家になろう、エブリスタ
【完結】2021/9/13
※2020/11/01 エブリスタ BLカテゴリー6位
※2021/09/09 エブリスタ、BLカテゴリー2位

性悪なお嬢様に命令されて泣く泣く恋敵を殺りにいったらヤられました
まりも13
BL
フワフワとした酩酊状態が薄れ、僕は気がつくとパンパンパン、ズチュッと卑猥な音をたてて激しく誰かと交わっていた。
性悪なお嬢様の命令で恋敵を泣く泣く殺りに行ったら逆にヤラれちゃった、ちょっとアホな子の話です。
(ムーンライトノベルにも掲載しています)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる